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  • 2013.03.24 Sunday
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ねっ! がんばんなよ!!

 
おはようございます。

元気ですか!!



今日はブログデーではありませんが、明日の分今日アップします♪



ねっ!

がんばんなよ!

他にすることもないんだし!



村上龍さんの短編小説より




では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!


【好ましい偶然を引き寄せる】


山口雅之氏の心に響く言葉より…


アメリカで数百人の成功したビジネスパーソンのキャリア分析をしたところ、その八割がもともとそうなることを目指していたのではなく、今の自分は偶然の積み重ねの結果だと答えた。

スタンフォード大学のクランボルツ教授はこの結果に注目し、最初に目標を設定するよりも、自分にとって好ましい偶然が起こる行動をとることのほうがキャリアづくりにはプラスに働くという「プランド・ハップンスタンス(計画的偶発性)理論」を打ち立て、1999年にカウンセリング学会誌に発表した。


たしかに功なり名を遂げた人に話を聞いても、キャリアの最初からそこに向けて、一直線で突き進んできたという人はほとんどいない、というか記憶にない。

組織人事コンサルタントの第一人者である高橋俊介氏によれば、将来の目標を先に決め、そこに向かって詰め将棋のように進んでいくという発想が、想定外の変化が当たり前のように起こる21世紀にはいちばん危険だという。


たとえば、新卒で入った会社で定年まで安定した人生を送りたいからと大企業ばかりねらって就職活動を行い、首尾よくすべりこめたとしよう。

30年前だったら、それは正解だったかもしれない。

ところが、現在は大企業の社員といえどもリストラと無縁ではないし、定年まで会社が安泰という保証もない。

あるいは、つぶしのきくスキルを早めに手に入れておけば、最悪、会社がどうなっても転職に困らないからと、20代に必死に頑張ってスキルアップを図ったとしても、30代になったらそのスキルでできることは、コンピュータに置き換えられていたり、東南アジアにアウトソーシングされたりしているということも、十分考えられる。


あのトヨタやソニーだって、10年後どころか5年後や3年後の経営状態がどうなっているかわからないのだ。

思い込みでゴールを設定し、これさえやっておけば大丈夫と他のことに目をつぶっていたら、環境が変わった途端、にっちもさっちもいかなくなってしまう。


プランド・ハップンスタンス理論によれば、キャリアづくりにとって重要なのは、好ましい偶然ができるだけたくさん起こるような生き方であり、そのためには豊かな好奇心と、チャンスを逃がさないフットワークが必要だという。

それは、とりもなおさず、何が無駄で何が役に立つかということを、あまり近視眼的に考えず、とりあえず与えられたことは何でもやったほうがいいということだろう。

そうしているうちに、自分の好き嫌いや時代の流れがだんだんとわかってきたら、本当に自分が進みたい方向に足を踏み出せばいいのである。

『一流の人の考え方』日本実業出版社



「好ましい偶然を引き寄せる」ことは、セレンディピティとも似ている。

セレンディピティとは、ふとした偶然からヒラメキを得て、そこから思わぬ幸運をつかみとる能力のことだ。


好ましい偶然ができるだけたくさん起こるようにするためには…

素直であること。

子どものような好奇心があること。

思い込みやこだわりを捨てること。

明るく、楽観的であること。

いつも笑いがあること。

行動的であること。

感謝の気持ちで生きること。


人生は計画通りには進まないし、ほとんどが偶然から生まれるというのが、「プランド・ハップンスタンス理論」

日々、好ましい偶然を引き寄せる努力を重ねたい。

 


ではもう1つ



阪神・淡路大震災


避難所で一生懸命に働く暴走族の若者達がいました


彼らは「おばぁちゃん、向こうの避難所行ったら何もってきたらええの?

必ず持ってくるから書き出しといて!」


「あぁこれ運ばなあかんの?俺が持つよ!」


「じいちゃん、危ないから安全な所まで行ったる!」


と、物資のピストン運動に走り回っていたのです


後に彼らはこう話します


「どうせくだらない命だ、バイク事故で死んだってかまへん!


なんて思ってた


バイクが嫌いだったのかもしれません


あの地震で親戚が何人も死んで、世の中に怖いものがあるって知ったんですね・・


『おれ、何してんだ・・やることやらな』って思って避難所を手伝う事にしたんです


そしたら、それまで僕の事をバカにしていたおっちゃんおばちゃんが、僕の肩を叩いて


『お兄ちゃんありがとな、助かった。ほんとにありがとな』


って手を握ってくれたんです


あんな風に言ってもらえたのも


迎えられたのも、送りだされたのも


初めてだったんです


それからバイクにも謝りました


『いつもは故障ばかりすんのに、今日だけはよう走ったな


気ィつけて行ってらっしゃい!って


みんなが手を振ってくれて、おまえもうれしかったやろ・・


お前は人に喜ばれるためにつくられたのに


俺の乗り方が悪かった・・・


これからは人に喜ばれる為に走ろう!約束する』


ってそう謝っ取ったら、バイクが笑ったんです


その瞬間からバイクが好きになりました」


(人を喜ばせる)(人の役に立つ)
その事が、彼に生きる力を授けました


バイクも人間も・・全てのモノは

(喜ばせる)(役に立つ)為に、生れてきたんですね








変化

 
おはようございます。

元気ですか!!



あなたが道路清掃人なら、最高の道路清掃人になりなさい。
ミケランジェロが彫刻をするように、ベートーベンが作曲をするように、
シェークスピアが戯曲を書くように、あなたの道路を清掃しなさい。
あなたの死後、全ての人達から、
『自分の仕事を立派に成し遂げた道路清掃人がここにいた』と
言われるくらいに、見事に道路を清掃しなさい。

マーティン・ルーサー・キング牧師の言葉




では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!


【すべての基本は「変化」】


美輪明宏氏の心に響く言葉より…


この地球の法則は「変化」だと思うんですよ。

それに対して、地球の法則に反するものが「普遍」のもの、ずーっと滅びないものです。

だからこの地球上では、ものにしても人間にしても、すべてのものは変わっていくんです。


たとえば人間の一生でも、カルチャーショックの連続ではありませんか。

赤ちゃんとして生まれてくるのも初めて、幼稚園に入るのも初めて、試験を受けるのも初めて、学校を卒業して社会に出るのも初めて。

子を持つのも初めて。

それから今度はお爺ちゃん、お婆ちゃんになるのも初めて。


そんなふうに変化して、変化して、始めての経験を積み重ねながらカルチャーショックの連続の中で人間は死んでいくのです。

だからすべての基本は「変化」なんです。

それに逆らったら地球のものではありません。


先日も、あるテレビ番組を見ていたら、大学での実験を紹介していました。

灰色の空間、何もない直線だらけのガラーンとした、まさに機能性、利便性、経済効率だけのマンションの部屋で、主婦にパソコンを操作させる。


その脳波を計ると、ストレスでノイローゼ気味になってしまうんです。

そこへ植木を4鉢持ってきたら、リラックスしているときに出るアルファー波が出てくる。

たった4鉢の植木があるかないかで、そんなに違うんです。

「変化」が、この世のあらゆることにおいて、とても重要な鍵を持っているということですね。

『人生賛歌』大和書房



魅力ある人は、喜怒哀楽の振幅の幅が大きい人だという。

その振れ幅が大きければ大きいほど、人間としての味がある。


「今泣いたカラスがもう笑う」という無邪気な子どもの姿だ。

子どもには限りない魅力がある。


振幅がなければ一本調子となり、単調で変化もない。

まるで能面のように無表情で、感情の起伏もない状態だ。


「転がる石に苔(こけ)は生えない」という言葉がある。

常に変化することが大事だという意味だ(アメリカでは)。


変化を恐れない、自ら転がる石でありたい。




ではもう1つ



ネットにあった、大切なことに気付くお話しをご紹介させて下さい!!!
 

〜〜〜〜〜〜〜〜
 

すごい普通に生きてきたら取り返しのつかないガンになってた。
 

で、先月の26日に、あと3ヶ月くらいしか生きられないって言われた。
 

今、ムリ言って退院して、いろんな人に会いに行ってる。
 

湿っぽくなるのが嫌だから、事情は話さないで、
体調の良い日は友達とかお世話になった人といつもと変わらない感じでご飯食べに行ってる。
 

昨日は高校時代の恩師と行った。
 

その人は私にバイクに乗らないかと薦めてくれた人で、夏場たまにツーリングに一緒に行ってた。
 

バイク、もう乗れないから、その人に譲ろうと思ってた。
 

会ったら、やっぱり先生はバイクで来ていて、かなり羨ましかった。
 

で、ご飯食べながら、いろいろ話した。
 

高校時代のことや、卒業してからもいろんな相談に乗ってもらって、すごい嬉しかったってこと。
 

そしたら、
 

「お前(=私)が最近他の奴ら(=当時からの付き合いの友達とか)とそういう話をしてて、様子がおかしいって聞いた。なんかあったか?」
 

と聞かれた。
 

絶対他の奴らには言わないでって約束して、病気のことと余命のことを話した。
 

そして、先生にバイクを譲るってことも言った。
 

大事に乗り続けるって約束してくれた。
 

店を出てから、先生に「まだ元気あるか?」と聞かれた。
 

「座ってる分には大丈夫」と答えると、ちょっと待っててと言って、
 

バイクで颯爽と走り去った。何だかわからないけど、泣けた。
 

しばらく店の駐車場で待っていたら、先生がホームセンターでメットを買ってきた。
 

それを私にくれて、「後ろ乗って」と言った。
 

先生の腰に回した私の手はすごく頼りなくなっていて、
 

すぐに振り落とされそうだった。
 

「乗りたいけどムリですわ」と私が言うと、
 

先生が、着ていたTシャツを脱いで、
 

私の手をくくりつけてくれた。
 

先生も泣いてた。
 

それから、初めて一緒に走った、近くの登山道へ行った。
 

そのときとは違って、すごくゆっくりだったけど。
 

展望台みたいになってるところでバイク停めて、ベンチで休んだ。
 

先生は
 

「このあと、すごく苦しむかもしれないし、辛いこともいっぱいあると思う。
 

そのときは呼んでくれれば行くから。
 

生きてて良かったと思えることを、まだまだ作ろう。
 

まだ○○(私の名前)は生きてるよ。
 

諦めるな」
 

と言ってくれた。
 

2人して号泣した。
 

誰に話していいかわからないから、ここに書かせてもらいました。
 

週明けに病院戻ることに決めました。
 

正直、昨日告知されてからはじめて、まだ生きてたいと思えたから。
 

わからないけど、もう少しあがいてみます。
 

自己満な文章でごめんなさい。
 

行ってきます。
 
 
 





 

大好きは嬉しい

 
おはようございます。

元気ですか!!



お相手の考えを知る一番の手掛かりは、顔の表情だ。
 
他にも、声の調子や言葉遣い、
動作などからも知ることが出来ますよね。
 
 
その重要さが本能的に解るので、
自ずとそれに人は反応するようです。
 
 
表情の冴えない人とは、
コミュニケーションが図れないのは当然です。

表情や行動の変化に気付くことの重要性を知り、
意識している人は・・・

自然と人生の満足度が上がってくるようですよ。
 

やっぱ、「笑顔」ですよ。




では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!




ベトナム戦争直後のことだ。


ある時、私の友人が

ものすごいどしゃ降りの最中に、

アリゾナのガソリンスタンドに立ち寄った。


出てきた従業員はガソリンを満タンにする間中

口笛を吹いていかにも楽しげだった。


その従業員のユニフォームから水がしたたり落ちているのを見た友人は、


こんな大雨の中にひっぱり出してしまって申し訳ないとわびた。


するとその従業員は、

にっこりしながらこう答えた。


「これが私の仕事ですから」


彼は続けた。


「私はね、ベトナムの塹壕の中でじっと腹這いになっていた時に、誓ったんですよ。


もし生きて無事に家に帰れたら、

どんなに嬉しいことか。


そうしたもう二度とどんな目にあったって決して不平をもらすまいと、


とね。


だから、私には文句というものがないんですよ」



燃えるだけ燃えて生きよ!

アラン・L. マクギニス 著

稲盛 和夫 訳

三笠書房より出典






ではもう1つ




【大好きは嬉しい】


山元加津子さんの心に響く言葉より…


「かっこちゃん、大好きは嬉しい?」

前に勤めていた学校にいたシュウくんが、ある日突然こんなことを聞いてきました。

私は、「大好きは嬉しいね」と答えたら、今度は「嫌いは悲しい?」って聞くんです。

「そうだね、嫌いは悲しいね」と言ったら、畳み掛けるように「大好きはどうして嬉しいの」って聞いてきました。

私、そんなことはいままで考えたこともなかったので、

「そうだね、どうして嬉しいのかな。もし分かったら教えてね」ってずるいんですけどそう言いました。



カオリちゃんという中学二年の女の子がいました。

言葉を話すことができないお子さんで、笑ったり泣いたりとかいうこともほとんどなくて、いつも教室の隅にぽつんと独り立っていました。

お母さんの連絡帳には以前こんなことが書いてありました。

「…カオリに障害があると分かった日から、一度でいいから私のことを「ママ」と呼んでくれたらとずっと願っていいました。

繁華街で迷子になっても、誰を探すわけでもなくスクランブル交差点のど真ん中で独りぽつんと立っているカオリを見た時、あぁ、この子は私のことを「ママ」となんか絶対呼ばないんだと思いました。

だから、お話するための練習はこの子を苦しめるだけです。

私はカオリがしゃべることはもう夢にも見ないし、少しも望んでいません。

そういう練習をすることは絶対にやめてください」


私はカオリちゃんと一緒にいるうちに彼女のことが大好きになって、放課後にお別れすると、次の日の朝にまた会うのが楽しみでしょうがないくらいになりました。

カオリちゃんも私のことが大好きになってくれたんじゃないかなと思います。

笑ったり泣いたりすることが全然なかったのに、私がそばにいる時はニコニコ笑ってくれるようになって、悲しいときには涙を見せてくれるようにもなったんです。


そんなある日、教卓の隅に無造作に置いてあった分厚い本が、何かの拍子にどさっと床に落ちたんです。

そしたらカオリちゃんがびっくりした顔で目をまんまるにしました。

私は本が落ちちゃったねという意味で「あぁ〜あ」って言ったんです。

そしたらカオリちゃんが私の顔をじっーと見つめて、ゆっくり口を開いて「あぁ〜あ」って言ったんです。


カオリちゃんがしゃべった!

私はもう本当に嬉しくなって、その場でくるくる回って喜びました。

でも…、私は根が欲張りなんですよね。

「あ」が言えたのなら、「い」も言ってほしいと思ったんです。

ですからカオリちゃんに「い」って言ってみてくれる、と言いました。

カオリちゃんはじっと私の顔を見て、「い」って言ってくれたんです!


もう本当に涙が出るくらい嬉しかったんですけれども…

私すごい欲張りなんですよね。

やっぱりどうしても言ってほしい言葉があって。


「カオリちゃんママって言って」と私は言いました。

カオリちゃんはまた私の顔をじっと見つめて、口に手を当てて「ママ」って言ってくれたんです。


私はすぐにお母さんに電話をして、きょうどうしてもお話したいことがあるので、のちほどお家にお伺いしてもいいですかとお聞きしました。

お家にお訪ねして、私はきょうカオリちゃんがしゃべったことを切り出しました。

それまであんなにニコニコしておられたお母さんの顔がみるみる険しくなっていったんです。


そして怒ったように私を睨(にら)んで「お願いしたはずです」とおっしゃいました。

「私はもうカオリにしゃべってほしいなんてこれっぽっちも思ってないんです。

そういう練習をさせることがどれだけこの子を苦しめるのか、お話したはずです。

信じていたのに残念です」


私は必死になって、「お母さん、そうじゃないんです」って言って、カオリちゃんに向かって「カオリちゃん、お母さんのこと呼んで」ってお願いしたんです。

カオリちゃんは、こんどはお母さんの顔を見て、甘えるように、でもはっきりとした声で呼んでくれたんです、「まぁま」って。


お母さんの目がみるみる涙でいっぱいになって、その涙がポロポロこぼれ落ちていきました。

カオリちゃんをきゅっと抱きしめたお母さんは、「カオリ、ありがとう」って二度繰り返してから、声を上げて泣いておられました。


最初にカオリちゃんと出会った頃、言葉をしゃべってほしくて頑張って働きかけたけど、ちっともしゃべってくれませんでした。

その時はその理由が少しも分からなかった。

私はまだなんの関係もできていないうちから、カオリちゃんに話すように頼んでいました。


「大好きは嬉しい」という言葉は、どうしてもできなかったことも、勇気を出して乗り越えることができたり、あるいは生きていく希望が持てたりする、まさに魔法のような、宝物みたいに大切なものなんだなって、そう感じています。

(5月度致知読者の集いの講演より)

『月刊 致知 8月号』致知出版社



人は感じてしか動かない。

だから、「感動」という言葉がある。

理屈や説教や命令では一歩も動かないのだ。

相手が信頼し、共感し、納得し、そして動き出したくなった時だけ動く。


この人になら、何を話しても、自分をさらけ出しても大丈夫、という信頼を得るには時間がかかる。

どんな人間関係でも、まずお互いの信頼が第一なのだ。


「嫌い」と言われて、近づく人はいない。

信頼の第一歩は「大好き」になること。


「嫌い」は悲しい、「大好き」は嬉しい。




できないと思うことに挑戦

 
おはようございます。

元気ですか!!



今日はブログデーではありませんが、明日書いている時間がとれないので、
本日アップします。

また、21日(日)はブログデーですが、アクアラインマラソン出場のため
アップをお休みさせていただきます。

次号は25日(木)の予定ですので、

宜しくお願いいたします。




では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!




【あなたはできないのではない、

できないと錯覚しているだけのことなのだ】


世の中を見渡すと、私にはできない、無理だ、不可能だ、という言葉を口にする人が多い。

そういう人はなかなか積極心が養えない。


したがって、マインド(心)・ファクトリー(工場 製造所)の機能も高まらないため願望も叶わないといっていいだろう。


こういう言葉を口癖にしている人をつぶさに観察すると、一つの共通点を発見することができる。

それは、こんな具合に、条件が悪いことやハンディがあることをさも大きな理由にしていることだ。


私は高校しか出ていないから・・・

大学を出ていないから・・・

子供の頃から身体が弱く無理できないから・・・

通勤(通学)時間が長いため無理できないから・・・


しかし、これは言い訳以外の何ものでもない。


学歴がなくても大成功を収めた人は世の中にゴマンといるし、

身体が弱くても偉業を成し遂げた人だってたくさんいる。


時間も同じで、仕事をしている人の多くは忙しい日々を送っている。


要するに、本当はその気になればできるのに、いちいち理由をつけて言い逃れをしているだけのことなのだ。


だったら とりあえずやってみることだ。


“案ずるより生むがやすし”という言葉があるが、

やってみれば案外簡単にこなせるかもしれないし、自分に自信が持てる可能性だってある。



「マーフィー奇跡を起こす言葉」

植西聰 著

PHP文庫より




先日、こんな言葉に出会いました。


「世の中には2通りの人がいる。


失敗も成功もする人と、


失敗も成功もしない人」


なるほどですね♪





「自分にはできないかも知れないという恐れに真正面から立ち向かうたびに、

あなたは強さと自信と経験を勝ち取るのです。


だから、できないと思うことに挑戦してごらんなさい」


 by エレノア・ルーズベルト(第32代アメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトの夫人)





ではもう1つ




 【母より】


 自分が多少つらくても、腰痛くても頭痛くても、

 子供が元気にしてくれてるのがすごく嬉しいの。



 元気そうな子供の姿見たり声聞いてるとね、本当に嬉しいの。



 別に感謝してくれたり、無理に気にかけてくれたりしなくていいの。


 苦労して育てた自分の子供が、自分の足で立って人生歩んでくれることが、何より嬉しい。


 悩んでる、行き詰ってる子供を見るのは本当につらい。



 何とかしてあげたい、どうにかしてあげたいんだけど、私じゃ何もしてあげられない。


 余計な口出ししちゃって、後悔する事もある。


 あなたにはあなたの考えがちゃんとあるのにね。


 でも、見守るだけしかできないのはつらい。

 苦しんでる姿見ると、心が張り裂けそうになる。



 親なのに、何でこんなにも、何もしてあげられないんだろうって、情けなくなるよ。


 今楽しいあなたへ。

 あなたが楽しく生きているという事実が、お母さんの生きがいです。



 今苦しいあなたへ。

 何もしてあげられなくてご免なさい。頼りなくて本当にごめんなさい。


 でも、つらくても生き抜いてください。


 お願いだから、自暴自棄になったり、自分を卑下したりしないでください。


 生きる場所は必ずあります。

 生きる道は必ずあります。



 アナタが、もがいて、もがいて。

 そこに辿り着くことを毎日祈っています。


 私にできることが何かあるなら、どうか言ってください。


 誇大表現でも何でもありません。


 あなたが強く生きてくれることが、お母さんは自分の命よりも大事です。








毒蛇

 
おはようございます。

元気ですか!!



人間にとって最大の危険は、
高い目標を設定して達成できないことではなく、
低い目標を設定して達成し、
満足してしまうことである。
 
西洋のことわざだそうです
どうですか、お読みになって・・・
私は、ドキッってしました。
 
みなさんには、思い当たる節はないでしょうか?
 
きっと・・・
「満足してしまう」というのが、最大のポイントですね。
 
自己成長し続けていく人生を送る人は、
今の自分に「満足」していない。
 
スポーツや音楽の世界をはじめ、
あらゆる分野で結果を出し続けている人は、
絶えず自己成長し続けている。
 
その原動力はどこからくるのだろうか?
それは現状の自分に対する「自分への不満足感」からくるのです。
 
「まだまだ」・・・とか
「このレベルで終われない」・・・の
「不満足感」が、自己成長へと私たちを駆り立てていく。
 
ここで確認ですが、
全ての事に「感謝し満足」する心と、
今の自分に対して「満足」している心は、
根本的に異なるのです。
 
さてさて・・・
自分の今のレベルに対して、思いっきり「不満足感」を持とう。
「まだまだこんなもんじゃない、今からが本番だ」
それが、未来の新しい自分を創造する原動力になるのだから。




では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!



もしも・・・

非難、誹謗、中傷、悪口を言われたら


どうします?


どうします?



[悪口を言われた時]の対処法を

お釈迦さまにならいましょう♪


お釈迦さまとお弟子さんたちが托鉢して歩いている時のことです


ある町民が文句を言ってきました


『お前たちは托鉢と言いながら、人に物をもらって生きているじゃないか!

俺たちはこうして額に汗して働いているのに』


と、悪口が延々と続きます


お釈迦さまは黙って聞いておられました


そのうち、町民が言い疲れて黙るとお釈迦さまは聞きました


「言いたいのはそれだけですか?」


『そうだ』


「そうですか、ではさようなら」

と、その場を立ち去りました


しかし、お弟子さんたちは納得出来ず


「お釈迦さま、どうして黙っていたのですか」

と詰め寄ります



お釈迦さまは

「お前たちは、誰かが毒蛇を持ってきたら受け取るのか」

と聞きます


お弟子さんは「まさか、受け取るわけがない」と言うと


釈「受け取らなければ、その毒蛇はだれの物になる?」

弟「持ってきた人がそのまま持ち帰るしかないでしょう」


釈「そうだろう。

だから先ほど私は悪口という毒蛇を受け取らなかったのだ。

悪口という汚れた心は、あの人が持って帰ったのだよ」





ではもう1つ



「私は獣医として働いているが、

ある日『ベルカー』と言う名前の10歳になるウルフハウンドを診るために呼ばれた。


主人のロン、その妻リサ、そして小さな息子のシェインは3人ともベルカーが大好きで、

何らかの奇跡が起こってくれないかと期待していた。



ベルカーを診察してみると、ガンで余命わずかであることがわかった。

もうベルカーは手遅れなことを家族に伝え、家庭で安楽死させる選択肢があると伝えた。


各種手続きを取っていると、夫婦は6歳の息子シェインにもその処置を見せるつもりだと私に言ってきた。

シェインがその経験によって、何か学ぶものがあるかもしれないと感じたようだ。


その翌日、私はベルカーの家族に囲まれながら、喉に何かひっかかるようなものを感じていた。

歳を重ねた犬に最後の抱擁をするシェインは落ち着いているように見え、

私はこの子が状況を理解できているのか疑問に感じていた。


数分のうちにベルカーは安らかに、眠るように息を引き取った。

シェインはベルカーの変化を特に混乱することもなく、難なく受け入れたようだった。


私たちはベルカーの死後、しばらくそこに座り、動物の命が人間のものより短いと言う、悲しい現実について話し合った。


静かに会話を聞いていたシェインが突然、「どういうことか、わかるよ」と言った。


私たちは驚き、全員が彼の方を向いた。


彼がそのときに放った言葉は私を驚かせた。

それまで、これほど心地よい説明を聞いたことがなかったからだ。


彼はこう言ったのだ。

「人は、いい人生の過ごし方を学ぶために生まれてくるよね?


いつもみんなを愛することとか、

人に優しくすることとか。

だよね?」


そしてその6歳の少年は続けた。


「ほら、犬はもうそれをすでに知ってるんだから、

そんなに長いこと、この世にいなくていいんだ」



 〜〜〜


 らばQより






時代の波


おはようございます。

元気ですか!!



たまたまなんです


あなたがそんなに


「いい歌だね」って


言ってくれた曲が書けたのは



自分自身で感動できる曲って

そんなにたやすく生まれてはくれない



本当にたまたまだったんです




でも

その曲を書いた夜


僕がギターを抱えノートの前に座っていたことは


たまたまではないんです




あなたが生まれてきたことが


決して


たまたまではなかったように




宮沢和史・詩





では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!



【時代の波を切る】


小林玖仁男(くにお)氏の心に響く言葉より…


なぜ大金持ちが誕生するのか?

パッと答えられないでいましたが、それをパッと教えてくれたのが山形県遊佐町の『にしん御殿・青山本邸』でした。


青山留吉さんは、幕末に貧しい漁師の六男として生まれ、苦労の末ににしん漁で巨万の富を得ることになります。

村税の8割を納めていたほどの富豪で、この本邸は故郷に錦を飾った御殿。

金持が贅を尽くして粋を集め、文化遺産を残してくれるのは大変いいことです。


「にしんを取っていても、多く獲る人とそうでない人の差がでます。

当時は魚群探知機もありません。

漁場を見つけていち早く到着し、一網打尽で獲る人が富を得たのです」


「つまり早い船を開発したものが勝利する。

富を得た漁師とは、漁師というより船舶設計者として優れていた人なのです。

青山翁は、早い船の開発者として群を抜いたのです」


「船には三種類あります。

一つは波に乗る船。

二つに波を除(よ)ける船。

三つに波を切る船です。

波に乗る船は早いですが違う方向に行ってしまうこともあります。

波を除ける船は転覆しづらいけれど遅くなります。

いちばん早いのが波を切る船で、最短距離で漁場に着きます。

青山翁はこの波を切る構造の船の開発力にたけていたのです」

『運のつぼ77』ワニブックス【PLUS】新書



時代により、乗り物は変わる。

馬や、駕籠(かご)、馬車や人力車から、汽車になり、自動車になった。

もうすっかり自動車の時代なのに、馬の乗り方を覚えても乗る機会はない。

同様に、船のこぎ方の技術を一生懸命磨いたとしても、エンジンのついた船にはかなわない。


にしん漁も、最初は船のスピードが一番要求されただろうが、その次は精度のいい魚群探知機が必要かもしれない。

時代によって、要求されるものは全く違う。


時代は変化しているのに、見当違いの努力をしている人は多い。

成功する人は、時代のニーズを知り、ボーリングで言えば、先端の重要な一点であるセンターピンを狙っている人。


たとえ、外野の連中が「狙う場所が違う」、と騒ぎ立てたとしても、たった一人、逆方向に向かって歩いていく勇気を持っている人だ。

時代の波を切って、自分の信じた道を進む気概ある人でありたい。




ではもう1つ



イベント業界で注目を集め、毎年5000人が押し寄せる

“居酒屋甲子園”。

このイベントに刺激を受けて立ち上がったイベントは
等数知れず。


“治療家甲子園”

“パチンコ情熱リーグ”

“熊本飲食店グランプリ”

“エステグランプリ”

“マザー・ニア”

“介護甲子園”・・・


これらのイベントを通じて業界の
活性化が進んでいる

人が集まるイベントの裏方、
好業績企業の裏方に、
今日の男がいる。

この男も29歳までは
ごく普通のサラリーマンだった。


さあ・・・

村上博志様の登場です!


「今日が人生最年少!」

無気力な日々を過ごした学生時代。

高校での成績はだいたい赤点で
春休みに学校に通うという条件で、温情卒業。

もちろん、浪人。

大学に入るもパチンコと競馬の日々。

なにやってんだろ、オレ・・・

そんな人生がたった一冊の本で変わった。

D・カーネギーの「道は開ける」。


すべてが衝撃だった。

以来、本を読みあさった。


その時、一生懸命やる事の方が
無気力より楽なのだと知った。

29歳、
ベンチャーの立ち上げに参加し、もっとがむしゃらに働いた。

1ヶ月に400時間以上働いた。
サービス開始3ヵ月後の月商、
1万5000円から、
6年で年商17億円になった。

これらが評価され、32歳で役員になったが、
二度目のドン底がやってきた。

燃え尽きたのだ・・

9ヶ月間フリーターとして過ごした。

そんな時に、2つの言葉に出逢った。


松下幸之助氏の
「人は、私利私欲に走った時と目先の事に囚われた時に息詰まる」

知覧の富屋旅館で見た特攻崩れの方の式典での話、
「世の為、人の為に行動する時、若者の目は輝くという事、
それは、今も昔も変わらない事だと思います」

今、僕はイベントやセミナーを通じて、「感謝」を知る為に
対極にある「当たり前」の概念の破壊や「夢や希望」を持つために
その対極の「絶望」を間接体験で伝える事に挑戦している。

夢を持ちたければ、人の夢を応援すればいい。
楽しい人生にしたければ、人を楽しませればいい。
お金持ちになりたければ、
人をお金持ちにするように応援すればいい。


全ては

自分の行動の跳ね返りなのだから!


“今日が人生最年少”

今日もいい日だ!






あきらめないで

 
おはようございます。

元気ですか!!



今日はブログデーではありませんが、明日書いている時間がとれないので、
本日アップします。


「感謝の心に不満宿らず」



では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!



ゴールドラッシュの時代のこと、

ダービーという人が、コロラド州に金脈を持っていました。


金脈からは金がたくさん出ましたが、それもしばらくのことで、やがてさっぱり出なくなったように思われました。


ダービーはもう少し奥まで、またもう少し深くまで掘ってみました。

しかし金は少しもとれませんでした。


そのため、掘るのをやめ、採掘の道具と金鉱を数百ドルである探鉱者に売りました。


ところが、この探鉱者は、ダービーが掘るのをやめた場所から三フィート(約九〇センチ)と離れていないところで、数百万ドルの価値ある金脈を掘り当てたのです。


この出来事によってダービーの人生は変わりました。


金脈からわずか三フィートのところで作業をやめてしまったという過ちを、ダービーは決して忘れませんでした。


数年後、ダービーは言いました。

「あれは、不幸に見えて結局は幸福をもたらすものになった。

僕は、どんなに大変な状況であっても、あきらめないで頑張り続けることを教わった。

もっと早くに学ぶべきだったが、今じゃどんなことでもあきらめないで頑張れるようになっているよ」



「巨富を築く13の条件」

ナポレオン・ヒル 著

きこ書房より




このダービーさんは、金脈を掘り当てなかった時の経験があって良かったと言っています。

あきらめそうになったとき、このお話を思い出して頂けたらと思います♪

もの凄く困難が押し寄せてくるときは、あと一歩の所まで来ていることが多いそうですよ♪



「逆境には必ずそれよりも大きな報酬の種が隠されているものだ」

 by ナポレオン・ヒル(アメリカの成功哲学者)




ではもう1つ



マニュエル・ガルシアは元気で、たのもしく近所でも働き者と評判の父親だった。


妻に、子供に、仕事に、将来、すべて計画どおりに運んでいた。


ある日、マニュエル・ガルシアは腹の痛みを訴え原因をしらべに診療所へ行った。


身体にはがんの細胞が自然の摂理を犯して広がっていた。


そこでミルウォーキー郡のマニュエル・ガルシアは町の病院に入院した。


とたんに39年の人生が砂時計のように流れ落ちていく思い。


「どうすればいい?」とマニュエル・ガルシアは泣いた。


「基本的には2つある」と医者は宣告した。


「ほおっておけばすぐにも命取りになるが、治療は痛いし、治る保証もない・・・・・」


こうして始まった、マニュエルの辛苦の日々----


薬づけの長い眠れぬ夜また夜、長くさびしい廊下に足音がこだまし、彼の時間と分とを刻んで消える。


身体の中で何かが自分を蝕んでいると思うとマニュエル・ガルシアは絶望に目の前が暗くなった。


9週間の治療のあと、医者が来て言った。


「マニュエル、私たちはあらゆる手を尽くした。きみのがんはいま小康状態。ここからはきみしだいだ。」


マニュエルは鏡を見た、悲しくおののく見たこともない顔。


青ざめ、しわだらけで、さびしげにおびえている。


患い、見捨てられ、誰にも愛されていないおれ----


体重はわずか57キロで髪の毛もない。


自分に先立たれた妻カルメンの60のときを思う。


父親のいない4人の幼な子はどうなる?


フリオの家でのカード遊びにも、もう行けまい。


やりたいことはいろいろあったのに。


退院の日、ベッドのまわりを動き回る足音に起こされ、マニュエルは目をあけたが、まだ夢の続きだと思った----


妻と4人の友人がそろってつるつる坊主だ。


彼はまばたきして、信じられずに目をこらした。


ぴかぴかの頭が5つ並んでいる。


それでもまだみんな黙っていたがやがてみんな大笑いし、そして泣き出した。


 病院の廊下は人々の声であふれた。


「友よ、おまえのためにしたことさ」と友人たちは言った。


彼を車椅子でつれだし、借りてきた車まで運んだ。


「おれたちがついているよ」


マニュエル・ガルシアは懐かしい町に帰りふた間のアパートのまえで車をおりた。


日曜だというのに、近所はいつになくさびれて見えたが彼は深呼吸して帽子をかぶり直した。


だが家に入ろうとしたとたん、玄関のドアがぱっと開いて、マニュエルはなじみの顔また顔に囲まれていた---


懐かしい者たち、家族の友だち、50いくつもの顔がみなくりくりに剃った頭で言ったのだ「お帰りなさい!待ってたよ」


だからマニュエル・ガルシアはがん患者で、父親で、夫で、隣人で、友人の彼はこみあげるものをこらえて言った。


「しゃべるのは苦手なおれだが、これだけはどうしても言わせてくれ」


「おれはこの頭でたまらなく孤独だった。


でも、いまはみんながおれの力になってくれてる。


天に感謝するよ。


おれが必要とする力をくれたみんなに神の祝福あれ、
愛の意味を知ったこの人生、万歳。


おれが必要とした愛をくれたみんなに神の祝福あれ、
愛の意味を知ったこの人生、万歳」  
                        

〈こころのチキンスープより〉



誰かの為にここまで出来るだろうか?


自分に何かあった時に、ここまでしてくれる人がいるのだろうか?


よくよく考えてみると、


自分のしてきたことの積み重ねしかないんじゃないかと思います・・・


してあげた事は忘れ、


してもらった事をしっかり覚えていきましょうね♪



「富と力を持ったとしても友人知人の恩を決して忘れるな」


 by エジプトの格言






徳川家康さんの遺訓


おはようございます。

元気ですか!!



これから先に起きる失敗が気になって仕方のない人。
いらっしゃいませんか?
 
先に失敗を想定し、
その対策を万全にしておきたくなるということでしょうか。
 
しかし・・・
私たちは、「失敗したらどうしよう」と考えた瞬間から、
失敗に向かって進むようです。

・・・ヤバイ。
 
考えが失敗からスタートしているので、
潜在意識には失敗が「目的達成」になってしまうのです。
 
成幸した時の、幸福感を・・・ワクワク感を・・・
あたかも、もう成幸したかのように、リアルに感じられるまで、
イメージする。意識する。
 
このリアル感で潜在意識が、
いつでも軌道修正してくれて、
成幸まで導いてくれるのです。
 
肯定的に未来をイメージしてくださいね。
そうです、明日のコトだって、あなたのイメージ通りになりますよ。




では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!



265年にわたる徳川幕府を築いた、


徳川家康さんの遺訓です。





一、人の一生は、重荷を負うて遠き道をゆくが如し。急ぐべからず。


一、不自由を常と思えば不足なし。


一、心に望み起こらば、困窮したるときを思い出すべし。


一、堪忍は無事長久の基。


一、怒りは敵と思え。


一、勝つ事ばかり知りて、負くること知らざれば、害その身に至る。


一、己を責めても人を責めるな。


一、及ばざるは過ぎたるより勝れり。




今の時代でも十分通じるお言葉ですね♪


リーダーたる者の心得だと思います。


江戸時代〜昭和にかけて、


豪商・豪農(つまり超お金持ち)と言われた、


伊藤家の二代目「伊藤長次郎」さんが遺した家訓の中に、


一、幸せとは、勤勉さと辛抱によって手に入れるものである。それ以外に、幸せも幸運もない。


一、幸不幸は家につくものではなく、人が招くものである。したがって運次第という者は阿保である。


一、四十歳になるまでの無事、幸せは役に立たない。若いときは難儀して、老いて幸せになるのが吉である。坊主も武家も難儀した者ほど大物になる。末を思って辛抱しなさい。


ともあります。



ということは!!!


今、


難儀(悩み苦しみ、苦労している)人は、


幸せになるか、


大物になる!!!


もう一度言いますっ!


今、


悩み苦しみ、苦労している人は、


「幸せになるか、大物になる!!!」


おめでとうございます♪♪


自分を信じて、


自分の可能性を信じて♪




「戦いでは強い者が勝つ。


辛抱の強い者が。」


 by 徳川家康(江戸幕府初代将軍)




ではもう1つ



 母を誇りに笑い一筋

 右耳は聞こえなくても・・・



 滝川広志さん(49)


 13歳の夏、右耳を激痛が襲った。

 耳の奥からは異臭を放つ膿(うみ)があふれ出ていた。

 診断結果は「真珠腫性中耳炎」


 中耳炎を繰り返すうちに組織の一部が真珠のように増殖し、耳の周りの骨を破壊する病気だ。



 手術で患部を除去。



 足の皮膚を移植して鼓膜の形成手術もしたが、聴力は戻らなかった。



 滝川広志さん(49)の右耳は、今もほとんど聞こえない。



 周囲に打ち明けると、誰もが「うそでしょう?」と驚く。


 難聴のハンディを全く感じさせないからだ。


 「広志君、右耳がだめでも左耳がある。

 何とかなるよ」


 そう笑い飛ばした母の強さと優しさに支えられた。



 熊本市で生まれた。

 幼いころに両親が離婚。



 病院の看護助手をしていた母と1歳上の姉の3人家族。


 生活は苦しかった。

 普段の食事はご飯とおかず1品。


 月に1度、80円のラーメンがごちそうだった。



 「貧しかったけど、それが普通だと思っていたし、不幸だとも思わなかった」



 ただ、子どもなりに家にお金がないことは分かった。


 小学生のころから自覚症状があった中耳炎を放置したのも、

 母にお金のことで心配をかけたくなかったからだ。



 右耳の手術後、新聞配達を始めた。


 母を助けることができるし、欲しいものを買うこともできる。



 初めは夕刊を配り、やがて朝3時に家を出て朝刊も配った。



 幼いころから中古の白黒テレビが姉弟の宝物だった。


 声が筒抜けの2軒長屋。


 音量を絞り、テレビにかじりついた。

 「サインはV」「柔道一直線」「8時だョ!全員集合」・・・。



 歌番組では振り付きで歌手をまねし、姉と批評し合った。


 ドラマでは動きに合わせて勝手にせりふを重ねる「当てレコ」に興じた。


 はまったときは2人で笑い転げた。



 そんなテレビ遊びから生まれた「ものまね」が、

 目立たない存在だった姉弟を変えた。



 中学校の教室。

 人前でものまねをする快感を知った。


 姉がまず人気者になり、広志さんも続いた。


 「滝ちゃん、よか」「よかばい」

 教室で、近所のスナックで喝采を浴びた。


 歌を覚えるにも、不自由さは感じなかった。



 右耳が聞こえない分、左耳に意識を集中し、目で観察した。



 「難聴がものまねには良かったのかもしれないですね」



 母譲りの楽天的な性格が、その後の人生も切り開いてゆく。



 広志さんは今年、芸能生活30周年を迎えた。



 芸名は「コロッケ」。


 3月には「長年の夢だった」という博多座(福岡市)の舞台に立つ。



 人情喜劇とものまね歌謡ショーの1カ月座長公演。


 「あきらめなかったからここまで来れた。


 ようやく九州出身の芸人として故郷に認めてもらったような気がします」



 滝川家の家訓は「あおいくま」


 焦るな、おこるな、威張るな、腐るな、負けるな


 の頭文字だ。



 幼いころ母が部屋に張り出した教えを胸に、謙虚に芸を磨く。


 〜〜〜

 出典

 西日本新聞/2010.01.28


 
 

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