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あたりまえ
- 2012.12.29 Saturday
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- 20:29
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- by marusan-hair
おはようございます。
元気ですか!!
今日はブログデーではありませんが、
明日アップする時間がないので、
本日アップします。
今年のラストブログ
イイ話を2つ紹介しちゃうね!!
【受ける喜びより与える喜び】
この事実は幼児にもあてはまることが、カナダのブリティッシュコロンビア大学の3人の心理学者による新しい研究で判明した。
パブリック・ライブラリー・オブ・サイエンス(PLoS One)に掲載された研究論文によると、
2歳未満の幼児は、お菓子をもらうことより与えることの方に喜びを感じるという。
さらに、単にお菓子を与えるより、自分の持ち物を分けるときの方が、喜びが高いという結論も出している。
大人が人を助けるときに満足感を得ることを測定した最近の研究結果を裏付けるものであり、
自腹を切っても社会のために貢献しようとする心理の解明にもつながる。
今回の研究は、幼児が人に与えることに喜びを感じることを示す初めてのものだ。
「幼児は本来、自分本位と思われがちですが、実際は、与えることの方に強い幸せを感じるということが観察されました」。
共同研究論文の筆頭執筆者ラーラ・アクニン(Lara Aknin)博士は語る。
研究では、金魚の形のビスケットなどのお菓子を幼児に与え、数分後、ひとつをぬいぐるみに与えるよう促した。
さらに、追加のお菓子を幼児に手渡し、ぬいぐるみに与えるよう促した。幼児の反応は録画され、録画をもとに幼児の幸福度を7段階で評価した。
アクニン博士は次のように述べる。
「幼児が自分のお菓子を分け与えることに最大の喜びを感じているということが、最も興味深い結果でした。
自分にとって何でもないものを手渡すときより、自分の大切なものを人の利益のために譲るときの方が、幸せを感じるのです」
「与えることだよ!
ただひとつのほんとの喜びは 与えることだ!」
by チャールズ・M・シュルツ(アメリカの漫画家、スヌーピー作者)
ではもう1つ
「あたりまえ」
あたりまえ こんな素晴らしいことを
みんなはなぜ 喜ばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいる お母さんがいる
手が二本あって 足が二本ある
行きたい所へ自分で歩いてゆける
手を伸ばせば 何でも取れる
音が聞こえて 声が出る
こんなしあわせがあるでしょうか
しかし 誰も それを喜ばない
あたりまえだと 笑ってすます
食事が食べられる 夜になるとちゃんと眠れ
そして また朝がくる
空気を胸いっぱいすえる 笑える 泣ける
叫ぶことができる 走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんな素晴らしいことを みんなは決して喜ばない
そのありがたさを知っているのは
それを失くしたひとたちだけ
なぜでしょう あたりまえ
(井村和清著「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」祥伝社より)
些細な振る舞いから
- 2012.12.27 Thursday
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- 17:36
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- by marusan-hair
おはようございます。
元気ですか!!
辛に一本線を足すと
幸という字になる
その一本線は辛さを乗り越えた一本道
辛さを越えた先には
幸せが待っている
では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!
【ハンサムウーマン、新島八重】
「新島八重 ハンサムな女傑の生涯」の中から、心に響く言葉より…
その個性から、「幕末のジャンヌ・ダルク」「ハンサムウーマン」「悪妻」など、さまざまに語られる新島八重。
会津藩の砲術師範・山本家に生まれた八重は、幼いころから力持ちで負けず嫌い。
兄に教わった砲術を、近所の子どもに教えていました。
八重のふるさと・会津若松は、戊辰戦争で官軍に包囲されます。
八重は城内に入り、鉄砲を手に奮戦しますが、衆寡敵せず、会津藩は降伏します。
この戦争で、八重は父と弟をはじめとする多くの縁者を亡くします。
八重と婚約した新島襄は、彼にとって「アメリカの母」であるハーディ夫人に宛てた手紙の中で、彼女の写真を同封した上で、
「彼女は決して美人ではありません。しかし、私が彼女について知っているのは、美しい行いをする人(person who does handsome)だということです」
と、紹介しました。
要するに襄は、容姿よりも、八重の美しい心根に魅かれたのです。
キリスト教教育の夢を叶えるため、多忙を極める夫の同伴者として、八重は献身的に襄を支えます。
「厳格」・「慎重」な夫に対し、「快活」・「豪縦」な妻という、真逆の性格を持った二人でした。
襄はその死に際し
「グッドバイ、また会わん」
と言い残したといわれています。
襄にとって、八重は終生「我最愛ノ友」でした。
『新島八重 ハンサムな女傑の生涯』(同志社同窓会・編)淡交社
新島八重の夫、新島襄は同志社の創設者だ。
八重は、若い頃一度結婚し、襄とは二度目の結婚だったが、襄が47歳と若くして亡くなったため、結婚生活はわずか14年間だった。
襄は、妻に「八重さん」と声をかけるが、八重は夫を「襄」と呼んだ。
アメリカ教育を受けた襄は、妻に限らず、生徒・女中・用務員に対しても「○○さん」と呼びかける人であったという。
戊辰戦争のときは、髪を断ち、弟・三郎の形見の袴を着て男装していた八重。
負けず嫌いで、勇敢で、しかも変化を恐れない柔軟な心も持っていた。
明治には、魅力あるハンサムウーマンがいた。
ではもう1つ
【些細な振る舞いから】
山内昌之氏の心に響く言葉より…
北条早雲の孫である氏康は、北条5代の中でもとくに優れた器量を持っていた。
同時に、人の器量を見抜く目も備えていた。
ある日、氏康と氏政親子は共に食事をしていた。
氏政は飯が盛られた茶碗に味噌汁を一度かけ、量が足りないと見るやもう一度かけた。
この様子を見た氏康は、息子の器量のなさを嘆いたという。
「食事という毎日のことでありながら、飯にかける汁の量を一度で量ることができないとは…。
このような些細な見積もりもできない者に、家臣や領民の心中を推し量ることなどできないだろう。
北条はわたしの代で終わるに違いない」
じつの息子に対してあまりに手厳しい人物評だが、氏康の不安は的中する。
父の跡を継いだ氏政は、のちに豊臣秀吉と敵対したことですべての領地を失った。
このエピソードは、人材の力量は仕事の成果だけでなく、日常の些細な振る舞いからも判断できることを示唆している。
『リーダーの英断』日経ビジネス文庫
人の力量や器は、何気ない些細な言動や行動に現れる。
日常のとるに足らないような言動にはその人の素(す)がでるが、意識した振る舞いは飾ることができるからだ。
森信三先生はこう語った。
「学校の再建はまず紙屑を拾うことから。
次には靴箱のカカトが揃うように。
真の教育は、こうした眼前の些事(さじ)からスタートすることを知らねば、一校主宰者たるの資格なし」
つまり、目の前に落ちている紙屑を拾うことができなかったり、脱いだ靴をそろえることができない人は、どんな偉そうなことを言ったとしても、人物ではないということだ。
眼前の些事をおろそかにせず、何事にも真剣に取り組む人でありたい。
クリスマス休戦
- 2012.12.09 Sunday
- -
- 14:56
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- by marusan-hair
おはようございます。
元気ですか!!
年末はお忙しいことと思います。
実は私今週末から地方出張があり、
ブログの方、しばらくお休みさせていただきます。
27日に再開したいと思いますので
ヨロシクお願いいたします。
では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!
江戸時代のお話です。
武士の子供たちは、各藩に設けられた藩校に通いました。
農民や町人の子供たちは寺子屋に通って勉強しました。
その、寺子屋に通う子供たちの日課がすごいんです。
始業時間は朝の8時。
終業は14時〜15時。
休みは毎月1日、15日、25日の月3回、
夏休みはない代わりに、6月1日から2ヶ月間の授業は午前中のみ。
正月、盆、節句は休みがあったそうですが、年間の休日は50〜60日。
その甲斐あってか、当時日本の識字率は世界最高クラスだったといいます。
その後の日本の近代化や、成長スピードも納得できますね♪
学び続ける人生にしていきたいです♪
「もっと知りたい、もっと学びたい……こうした好奇心を失わないことで、人はどんどん成長していくのだと思う」
by イアン・ソープ(オーストラリアの元競泳選手)
ではもう1つ
「クリスマス休戦」
1914年・第一次世界大戦。冬の12月。
ドイツ軍とフランス軍・英軍が、100メートルぐらいで隔てあう塹壕(ざんごう)戦は、
砲撃の応酬で悲惨なものでした。
その最前線のドイツ軍の塹壕に、クリスマスの日、一人の男が慰問に訪れます。
彼の名は、ヴァルダー・キルヒホフ。
当時、世界で最もチケットをとる事が困難といわれるバイロイト音楽祭に、
1911〜14年にかけて4年連続出演するほどの高名なドイツのテノール歌手です。
ドイツ軍の塹壕から、キルヒホフの美しい歌声が、凄惨な戦場に響きわたった。
それは、100メートル先の敵国フランス軍の塹壕にまでとどいたのでした。
すると、フランス軍の中から
「この歌声は、パリのオペラ座で聞いた、ヴァルダー・キルヒホフのものだ」と叫ぶものがいた。
その歌声に聞き覚えがあることに気付いたフランス将校は、ドイツ軍の塹壕に向かって大きな拍手をおくった。
すると、その拍手を聞いた、キルヒホフは、殺しあって憎むべき敵でありながら、
自分の歌声に拍手を送ってくれた人がいることに感動する。
彼は、相手の気持ちに応えるために、思わずドイツ軍の塹壕から飛び出して、笑顔でゆっくりと敵に向かって歩き出した。
そして両軍の中間地帯(ノーマンズ・ランド)を横断し、拍手を送ってくれた、敵の将校に、
深々と優雅に挨拶をしたのでした。
その瞬間、戦場は、戦場でなくなってしまった。
この様子を見ていた両軍の兵士たちが、塹壕から出て来て敵兵と交流してしまったからである。
休戦というのは交戦国の上層部が取り決めるのが普通だが、
現場の兵士から生じるのは稀なことであった。
人々は、後にこの日の出来事を、「クリスマス休戦」と呼んだ。
歌が、憎しみをこえた瞬間の出来事だった。
新聞紙の札束
- 2012.12.06 Thursday
- -
- 17:32
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- -
- by marusan-hair
おはようございます。
元気ですか!!
「あ~あ~」と言うほど、「あ~あ~君」が集まってくる。
「もう~」と言うほど、「もう~君」が集まってくる。
「嫌だ」と言うほど、「嫌だ君」が集まってくる。
「やったね」と言うほど、「やったね君」が集まってくる。
「いい~」と言うほど、「いい~君」が集まってくる。
「チャ〜ンス!」と言うほど、「真のチャンス君」が集まってくる。
皆、呼ばれるのが大好きだからね。
では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!
【新聞紙の札束】
医学博士、佐藤富雄氏の心に響く言葉より…
イメージトレーニングとは、頭の中で理想の部屋をつくることだけではありません。
想像体験を習慣化することで、あなたが望むあらゆる願望は、内容いかんにかかわらず、すべて実現の方向へと近づいていけます。
私のセミナーに参加してくれていたあるご婦人のユニークな想像体験を紹介しましょう。
その体験のユニークなところは、頭の中で何かを想像するだけでなく、実際の行動にイメージを持ち込んだことです。
彼女は、なんと新聞紙で300万の札束をつくり、どこへ行くにも持ち歩いたのです。
そして、「私は高級ハンドバッグに300万をしのばせている裕福な女」と自分に言い聞かせ、リッチな気分を満喫していました。
そうすれば必ず裕福になれると信じていたのです。
そうした行動を続けて半年ほどすると、現実に変化が起こってきました。
彼女は内職の仕事から一転、親しい人のすすめで、健康食品を販売する仕事をスタートさせたのです。
そしてわずか3年ほどで、それまでの経済状態をみるみる好転させてしまいました。
銀行口座には300万どころか、さらに多額の預金がつくられました。
想像体験の威力を実感した彼女は、それからも、新聞紙の札束を手放しませんでした。
5年、10年と経過し、今では豪邸のほかに別荘も建て、高級外車も乗り回しています。
『願えばかなう「思い込み」の魔力』KKベストセラーズ
人は、関心のないことは目に入らない。
「お金なんて興味がない」「つつましく暮らした方がいい」「お金は汚い」と思っている人は、お金には縁がない。
お金に関心がないからだ。
経営者でも、利益や儲けに関心がなく、趣味やボランティアばかりに目がいっている人は、利益を出すことができない。
あまりガツガツとお金のことをいうのは品がないが、さりとて仙人のように無関心なのも問題だ。
お金に限らず、自分の夢なり目標を、より具体的に、鮮明に、イメージできることが、その実現につながる。
より具体的に、ありありと、夢をイメージしたい。
ではもう1つ
幼稚園の頃から、仲が良かった親友が居た。
いつも、俺たちは4人で遊んでた。
どんな時も、一緒に遊んでた。
彼女についての相談をしたり馬鹿言ったり、喧嘩したり。
も、そんな事やりあってるうちに俺たちの絆は更に深まっていった。
ある日、いつものメンバーで遊んでる時、ゆうき(仮名)の具合が悪そうだった。
そいつは元気だけがとりえだったのに、その日だけは具合が悪かった。
日がたつたびにゆうきの具合が悪そうだった。
俺たちは心配になって体調を聴いたが
『大丈夫。なんてことないよ』
と、言っていた。
数日後ゆうきは学校を休むようになって、病院で入院していることを親に聴いた。
親からゆうきが難病に掛かっている事、そして治らない事、もう直ぐ天国に行くかもしれない事。
全部聴いた。俺たちは言葉が出なかった・・・。
俺たちはいつもより1人少ない、3人で御見舞いに行った。
プレゼントを持って。逢って元気付けてあげて又、一緒に遊ぶんだって俺は思った。
病室に入ってゆうきを見たら、全身チューブだらけでちゃんと顔を見る事ができなかった。
俺たちは『絶対良くなるよ』って言ったらゆうきは
『まだ死にたくない』って言った。
面会時間が短かったからプレゼントを渡して病室から出た。
病室から出た後、俺たちの涙は止まらなかった。
まだ、死んでる訳じゃないのに凄く悔しかった。
何で俺たちの親友がこんなに苦しまなきゃいけないんだと思った。
俺たちは何も出来なくて、ただ涙を流す事しか出来なかった。
そして俺たちは毎日の様に御見舞いに行った。
俺は親から貰ってる少ないお小遣いを貯めてゆうきの為にプレゼントを買って病院に行った。
いつもの病室だから迷う事なく真っ直ぐ進んで病室に入るとゆうきの姿は無かった。
部屋の中の状態はいつものままなのにゆうきだけが居なかった。
頭の中が真っ白になって何が起きたのか判らなかった。
部屋の前でプレゼントを持って立っていると後ろからゆうきの母親が来て俺に言った
『本当についさっき息が止まって・・来てくれてありがとう』
って涙を我慢しながら俺に言った。
プレゼントはゆうきの母親に渡して俺は病院を出た。
その後、俺たちは3人だけで遊ぶようになった。
俺たちの仲間が居なくなって初めて気が付いた。
友達の大切さを。
今迄本当にありがとう。
絶対忘れないよ・・・
辛に一本線を足すと
- 2012.12.02 Sunday
- -
- 16:06
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- -
- by marusan-hair
おはようございます。
元気ですか!!
我慢とは
あきらめることではない
我慢とは
ジッとこらえて
明日のために
力を蓄えること!
では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!
みんな同じ空の下にいます
青空を見上げて
曇り空を見上げて
星空を見上げて
離れていても同じ想いでいます
心は一人ではないこと忘れないでください
あなたの力になりたいと想っている人が、ここにいます
私の好きな言葉を贈らせてください
辛に一本線を足すと
幸という字になる
その一本線は辛さを乗り越えた一本道
辛さを越えた先には
幸せが待っている
生きていてくれてありがとう
ではもう1つ
以前、歯科医院ドリプラのメーリングリストに投稿されたものです。
〜〜〜〜〜
2008年2月21日、入院先の病院で、僕の親父は長く患っていた肝臓癌により68歳で亡くなりました。
前年の7月に「末期の肝臓癌で手の施しようがない」と診断されて、通院しながら自宅で静養する生活をしていました。
それまで入院することを嫌がって、自宅で過ごしていた親父が、いよいよ体調が悪化し入院を受け入れたのは2007年の12月の7日。
既に容態はだいぶ悪く、入院してからというもの、数日に渡って意識を失っていては、また数日の間、意識が戻る、というような生活です。
そんな生活の中でも、親父の唯一の楽しみは‘食べること,でした。
意識がある間は、以前から大好きだったプロボクシングやスポーツ中継をテレビで楽しみ、夕食を食べたらそのすぐ後には、「明日の朝は何がいいかな」「昼は何にしよう」と‘食べる,ことをとても楽しみにしていました。
「病院の食事は、みんな似たような味付けで、おまけに薄いし、不味い」
「お母さん、何か作ってきてくれ」
と、毎日見舞いに通い詰めていたお袋に、我が儘を言うのですが、お袋もそれに答えるのを嬉しそうにしていました。
夕食が済むと「明日の朝は何がいいの?」なんて。
親父が「小松菜の煮浸しと何か白身魚がいいなぁ、あと、たらこのふりかけごはんな」なんて言うと、
「しょうがないねぇ、わかったわよ!」と、笑顔で。
「あ〜、明日の朝御飯を楽しみに、早めに寝るか!」
「寝ると腹が減るしな!」
そんな調子で、決して多くの量を食べられるはずもないんですが、とても毎回の食事を楽しみにしていました。
親父は、まめに歯医者さんに通っていたと僕は記憶しているんです。
でも、昨日のどなたかのプレゼンでもありましたが、60歳を過ぎたあたりから自分の歯は数本しかなく、ほぼ入れ歯でした。
まめに手入れをしていたようで、最後の入院となる時まで、食べることや笑うこと、しゃべることに苦労をしていた様子はあまりなかったようです。
入院する頃には、自分の歯は1本のみで、それをひっかけるようにしてはめる、ほぼ総入れ歯となっていました。
病院でも、入れ歯の手入れを、お袋にマメに頼んでいました。
お袋も親父が大事にしていることをよく知っていたので、嫌な顔ひとつせず、よく洗ったり、手入れをしていました。
起きている時、意識がある時は、親父も気にして常に入れ歯をしているのですが、意識がない時は外れて喉に詰まる危険があるのでずっと外しています。
2・3日、ベットの上で元気にしてたかと思えば、また2・3日、意識が無く、点滴からの栄養で過ごすわけです。
意識がなくなると、その度に見る見るうちに痩せていき、1月もすると、入れ歯がなかなかうまく収まらなくなりました。
入院していた病院に「入れ歯を調整する歯医者さんを紹介してください」(当時、歯科技工士という仕事さえ知りませんでした)と申し出ましたが、「予約しますが、時間がかかります」という回答でした。
何も知らなかったので「そんなものか」と諦めるしかなく。
ごまかし、ごまかしで入れ歯をはめて、意識がある時は、何とか食事を楽しみにしてたのですが、1月の半ば、成人式を過ぎたあたりで、とうとう親父は自分で入れ歯をはめることを諦めてしまったんです。
「もういい!」と怒った様子で。
それから意識がない時間の方が増えていきました。
そして翌月の2月21日、家族と親戚で親父を看取りました。
最後の最後の会話は僕とのものでした。
ちょうど日曜のお昼で、僕はコンビニで買った鮭弁当を親父の病室で食べていました。
「マサ、今日のお昼か」
「何、食べてるんだい?」と親父。
「鮭弁だよ」
「食べてみるかい」と僕。
「いいよ、いいよ、午後も仕事だろ」
「しっかり食べなさい」
「俺はコンビニの弁当なら、あれだ、三色弁当がいいな、ひき肉と卵と、あれがのってる.....」
それが親父との、本当の最後の最後の会話でした。
そのまま眠るように意識が無くなり、その4日後、静かに旅立ちました。
今でも時々お袋や妹と話すんですが、
「誰が見ても‘食べる,ことを諦めてしまってから、元気がなくなったよね」
実際に、それから意識がある時間がドンドン減っていってしまいました。そして約一ヶ月で親父は亡くなりました。
そう何年も生きられたとは思っていませんが、1月の半ば、あの時‘食べる,ことを諦める必要がなかったら。
病院の窓から、すぐ近くの桜並木が見えたんです。実際に埼玉は春日部の桜の名所です。
「あそこなら近いから車椅子でも行けるよ。」
「弁当作って、あそこで花見をしよう!」というのが僕ら家族の合言葉になってました。
それを叶えることぐらいは出来たんじゃないかと思ったりもするんですね。
以前、何かの本で読んだ『歯は臓器』という言葉。
今ではそう強く確信しています。
第一回の歯科ドリ・キックオフミーティングになぜか参加してしまったことから、全ては始まっています。
その‘縁,は親父が導いてくれたのかもしれないと、今では本気で思っているんです!
今後も、歯科ドリプラ、そして歯科医院業界を応援させてください!!!
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