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  • 2013.03.24 Sunday
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考える前に実行

 
おはようございます。

元気ですか!!


「信じあえる」
そんな仲間と共にいきてゆく!
「信じあえる」
そんな仲間づくりができる人間になる!
全ては、自分からはじまる。


では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!


「考える前に実行あるのみ」
 
迷うから行動が止まるのか、
行動しないから迷うのか、どっちだろう?
 
迷うからこそ行動が止まると考えるのが普通だろうが・・・
 
行動しないからこそ道が見えなくなり迷うという事なのですね。
 
「行動しないから迷う」という考えです。
どんなに苦しい状況でも、
ときには絶望かと思われるような状況でも、
必ずできることは何かあります。
 
考え込んでも、活路は見出す事はできなねぇ。
ということは・・・
 
立ち止まることなく、行動し続けることなのです。
 
行動し続けている人にとっては、迷いはない。と言いきってもいい。
きっと・・・
迷って行動を止めた時間が長ければ長いほど、
 
迷路から脱出することは難しくなるのです。
なぜなら・・・
行動しないという行動が染み付いてくる。
 
習慣とはそういうものだ。
だからこそ意識をして、
 
好ましい習慣をつけていくことが大切なんですよ(^−^)



ではもう1つ


「顔の傷」


私は母の顔がすごく嫌いでした。

なぜなら大きなやけどの跡があるからです。


よそのお母さんはあんなに綺麗なのに何で私のお母さんは・・・

とか、何でこの人が母親なんだろう

とさえ思ったことがありました。


そんなある日のこと。


その日の四時間目に、私はあることに気づきました。

夕べ徹夜で仕上げた家庭科の課題が手元に無いのです。

どうやら家に置いてきてしまったようです。


あたふたして勉強も手につきません。


家庭科の授業は五時間目。

私は昼休みに自宅まで取りに帰る事を決心しました。


四時間目も終わり帰る準備をしていたところ、クラスメートが、

めぐみ〜、めぐみ〜、お母さん来てるよ、と言いました。


私は、はっとしました。

急いで廊下に出てみると、なんと、母が忘れた課題を学校まで届けに来ていたのです。


「なんで学校にきてるのよ!取りに帰ろうと思ってたのに!」と息を立てて問い詰めると、

『でも、めぐみちゃん夕べ頑張ってやってたから・・・』といいました。

私は、「おばけみたいな顔して学校来ないでよ、バカ!」


と言って母から課題をひったくるように取り上げるとすたすたと教室に入っていきました。


自分の母親があんな顔をしていることを友人達に知られてしまったことで、私は顔から火が出る思いでした。


その日の夕飯後のこと。

私は父親に呼ばれました。


昼間のことで怒られるのだろうな・・・と思いました。

すると父親は予想に反してこんな話をはじめました。


お前がまだ生まれて数ヶ月の頃隣の家で火事があってな。

その火が燃え広がって、うちの家まで火事になったことがあったんだよ。

そのときに二階で寝ていたお前を助けようと、母さんが煙に巻かれながらも火の中に飛び込んでいったときに、顔に火傷を負ってしまったんだよ。


今、お前の顔が綺麗なのは、

母さんが火の中に飛び込んでいってお前を助けたからだよ。


私はそんなことは、はじめて聞きました。

そういえば今まで火傷の理由を母から聞いても、あやふやな答えしか返ってきたことはありませんでした。


「なんで今まで黙ってたの?」

私は涙ながらに母親に聞くと、


『めぐみちゃんが気にすると思ってずっと黙ってようと思ってたんだけど・・・』

といいました。


私は母への感謝の気持ちと、

今まで自分が母親に取ってきた態度への後悔の念とで、

胸が張り裂けそうになり、

お母さ〜んと言って母の膝の上でずっと泣いていました。


今では自分の母の顔のことが誇りにさえ思えるようになりました。


家族を、私を守ってくれた母のこの顔の傷のことを・・・。

 

人との出逢い

 
おはようございます。

元気ですか!!



「早く何度も失敗せよ」って・・・よく先輩から言われました(^−^)
はい、私の経験です。
 
今のシゴトをさせていただくようになってからは、
こんな言葉もよく耳にします。
 
「失敗はイノベーションのプロセス」
 
「失敗こそ私の強みの源泉」
 
「失敗を財産だと見られるかどうかが、未来への土壌の目安になる」
 
「一度も挫折したことのない人を見ると、
経験から何を学べたのだろうかと不思議に思う」
 
失敗そのものをどう捉えられる環境にいるかも重要かな。
チャレンジして、失敗する事があたりまえという環境のなかで育った人は、
未来は絶えず可能性で満ちあふれている。
反対に、失敗自体を、社会的に受け入れないような環境にいる場合は、
残念ながら「自立型精神」は育っていかない。
 
さて、環境は自分がどこに身を置くかの選択で決まるとも思います。
あなたはどちらの環境から、影響を受けているだろうか?



では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!


人との出逢い

これは奇跡


僕達が毎日一人と出逢っていったとしよう

日本人全員と出逢うのに35万年もかかる

あなたの人生があと50年だったとしたら

一年で260万人

一日で7000人の人と出逢って行かなければ

日本人全員と出逢う事は出来ない


世界に広げてみたら気が遠くなる


僕達が出逢える事は奇跡なのです


そんな奇跡の出逢いの数々を大切にしていこう


出逢ってくれてありがとう




ではもう1つ



俺の会社の友人。


4年ほど前に交通事故で奥さんと当時4歳の長男を亡くした。


飲酒運転の車が歩行中の二人をひき殺すというショッキングな内容で、


ワイドショーとかでも取り上げられたほど凄惨な事故だった。


後日談を聞くと加害者の家族もかなりつらい日々を送ったようで、


今となっては同情はするが、


当時は友人の悲しみよりも加害者への怒りが大半だったのを憶えてる。


まだ娘(当時1歳)がいたことがせめてもの救いだったけど、


葬儀に出席した会社の女の子なんか、


その娘の顔を見るなり泣き崩れてたよ。


その後仕事も辞めようと思ったらしいが、


娘のためにと仕事には復帰。


しかしその後の育児、


仕事などは大変だったと思う。


俺もそうだが会社やご両親、


ご近所さんも含めて何かと気に掛けて助けられることは助けてきた。


で去年、


そいつが事故後初めて家に招待してくれて、


数人で一緒に鍋をつついた。


そしてある和室を見せてくれたんだけど、


その部屋だけはまったく片付けてなく洗濯物とか黄色くなってたたんであるまま。


透明の衣類ケース?みたいのやおもちゃも無造作に置いてあって、


奥さんと長男が最後に使っていた部屋ということで当時のまま残してるとの事。


で、気丈なそいつも、


今でもその部屋を見るととても直視できない状況で、


俺らに説明しながら涙があふれてきてる。


そしたら娘が来て、笑いながら


「お父さんがんばろうね。裕太くんが見てるもんね。」って言うんだよ。


裕太ってのは長男の名前なんだけど、


当時のことなんか娘は知るよしもないわけで、


つらい事だけど娘にはちゃんと説明してるんだよね。



二人でお母さんやお兄ちゃんのことを忘れないで、


そうやって声を掛け合ってるわけよ。


励まそうと思ってやってきた俺らだけど、逆に力をもらったよ。


酒が入ってたのもあるけど、


どんどん涙が出てきて・・・泣いた。



「死ぬことがわかっているから命は大切なんだ。」

 by テルー(ゲド戦記)




一生住んでもいいと思った国

 
おはようございます。

元気ですか!!



言語習慣
「〜したい」と
「〜しなければならない」
 
平素、あなたは、どちらの言葉を無意識に使っているのでしょう?
 
子供の頃は「〜したい」がいっぱいあったし、そこでワクワクもした。
 
しかしいつの間にか「〜しなければならない」を多様する毎日(;一_一)
 
いったい・・・
どこで切り替わってしまったのかな。
 
「〜しなければならない」を使えは使うほど、
あなたには、「〜しなければならない」事がどんどん増えてくる。
 
「〜したい」を意識的に反復すればするほど、
人生の中で「〜したい」コト沢山現れて、
自分の人生を「〜したいコト」で充満する事ができるようになる。
 
言葉は未来の達成予言です(^−^)
 
どちらの人生を選択するかは、
毎日の生活のなかで、どちらの言葉を選択するかにかかっているのだ。
毎日使っている言葉は、反復の結果、無意識に使うようになったものです。
 
ということは・・・
今一度意識して自分の使っている言葉をチェックし、改善していきましょう。
未来が変わります。



では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!



外国を旅した男が故国に帰り、


各地を訪れて成し遂げた多くの英雄的な偉業を、


たいそう自慢していた。


中でも、


彼がロードスを訪れたときに、


誰一人としてそばにも寄れないほど


遠くまで跳んで見せたことを自慢し、


そこでは多くの見物人がいたので


みんなが証人になっている


とまで言い切って鼻高々であった。


それを聞いていた見物人が話を遮って言った。


「なあ、旦那よ。


それが本当なら何も証人なんか要りゃあしねえ。


ここをロードスだと思って俺たちの前で跳んで見なせえ」





ではもう1つ



【一生住んでもいいと思った国】


数学者にして大道芸人のピーター・フランクル氏の心に響く言葉より…


フランス人といっしょに仕事をするのにはいや気がさした。

一所懸命頑張ると馬鹿にされるからだ。

「いくら働いたって給料は同じじゃないか」…。

ぼくは数学もパフォーマンスも大好きだから一所懸命やる。

それがフランス人にはわからない。

フランス語を話しても、彼らはそれを当然だと思う。

些細なまちがいでも鼻で笑う。


アメリカはもっと極端だ。

お金しか通用しない世界である。

「そんなに頭がいいのに、なぜ億万長者にならなかったの?」と聞かれて絶句したことがある。


しかし日本人はぼくが何年この国で生活していようと、日本語が話せることを高く評価してくれる。

日本はものごとを知っている人が尊敬され、努力する人を認める社会だ。

日本にいるとさまざまな仕事にチャレンジしてゆく意欲がわいてくる。

父はぼくに「財産は頭と心のなかにある」と教えたが、日本にはそのことばを理解する人たちが住んでいると思う。


そういえば、アメリカやフランスでは、日本よりずっと喧嘩が多い。

ぼくは人と罵りあうのは好きではないが、フランスでは一ヶ月に一度は誰かと喧嘩せずにはいられなかった。

どんな場合にも、自分の態度をはっきりさせることを強いられるからだ。

日本人のあいまいな態度は非難されがちだが、そこには、人と人との関係をなめらかにし、たがいに穏やかに生きていくための知恵やしくみが隠されているような気がする。


ぼくには自分の国はないが、地球上のどこかの国に住まなくてはならない。

いまある国のなかから選ばなくてはならないとしたら、日本がいちばんいい。

ぼくがはじめて一生住んでもいいと思った国、それが日本なのだ。

『数学放浪記』晶文社



ピーター・フランクル氏は、国際数学オリンピックの金メダリストにして大道芸人。

ハンガリーからフランスに亡命し、世界の80カ国以上をめぐり、日本語を含む11カ国語をあやつる。


曖昧(あいまい)な表現は、世界的には通用しない、立場を鮮明にし、はっきりと意見をいいなさい、とはよく言われることだ。

しかし、フランクル氏は、曖昧な態度こそが、お互いが穏やかに暮らすコツだという。


拓殖大学教授の呉 善花(オ・ソンファ)さんは、『日本人の曖昧力』(PHP新書)の中で、

「日本人は物事をはっきり言わない、主体性がないなどと、外国人から批判されるが、曖昧だからこそ安全で豊かな国になれた」と言っている。


頑張る人が、認められ、誉(ほ)め称(たた)えられる世は健全だ。

良いことをしている人を、シニカルに見る人、すなわち、皮肉を言ったり、冷笑したりする人は温かさが足りない。


「一生住んでもいいと思った国」といわれた日本。

その想いを裏切らないためにも、「頑張る人」を温かく応援する人でありたい。






みてござる

 
おはようございます。

元気ですか!!


私は・・・
 

何度同じ映画を観ても、
 
何度同じかたのお話を聞いても、
 
何度同じ本を読んでも、
 
そして、毎日の職場の風景も、
 
違うことに気づける自分を目指しています。



では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!


「愛」はなくてはならないかというと

「愛がなくては、きっと生きてはいけません」と僕は言わざるを得ません。



なぜなら、お金があっても、豪邸に住んでいても

ベンツやロールス・ロイスのような車を所有していても

みんながうらやむような美男・美女と結婚していても

「無条件の愛」がなければむなしい人生だと思うからです。



だって、

「きみがお金持ちだから

きみがすごい家に住んでいるから

きみがいい車に乗っているから

きみが美男・美女だから」

などの理由だけで

好かれて、きみ自身を愛してくれないのだとしたら、

寂しいはずです。



理由もなく優しくしてくれる友だちがいるから、生きていける。


理由もなく気にしてくれる先生がいるから、生きていける。


理由もなく愛してくれる家族がいるから、生きていける。



それが人というものだと思います。



だから、人は失敗しても、欠点や弱点があっても

自分のことが嫌いになることがあっても、

それでも

自分のことを自分で受け入れて生きていけると思います。



だから、「愛とは生きる理由」かもしれません。



きみにお願いしたいのは

「理由もなく、友だちや、先生や、家族を大切にしてあげてほしい」

ということです。


出典

「どうしたら、人生は楽しくなりますか?」

林恭弘著
総合法令出版より



ではもう1つ


【みてござる】


大谷派浄信寺の西端(にしばた)春江副住職の心に響く言葉より…


佐藤義詮(ぎぜん)先生は立派なお寺の住職さんで、大阪の知事になられた方ですけれども、ある時大阪・船場の問屋さんにお説教に行かれるんですね。

その問屋の玄関に立った時、大きな扁額(へんがく)があり、平仮名で「みてござる」と書いてあったらしいのです。

上に上がられたら応接間にも「みてござる」、お手洗いにも「みてござる」、仏間にも「みてござる」の額が飾ってある。


それで、佐藤先生がご主人に

「珍しいですね。扁額はよう読まない難しい字が書かれてあるものなのに」

とお尋ねになったら、ご主人は次のような話を始められたのだそうです。


その方のお父さんは飛騨高山のご出身なのですが、小さい時に父親を亡くされて貧乏のどん底でね。

お母さんが「どうしてもおまえを養えないから」とおっしゃって、13歳で大阪に奉公に行かれるのです。


いよいよ明日は見知らぬ大阪に出発という日の晩、二人ともなかなか眠れない。

お母さんが「じゃあ、お話ししようか」と夜が白むまで子供にお話をされました。


「貧乏でおまえに何もしてあげられなかった。

何か餞別(せんべつ)をしたいんだけど、それもできない。

物を買うお金もないので、火にも焼けないし水にも流れない言葉をあなたに贈ります」

そう言ってお母さんが平仮名で書いて、少年に手渡されたのが「みてござる」という言葉だったんです。


少年はその言葉を持って大阪に出るのですが、やはり辛い船場でのご奉公があって、ある時淀川(よどがわ)の堤防を歩きながら

「辛いなあ、お母さんが恋しいなぁ。この川にはまれば楽になれるのに」

と思っていたら、ふと「みてござる」という言葉が頭に浮かんで少年を引き戻すんですね。

それからも、先輩からいじめられたり、いろいろ辛い体験をされるのですが、そういう時のお守りが常に「みてござる」だったといいます。


この方はやがて船場に店を張るまでに成功し、75歳でお亡くなりになられます。

臨終の場に息子たちや番頭さんを集めて

「いろいろお世話になりました。

私はおかげさまで成功できたと思うけれども、それには、やはり目に見えない私を引っ張ってくれるものがあった。

それが『みてござる』という言葉なんや。

どうか子々孫々に伝えて長くわが家の家宝としてほしい」

と言われたというんです。

『一流たちの金言 2』致知出版社



こんな言葉がある。

「みてござる

ご先祖さまがみてござる

慈悲のまなこでみてござる」


ご先祖さまや、天は、どんな時でも、やさしく見守ってくれる。

しかし同時に、「お天道さまが見ている」の言葉の通り、悪事も天は見逃さない。


雨の日も風の日も、道行く人を、手を合わせ拝んでいるのは、道端にひっそりと立つお地蔵様だ。

地蔵菩薩と言われ、災難や苦しみから、我々を見守ってくれているという。


「みてござる」

辛いときも、悲しいときも、きっと、だれかが見ていてくれる。













感動とは


おはようございます。

元気ですか!!


一生懸命取り組んでいる人には、
自分の未熟さがよく分かる。
 
だから・・・
更なる向上に意識がいくのです。
 
人間は不完全な存在であり、
それを謙虚に受け入れる姿勢が大事なのです。
 
驕り高ぶるのではなく、
常に前向きで向上心を維持するにも
この考え方が大切ですね。
 
一生懸命に生きている人には、
自分の至らなさが骨身に沁みてよく分かります。
 
言葉や頭ではなく、身体全体でひしひしと感じ、
生き甲斐や生きる目的にも繋がってくるようですよ。


では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!


『感動とは、動いた人だけが感じるもの』



もしあの時、勇気がなくて、何もしていなかったら。


もしあの時、開き直ってなかったら。


あの時、動いてなかったら。



もしあの時・・・




この感動味わってない!



だから感動。


もっともっと味わって欲しい。



不安はわかる。


自分に出来るの?


その気持ちもわかる。


食べていかなきゃいけないし・・・


それもわかる。



全部持ったままで


勇気を持って動いてほしい。


そこには必ず感動が待ってるから。



大丈夫。



動いてる人は仲間が応援してくれるから。


ほんと、仲間ってイイネ。


ひとりでは、不安で怖い道も

仲間とだったら歩いて行ける。


その先には、それを乗り越えた人にしか見られない景色がある。



もちろん、特別なことじゃなくていい。


今、なりたい、やりたいってことがあるなら、挑戦してみよう。


一度しかない人生、後悔しないように。


気がついたら、仲間がそこにいるよ。


絶対にね♪



ではもう1つ


【ゴディバ】
 

むかしむかし
 
時は11世紀
 
イギリスの町にレオフリックという領主がいました。
 

レオフリック領主は重税を課し、
 
市民を苦しめていました。


その妻の名前は、ゴディバといいます。
 

あまりにひどいと感じたゴディバ夫人は、
 

「重税を課すのはやめて!」
 

と。。。
 

しかし、夫は聞き入れてくれません。
 

「うるさいっ!口をだすな!」
 

ゴディバ夫人は、何度も何度も、お願いしました。
 

うるさく思ったのか、
 
レオフリック領主は、ある条件を出しました。
 

「お前が全裸で馬に乗り、街を一周するなら聞き入れてやろう!」
 

中世において、女性が人前で裸になること自体、あり得ないことでした。
 


領主は不可能な条件で黙らせようとしたのです。
 

しかし、ゴディバ夫人は考えた結果

 
「分かりました。
 
やりましょう」
 

と、条件をのんだのです。
 

条件を出したからには、領主は引けません。。
 

「領主夫人が私達の為に恥を絶えてくれる」
 

そんな噂が市民の間でながれ始め、
 
みんなは集まって話し合いをした結果
 

「せめて自分達は、その姿を見ないでおこう!」
 

と決めました。
 

街のみんなは家に入り
 
窓も閉めカーテンもしめて閉じこもりました。
 


約束通りゴディバ夫人は全裸で馬に乗り、
 
街中を一周しました。
 

こうして約束を果たした結果、課税される事がなくなりました。
 

GODIVAの創始者ジョセフ・ドラップスと妻ガブリエルは、
 

ゴディバ夫人の勇気と深い愛に感銘し、
 

1926年ベルギーに誕生した自らのブランドに、
 

「GODIVA」(ゴディバ)
 
の名を冠しました。
 

ゴディバのロゴマークには、
 
全裸で馬に乗った女性「ゴディバ」の姿があります。
 

その歴史が刻まれているのです。




 

運命は「口ぐせ」で決まる

 
おはようございます。

元気ですか!!


「やるか、やらないか」はあなたの気持しだい、

「できるか、できないか」はあなたの能力しだいではなく、

あなたの、覚悟しだい。


では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!



たとえば、女性が二人で話していたとします。


そこでAさんがBさんに

「Bさん、いつもきれいねぇ」

と言ったとしたら、この言葉は誰に反応するでしょうか。


「きれいねぇ」と言われたBさんに反応するように思われますが

実は違います。


Bさんのことを褒めているにもかかわらず

その言葉はAさんに反応するのです。


つまり、言葉を発したAさんの脳が「きれい」という言葉を読み取り体に表現するのです。


ということは、褒められたBさんよりも、褒めたAさんのほうが

美しく、きれいになるということです。


このように考えると、言葉は使った人にご利益があるということがわかります。

これは、どのような場合にも、どのような内容にも当てはまります。


ですから、美しくなりたいと思うのなら

まわりにいる人を褒めまくればよいのです。


しかし、人を傷つけるような言葉や、呪うような言葉を使えば

それも自分にはね返ってきますから

日頃からいい意味をもつ言葉を使うように心がけるといいでしょう。


自分がいい気持になれる言葉こそ、自分を高めていくのです。


こういうふうに、どんなことであっても、言葉にして出したことは

全てそれを発した人間に返ってくるのです。

そう考えると、言葉というのは怖いものだということがわかります。


ここでもうひとつ大事な点は、褒められたBさんにも

実は少しだけご利益があるということです。


それはどういうときかというと、褒められたBさんが

その言葉を本気にしたときです。

ここが大事です。


本気にして信じると、Bさんにも3割ぐらいのご利益があるのです。


出典

【運命は「口ぐせ」で決まる】

佐藤富雄著
三笠書房より



ではもう1つ



中学生の女の子。

体の大きさは3歳ぐらい。

人の4倍のスピードで年をとっていく。

目がほとんど見えない。

耳もほとんど聞こえない。

歩くことも難しい。

そんな中、懸命に育てられているお母さんの姿に、ただただ涙が止まりませんでした。


レポーターの方が、お母さんに

「なんでいつも笑顔なんですか?」

と。

お母さんは、

「子どもは、敏感だから、私が機嫌が悪いと、すごく悲しい顔でオドオドしてしまう。

でも、私が笑ってると、娘も笑う。

同じ時間を過ごすなら、笑って楽しい時間を過ごさせてあげたい。」


「他の人の価値観はわからないけど、

私は、娘が笑ってくれるだけで幸せを感じられるから。」

考えさせられました。

ついついちょっとしたことで、子どもに対して、イライラしたり、感情的に怒鳴ってしまったり…。

一緒にいられること。

健康でいてくれること。

生きていてくれること。

生まれてきてくれたこと。

決して当たり前じゃないですね。

本当に大切なことに気づかせていただきました。


「私は、娘が笑ってくれるだけで幸せを感じられるから。」







「人を愛する」ということ

 
おはようございます。

元気ですか!!



いろんな味を楽しむために・・・
舌がある
 
沢山の音を聞くために・・・
耳がある
 
色々な出来事を楽しむために・・・
 
人生がある
 
だから・・・
苦しいこと、辛いことも、生きていなきゃ味わえない
 
生きているって有難いね(^−^)


では今日もいい話を2つ紹介しちゃうね!!



【ゴミ拾い】

ゴミ拾いを凡事徹底のひとつにしているけど、なぜだろうか?

大きく言えば、愛の体現をしてほしいからだ。

愛とは、思いやり
思いやりとは、相手の立場になって、モノを考えて、行動できること

郡上だと観光地だから、キミがゴミを拾うことで、
きれいな川と自然を満喫しに来る誰かが、嫌な思いをしなくてすむ
そして、キミの住む郡上という町を好きになってもらえる。

また、ゴミを拾うことで、何の見返りがなくても、
誰かのために何かをするという気持ちを養うことが出来る。

誰かのために・・・というのは、部活で役立つ。
チームプレーの基本がそこだ。

それは、誰も見ていなくても、しっかりと決めたことをやること
そして、小さなことを疎かにしないという大切な気持ちを養える

これは、人生で成功しようとしたら必ず身につけなければいけない素養だ。

そんな素晴らしい行動が「ゴミ拾い」だ。

そして、拾う時の合言葉
「人類のために」
「地球のために」を忘れずに(^^)

今日も、人生最高の一日のために、ゴミを拾って、
身の回りをきれいにして、すっきりと、熱く熱く熱く生き切ろう!



ではもう1つ


【「人を愛する」ということ】


いとこ(27歳男)が、大腸がんで死んだ。


その彼女は、従兄弟ががんと分かってから、仕事もあったのに毎日病室に訪れ付き添った。

結婚の約束もしていたんじゃないかな。


食べ物を、「お口アーン」とか、やり合ってじゃれてたり、がんが侵食して痛む従兄弟の腰や背中を、彼女がさすってあげたり。


そのころ、10代のガキだったせいもあるけど、従兄弟が死ぬなんてまったく想像つかなかった。

「きっとこの2人はあと数年もしたら結婚して、幸せな家庭築くんだろーな」

なんて、見舞いにいくたび幸せな想像しかできなかった。

普通にうらやましかった。


しかし、従兄弟の病状はどんどん進んでいった。

みるみるやせて、目ばかりぎょろぎょろになって、身内のわたしでも正視できなかった。

はやく終わってほしかった。人の命のもろさが怖かった。

でも彼女はずっとそばにいた。

従兄弟のやせ細った手を握って、抗がん剤の影響で、

ぼろぼろに禿げたあたまにかぶる毛糸の帽子を作ったり。


わたしは、怖くて怖くて病室にも入るのもいやで病室に入っても、彼女の後姿ばかり見ていた気がする。


従兄弟は、癌がよくなったらどこかへいこうとか、あれ食べに行こうとか今度の携帯の最新機種を買いたいとか、来ない日のことばかりしゃべった。


彼女は笑顔で、「絶対いこーね」「わたしあれ食べたい」とか、いってた。

気休めだろって思ったけど、彼女の目は本気だった。

今、思い返せば、彼女はほかにどうすることもできなかったんだと思った。


彼女も怖かったのに、好きな人を失うことが、きっと自分が死ぬ以上に恐ろしかったと思う。


年末に、癌が全身にまわり、肺に転移。

従兄弟は最初の意識不明に陥った。


医師は、「癌を抑える薬がある。しかし、一時的に抑える効果しかない。


苦しみがのびるだけ。私の子供が患者だったらこのまま死なせる」ときっぱり。


両親は、「せめて27歳の誕生日を迎えさせたい」と延命を望んだ。


横で、彼女はだまって、ふるえていた。


薬は効いて従兄弟は劇的に回復した。


彼女と温泉にいったり、近場に旅行いったり、新薬は2人に時間をくれた。


「癌が治った」とはしゃいでいたけど、一時的だというのは本人が何よりも知っていたと思う。


最後のときをすごす2人に、両親も親戚もなにもいわず見守った。


春、従兄弟が3度目の意識不明に陥った。


あまりの痛みに子供のように泣き叫ぶ従兄弟を、彼女と従兄弟の母親が押さえつけ、抱きしめた。


「ここにいるよ。ひとりじゃないよ」


彼女は、死の激痛にあえぐ従兄弟の顔にキスして、手足をさすった。


医師が死亡宣告し、遺体が自宅に搬送されるまで、彼女は従兄弟を抱いた。



何かにとりつかれたように嗚咽する彼女をみて

「人を愛する」って

こういうことかと思った。



彼女は、親戚の手前、通夜、葬式にも出られなかった。

毎年、従兄弟の墓参りには来ていた。

従兄弟が死んで数ヶ月あと、勤めていた会社をやめたことを聞いた。


数年たって、墓参りにもこなくなった。

最近、彼女が結婚し、1児の母になったことを聞いた。

寂しく思った反面、ほっとした。


幸せになってほしいと思う。




あるおばあちゃんの話

 
おはようございます。

元気ですか!!


強い人と言われる方の特徴・・・


それは「待つ」ことのできる人だ。



では今日もいい話を2つ紹介しちゃうね!!


「成功するための10の法則」です♪


1、知識より知恵を重視せよ

2、生涯にわたって学び続けろ

3、カネは奪われるが、知識や知恵は奪われない

4、逆境こそチャンスと心得よ

5、カネより時間を大事にせよ

6、権威を憎み、権威になるな

7、笑え

8、相手の話は自分の話しの2倍聞け

9、他人とは違う立場をキープしろ

10、元手のいらないことを始めろ


素晴らしいですね♪♪

7番目の“笑え”が素敵です♪


成功哲学者のナポレオン・ヒルさんは言います。


「百万ドル以上の財産を築いた人たち数百人を分析したところ、


彼らは全員、

すばやく決定し、

いったん決めた決定を変える必要がある時には、

ゆっくり時間をかけて変更するということがわかった。


一方、


財産を貯めることができない人たちは、

例外なく、

決心するのがとても遅く
(それも決心できた場合のことであるが)、

いったん決めたことを何回も、

すぐに変えるくせがある」





「金持ちになりたい一心から出発しても成功しない。

志はもっと大きく持つべきだ。


ビジネスで成功する秘訣はごく平凡である。


・・・日々の仕事をとどこおりなく成し遂げ、

私がいつも口を酸っぱくして言っている、

「商売の法則」をよく守り、

頭をいつもハッキリさせておけば、

成功は間違いなしである」


 by ジョン・ロックフェラー(アメリカの実業家)




ではもう1つ



【あるおばあちゃんの話】


「はぁー」

ため息がとまらない。

公園のベンチに座り、大きくうな垂れていた。


このところ、うまくいかないことばかりで何もかも嫌になった。


逃げ出したいと思い会社には行かずサボっていたのだ。

『ホッホッホッ』

頭の後ろのほうから笑い声が聞こえた。


ゆっくり振り返るとそこには、あるおばあちゃんが満面の笑みでたっていた。

『にーちゃん、どーしたんだい?

朝っぱらから元気ないの〜』

明るく話すおばあちゃんの笑顔に引き込まれ自分の今の状況を話してみた。


「なんだか上手くいかなくてさ…。

自分は努力してるのに周りの人たちは努力のドの字もしないんだ。

俺ひとりバカみたいで。


それに周りの人間が俺を避けているようで。。。

孤独なんだ。


もう俺なんて・・」


最後まで言う前におばあちゃんが笑いだした。


『ホッホッホッ

あんたもたんと頑張っているんだね〜

えらいえらい。』


『でもな。あんた、

周りの人達の努力を見ようとしてるかい?


努力しているのはあんただけじゃない。

相手も、相手なりに努力をしているんじゃよ。


あんたとは違う形で、違う努力の仕方をしているんじゃ。


相手の努力も、ちゃんと認めてやんしゃいな。

ひょっとしたら、相手も同じように思ってるかもしれんぞ。』


『それとな。あんた孤独だっていったけんど、

あんただけじゃないぞ。


人は

みんな孤独をあわせ持っているんじゃ。

しかし、
寂しさや孤独は目に見えないもんじゃ。

だから・・・。

自分の寂しさと同じように、

相手の寂しさも感じてみんしゃい。

そうすりゃ分かることがある。』


肩の力が抜け、ずいぶんと楽になった。


「おばあちゃんありがとう」そう言うと、


『ホッホッホッ』

大きく笑いながら行ってしまった。



「相手を感じる。か・・・

よしっ!




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