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  • 2013.03.24 Sunday
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道端の花

 
おはようございます。

元気ですか!!


今日はブログデーではありませんが、明日書いている時間がとれないので、
今アップします。


「この人は嫌だな!」って思ったことありますか?
人は「好き」「嫌い」を、脳の扁桃核で、瞬時に判定してしまうのです。
 
「嫌いだ」と思って、言ってしまえば・・・
嫌いなところばかりに目がいきます。
 
「好きだ」と思って、言えば・・・
いいところばかりに目がいきます。
 
本能的に、脳の扁桃核で判定されてしまっては、
人間関係は、うまくいかないことが多々発生しちゃいます。
今日は、打開策を一つご提示します(^−^)
 
別の構造の一つ大脳新皮質を利用して、
「好き嫌い」を・・・
●「好き」
●「好きなほうではない」
●「嫌い」
この3つに分類してくださいね。
こうすると、なんと・・・
「嫌い」に分類されることが少なくなるのです!
 
ネガティブな言葉は極力使わず、
ポジティブな言葉で、脳の反応をごまかしてみる!
 
これいいでしょう(^−^)



では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!



インドの、ある水汲み人足(荷物の運搬や普請などの力仕事に従事する労働者)は二つの壷を持っていました。
天秤棒の端にそれぞれの壷を下げ、首の後ろで天秤棒を左右にかけて、彼は水を運びます。

その壷の一つには、小さな穴が開いてました。もう一つの完璧な壷が、小川からご主人様の家まで一滴の水もこばさないのに、穴の空いた壷は人足が水をいっぱいに入れてくれても、ご主人様の家に着くころには水が半分になっているのです。

穴の空いた壷は、そんな自分を恥じてました。

ある日、すっかり惨めになった壷は、川のほとりで水汲み人足に話しかけました。

「私は自分が恥ずかしい。そして、あなたにすまないと思っている」
「何故そんな風に思うのか?」
水汲み人足は尋ねました。

「私はこの穴のせいで、あなたのご主人様の家まで水を半分しか運べない。あなたがどんなに努力をしても、その努力は報われない。私はそれがつらいんです。」と壷は言いました。

水汲みの人足は、壷を気の毒に思い、
「これからご主人様の家に帰る途中、道に咲いているきれいな花を見てごらん」と、言いました。

天秤棒につるされて帰る道、壷はお日様に照らされて美しく咲き誇る道端の花に気付きました。
花は本当に美しく、壷はちょっと元気になりました。しかし、ご主人様の家に着くころには、また半分になった水を見て人足に謝りました。

すると水汲みの人足は言ったのです。

「道端の花が、君の側にしか咲いていないのにきづいたかい?
僕らは君からこぼれ落ちる水に気付いて、君が通る側に花の種をまいたんだ。
そして君は、毎日水をまいてくれた。
僕はご主人様の食卓に花を欠かしたことがない。
君があるがままの自分だったから、ご主人様はこの美しい花を毎日見ることができたんだよ。」




ではもう1つ



高校を卒業してすぐに就職をした。


始めは仕事を覚える為に一生懸命働いた。


販売業だったので土、日、祝日は特に忙しい。


朝の5時〜夜の12時なんてよくあった。


俺の上司はただ一人。


そして俺が居て、パートさん達でがんばった。


どんなに忙しくても、パートさんは働かせる時間が決まってるから、


俺は上司と二人だけで、次の日の用意などを12時位までやる。


仕事を初めてから二年がたち、


労働と賃金に不満が出てきた。


辞めようと思うけどなかなか言えない俺。


ある日上司が、


「忙しくても夜の9時には帰ろう」と、言い出した。


俺はそれでも働きすぎだが、嬉しくてしかたなかった。


それからは、


9時には帰り、家でゆっくりする事も増えた。


夜の1時位にコンビニに、煙草を買いに出掛けた。


自分の店の前を通ると光がついている。


俺は消し忘れたかな?と思い店の方に行った。


上司が一人で次の日の用意をしている。


「俺は上司に何してるんですか?」と聞いた。


そしたら上司は、


「お前はまだ20歳だもんな。


仕事じゃなくて遊びたいだろ。


気づいてやれなくてごめんな」と。


上司は俺が辞めようとしてた事を気づいてたみたいだ。


俺は号泣した。


こんなにも思っていてくれたとは・・・


それから数年後の今。


小さいながらも上司は八百屋を始めた。


そして


部下は俺。


俺は尊敬できる上司の店で頑張っている。


キャベツや大根を売ってる上司は輝いて見える。





弁当

 
おはようございます。

元気ですか!!


人生に起こる出来事を

コントロールするのは

自分自身だよ



では今日もいい話を2つ紹介しちゃうね!!



[100%幸せな1%の人々]

小林正観著

中経出版より

 

人間関係をオールマイティーに解決する方法が2つあります。


1つは、「自分のまわりの500人すべてを人格者に変えてしまうこと」。


ただ、この方法だと1人変えるのに、説得に次ぐ説得を重ねて

2年くらいはかかるので、500人を変えるには1000年かかる勘定になり

事実上これは不可能といえます。


もう1つの方法は、「自分自身が人格者になってしまうこと」です。


まわりの500人を人格者にするというのも、穏やかで

にこやかな温かい日々を得ることにはなりますが

もう1つのこの解決方法は、自分が人格者になってしまうということです。


人を変えるということは、大変なことです。

なかなか人は変わってくれませんし

しかも自分の思うようには変わってくれません。

 

仮に、変わってほしいと思われる人の立場から考えます。

その人にも500人の人間関係があります。


Aさんは、その人にこう変わってほしいと思う。

そのように変わったときに、今度はBさんは違う人格者になってほしいと思い

Cさんはまた別の要求をします。

 

500人の要求をいちいち聞いていたのでは、その人は頭がおかしくなってしまうでしょう。

 

ですから

「私」の思いどおりに他人を変えることはできない

ということをまず理解する必要があります。


ただ、「私」が変わることは簡単です。

なぜなら、変えるべき相手が1人だけであり、変えるべき相手が自分ですから

自分が変わりたいように変わればいいからです。


イライラしたくない、腹を立てたくない、人と争いごとをしたくない

何かを言われたときにそれをいちいち気にするような自分でありたくない

と思うのであれば、自分が希望するような、自分にとって好ましい自分を

自分が作り上げればいいわけです。

 

他人を変えるのは大変なことですが、自分で自分を作り変えるのは簡単です。


なぜならば、その人格でいることが、自分にとって一番心地よいのですから。

 

世のため人のため、まわりのために

「あなたは人格者になるべきだ」

と精神論や観念論として言っているわけではありません。


まわりの現象や出来事にいちいち過剰反応せず

いつも同じ笑顔と穏やかさで、ニコニコしながらすべての現象をとらえるということが

自分にとって一番ラクであり得なのだから、そうするといいのではありませんか

と提案しています。

 

「自分が変われば世界も変わる

自分が変われば楽しくてしょうがなくなる」

by養老孟司





ではもう1つ



【お弁当】


小1の秋に母親が家を出ていき、

俺は親父の飯で育てられた。


当時は親父の下手くそな料理が嫌でたまらず、

また母親が突然いなくなった寂しさもあいまって、

飯のたびに癇癪おこして大泣きしたりわめいたり、

ひどい時には焦げた卵焼きを親父に投げつけたり

なんてこともあった。

 

小2の春にあった遠足の弁当もやっぱり親父の手作り。


俺は嫌でたまらず、一口も食べずに

友達にちょっとずつわけてもらったおかずと

持っていったお菓子のみで腹を満たした。


弁当の中身は道に捨ててしまった。


家に帰って空の弁当箱を親父に渡すと、

親父は俺が全部食べたと思い

涙目になりながら俺の頭をぐりぐりと撫で、

「全部食ったか、えらいな!ありがとうなあ!」

と本当に嬉しそうな声と顔で言った。


俺は本当のことなんてもちろん言えなかった。


でもその後の家庭訪問の時に、

担任の先生が俺が遠足で弁当を捨ててたことを親父に言った。


親父は相当なショックを受けてて、

でも先生が帰った後も怒鳴ったりはせずただ項垂れていた。


さすがに罪悪感を覚えた俺は気まずさもあって

その夜、早々に布団にもぐりこんだ。


でもなかなか眠れず、やっぱり親父に謝ろうと思い

親父のところに戻ろうとした。


流しのところの電気がついてたので

皿でも洗ってんのかなと思って覗いたら、


親父が読みすぎたせいか

ボロボロになった料理の本と

遠足の時に持ってった弁当箱を見ながら泣いていた。


で、俺はその時ようやく、自分がとんでもないことを
したんだってことを自覚した。


でも初めて見る泣いてる親父の姿にびびってしまい、

謝ろうにもなかなか踏み出せない。


結局俺はまた布団に戻って、心の中で何回も謝りながら泣いた。


翌朝、弁当のことや今までのことを謝った俺の頭を
親父はまたぐりぐり撫でてくれて、

俺はそれ以来親父の作った飯を残すことは無くなった。

 

親父は去年死んだ。


親父が病院で息を引き取る間際、

俺は悲しいのと寂しいので頭が混乱しつつ、

涙と鼻水流しながら

「色々ありがとな、飯もありがとな、卵焼きありがとな、

ほうれん草のアレとかすげえ美味かった」

と言うと、

親父はもう声も出せない状態だったけど

微かに笑いつつ頷いてくれた。


いまだに弁当のこととか

色々思い出し、切なくて申し訳なくて


泣きたくなる。。。

 


僕のお父さんは・・・

 
おはようございます。

元気ですか!!



一生懸命に生きている人は、愚痴をこぼさない。
 
愚痴をこぼすような事を考えるより、
自分に目を向けている方に真剣なのですね。

・・・まあ、そんな暇もないってこと
 
また・・・悪口は、
言っている方と言われている方では、全く違った生き方をしているようです。
 
言われている人は、真剣に生きている人で、
言っている人は、立ち止まっている人ってこと。
 
人生は、「自分」次第です。
 
如何に向上し幸せになるかを真剣に考える事で、
他人の事をとやかく言う事には興味が無くなるようですよ。



では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!




ある地方の電気店でのこと。


サラリーマンをしている男性が、故郷に帰ったときに、

テレビを買ってあげるために、父親を連れてその電気店に出掛けました。



父親は、パソコンの前で、キーボードを叩き興味深そうに見ていました。


息子さんは、店員さんに、

「パソコンのパの字も知らない年老いた父親に、

パソコンを買ってやりたいけれど、

貴店では少し使えるまで面倒をみてくれますか?」



その店員さんは、


「大丈夫です。必ず面倒を見ます」

と言ってくれたので買うことにしたのでした。



しばらくすると、父親から故郷の写真を添付してメールが届きました。


こんな短時間で覚えたことに驚き、父親に訳を聞いたそうです。


電気店の担当者が、「自宅への帰り道だから」と、

毎日家に来て、手取り足取り教えてくれたのだそうです。



どうしてもお礼が言いたくて、お店に電話をすると、担当者は不在でした。


そこで、代わりに応対した人から、意外な事実を知ったのでした。


毎日、教えに来てくれた担当者の家は、

実は、帰り道でもなんでもなく、


まったく反対方向だったというのです。



[日本でいちばん大切にしたい会社]

坂本光司著

あさ出版より





ではもう1つ



大変感動するお話です♪



〜〜〜〜〜〜〜〜



小学生の時僕はイジメられていた。


無視されたり叩かれたり・・・死にたいとは思わなかったけど学校に行くのはとても辛かった。


イジメをするのは一部のクラスメートだけだったけど他の子たちは自分もイジメられるのが怖くて、誰も助けてはくれなった。


ある日授業で「自分のお父さん」の事について作文を書く授業があった。


先生はなんでもいいんだよ。


遊びにいった事とかお父さんの仕事の事とかでいいと言っていた。


けど僕はなかなか書く事ができなかった。


クラスの子達はみんな楽しそうに書いている中、僕一人教室のなかでひとりぼっちだった。


結果から言うと作文は書いた。


書いたのだが「自分のお父さん」というテーマとは違う事を書いた。


あとで先生に怒られるかも・・・またこれがきっかけでイジメられるのかなと子供心にとても不安だった。


でもそれしか書けなかった。


作文は授業の終わりと同時に集められ先生は「じゃあ来週発表会をします。」と言った。


先生はそのまま教室を後にした。


その後は頭を叩かれてイジメられているふだんの僕がいた。


「じゃあ今日は発表会をしてもらいます。」


今日は作文の発表会の日。


先生が選んだ中から順に書いた本人に読んでいってもらいますと先生は言った。


「僕のお父さんは・・・」


「私のパパはよくおならをします。」


クラスの子たちのおもしろい文章にみんな笑ったり、お父さんの仕事に驚いたりしていた。


でも僕は全然聞いていなかった。


ただひたすら「僕の作文は選らばませんように」ただ祈って下を向いているだけだった。


発表会は順調に進みあと10分で授業も終わるところまで来ていた。


僕は少し安心していたのだがその期待は無駄だった。


「じゃあ最後に〇〇君に読んでもらいます」


頭の中は真っ白だった。


「あの、先生・・・僕はお父さんの事書いてないです。」


クラス中から非難の声が上がった。


バカじゃねえの?廊下に立ってろよオマエ


様々な声が飛び交ったが非難の意見はみんな一緒だった。


もうどこにも逃げられなかった。


「静かにしなさいっ!」


突然の大声に教室は静まり返った。


「先生はどうしても読んでもらいたいの。だからみんな聞いてください」


「さあ読んでください」


「ぼくのお父さん」


「僕のお父さんはいません。


幼稚園の時に車にはねられて死んだからです。


だからお父さんと遊んだのもどこかへ行った事もあまりありません。


それにお父さんの事もあまりおぼえていないです。


写真があるのでみましたがおぼえていないです。


だからおばあちゃんとお母さんのことをかきます。


お母さんは昼間しごとにいってお父さんののかわりに働いています。


朝はやくから夜おそくまでいつも働いています。


いつもつかれたといってますが甘いおかしやたいやきを買ってきてくれるのでとてもだいすきです。


おばあちゃんはげんきで通学路のとちゅうまでいつもいっしょに歩いてきてくれます。


ごはんはみんなおばあちゃんが作ってくれてとてもおいしいです。


お母さんが働いているので父兄参観の時にはおばあちゃんが来てくれます。


みんなはおまえの母ちゃんババァなんだとからかってくるのではずかしったけど


でもとてもやさしいいいおばあちゃんです」


「だからお父さんがいなくても僕はあまりさびしくありません。


お母さんとおばあちゃんがいてくれるからです。


お母さんはお父さんがいなくて


ゴメンねと言ったりするので早く僕が大人になって仕事をして


うちの家族のお父さん代わりになってお母さんとおばあちゃんの生活を楽にしてあげたいと思います


だからおばあちゃんには長生きしてねといつもいっていて、


お母さんにはいつも肩をもんであげています。


二人とも泣いたりするのですこしこまるけど


そんなお母さんとおばあちゃんが僕は大好きです。」


一気に僕はしゃべった。


先生には死んだお父さんのことを書けばいいのにと言われると思ったし、


クラスの子達からはおまえお父さんがいないのか?


もしかして捨て子だったんじゃねえか?


とまたイジメられるのかなと思ったりしていた。


顔をあげる事もできなかった僕は救いを求めるように先生の顔を見てみた。


先生は立ったまま泣いていた・・・


先生だけではなかった。


他の子たちもみんな泣いていた。


僕が始めて好きになった初恋の子は机にうずくまって泣いていた。


イジメていた子たちもみんな泣いていた。


でも僕にはなぜみんな泣いているのか分からずにいた。


どうして?


お父さんがいないからお母さんとおばあちゃんの事を仕方なく書いたのに。


どうしてみんな泣いているのだろう?


「〇〇君・・・」


「はい・・・」


「先生は人の心が分からないダメな先生でした。


ゴメンなさい。


世の中には親御さんのいない子もいるのにね。


そういう子たちの事も頭になくてお父さんの事を書いてだなんて、


あなたの事も知らなかったとはいえ本当にごめんなさいっ!」


先生は顔を覆ったまま泣き崩れていた。


それがその日起こった出来事だった。


次の日からなぜかイジメられなくなった。


相変わらず口悪くからかったりはされたけど殴られる事はなくイジメのリーダー格の子に遊びに連れていってもらえるようになった。


先生はその後の家庭訪問でその日の出来事をおばあちゃんに話して謝っていた。


作文の事は僕は話もしていなかったので少し怒られたけど話を聞いた母も、


今は亡くなったばあちゃんもうれし泣きみたいなくちゃくちゃの顔で叱ってくれた。


僕も立派な、人に誇れるような仕事はしていないけど、


家族のおかげで一人前の大人の男にはなれたとは思う。


ダイヤモンドを探せ


おはようございます。

元気ですか!!



問題や壁にぶつかった時


「よしっ!無かったことにして、次に行こう」


「嫌なことは考えないで、楽しいことだけ考えよう」


・・・。


一見ポジティブに見えますが。



目の前にある問題をしっかりと見つめて

それを乗り越えようとすることが本当のポジティブ思考ですね♪



苦しい時は苦しんで

悲しい時は悲しんで


辛い時もある

逃げ出したくなる時もある



それでも前を向いて

問題、壁にしっかりと向き合って乗り越えていったとき


人は成長していくのだと思う。



人は自分の成長を感じるとき

同時に大きな幸せも感じるそうです


逃避ではなく挑戦していこう


そして、

成長していきましょう♪





では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!


 
昔、インダス川のほとりに、ひとりの年老いたペルシャ人老人が住んでいました。


名前をアリ・ラフェッドと言います。
 

アリはとても広い農場を持っていて、美しい妻にかわいい子どもと、なに不自由ない暮らしをしていました。


ある日、ひとりの僧侶がやってきて、世界の生い立ちについてアリに話ます。


その話の中でダイヤモンドの事について触れます。


「親指ほどの大きさのダイヤモンドがひとつあれば、


おまえが持っている農場の何倍も広い土地が手に入る。


ひとつかみのダイヤモンドがあれば、国を買いとることができる。


ダイヤモンドの鉱山がひとつあれば、その富の力で子孫を主座につかせることができる」


アリはこの話を聞いて、ダイヤモンドの鉱山を手に入れたいと思ったのです。


どこに行けばダイヤモンドの鉱山があるのかと言う問いに、


高い山に挟まれた、白い砂の上を流れる川に行けば見つかると僧侶は答えます。


次の日アリは、広い農場などの財産をすべて処分し、家族を親戚に預け、ダイヤモンド探しに行ったのです。


しかし、ダイヤモンドの鉱山はそんなにたやすく見つける事ができず、


莫大な資金も次第に底を付き、アリは見知らぬ異国の果てで力尽きるのです。


ある日、アリの牧場を買った男が、ラクダに水を飲ませようと庭園に入ったところ、


小川の白い砂の中から奇妙な光が出ていることに気が付きました。


その石は七色の輝きをはなっていたそうです。


そうです。


それは紛れも無くダイヤモンドの原石だったのです。


かつて、アリ・ハフェッドのものだった庭園から、見事なダイヤモンドが見つかったのでした。



「ダイヤモンドを探せ」

ラッセル・コンウェル 著

岸本 紀子 訳

ディスカヴァー・トゥエンティワン





ではもう1つ



 「これだけは請け負います。


 人生のたそがれどきを迎えて

 死の床につくとき

 あなたがいちばん後悔するのは

 負ってきたあらゆるリスクではありません。



 あなたの心を満たす最大の後悔と悲しみは

 避けてきたすべてのリスク

 つかまなかったすべての機会

 立ち向かおうとしなかったすべての恐怖でしょう。」



 byアレクサンダー・ロックハート
 (自分を磨く方法より)



 自分の人生の最後を想像することによって


 「今」が見えてきます

 「今」悩んでいる問題は

 いつか死ぬ時になってもまだ問題か?


 その問題に背を向けたことを

 死ぬ間際に後悔しないように

 「今」を生きて

 悔いのない人生を送れたら素晴らしいですね☆


 〜〜〜

 「勇気とは

 恐怖心を抱いていないことではなく

 恐怖心を抱いていても

 行動する度胸があることだ」


 byアレクサンダー・ロックハート



「命」

 
おはようございます。

元気ですか!!

いつもありがとう♪



「自分自身を認め、感謝する」
 
これを意識しましょう。
 
きっと、自分の価値も上がってきますから。
 
謙虚は大切だが、意識するあまり消極的に振舞って、
自分を下げることはないのです。
 
自分の価値を認め、感謝した時、
それを反映した人生が展開し始めるのです。
 
 
成長していく自分に見合った人生を歩んでいきましょう。
 



では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!



孔子さんの弟子に、


樊遅(はんち)という少しおっちょこちょいな人がいました。


ある時、


その樊遅(はんち)さんが孔子さんに質問します。


「人徳を高め、心の中の邪悪を消し、惑いを解くにはどうしたら良いでしょうか?」


孔子さんはカラカラと笑いながら答えます。


「お前にしては上出来な質問だな。


なんといっても、まずやるべきことをやって、


報酬は後回しにすれば、


徳が磨かれるだろうな。


また、人のふりをみてわがふりを改めるようにし、


他人の悪い部分は咎めない。


そのようにすれば心の中の邪悪は退散するだろうよ」


と答えました。


人の間違いにはよく気付くけど、


自分の間違いには気が付かなかったりします。


そして、


他人の指摘ばかりして自分を改めない・・・


これじゃイケマセンね!


孔子さんがおっしゃるとおり、


まず自分を改め、


人を咎めない!!!


そんなかっこいい生き方イイですね♪




「徳の高さは、人が何か特別に頑張った時に判断すべきではない。


日頃の行いで判断すべきである」


 by パスカル(フランスの哲学者・数学者)






ではもう1つ



「命」



「ごめんね。ごめんね。」


夢の中の母は、泣きながら私に何度も何度も謝っています。

母の癌が発覚したとき、そのお腹の中には一つの小さな命が宿っていました。
 
でも、抗ガン剤を投与すれば、必ず赤ちゃんに影響が出てしまいます。

看護士だった母は、そのことを誰よりも知っていたはずです。

それでも母は、お腹の中の命を自ら奪ってしまった‥どんなに悩み、苦しんだことでしょう。

 
生まれてくるはずだった私の弟妹‥。
 
でも、もし母の選択が間違っていたら、幼かった私の中の母の思い出は、もっともっと薄らいでいたかもしれません。

 
母は、自分の命を選んだのではなく、


幼かった「私」を選んでくれたのだと思います。


「この子を残して今は死ねない‥。」と。
 

私が小学二年の十一月、母は、再び倒れました。
 

誰かを呼ばなくてはいけない。
 

初めて見る母の苦しむ姿に、私は声も出ず、金縛りにあったように立ちすくむだけでした。
 

やっとのことで父を呼ぶことはできたものの、再入院。


それでも、「死」とは、老いていく人からという安易な考えを持っていた私‥


幼かったとはいえ、今もその時の後悔を引きずる毎日です。
 

春になろうとする頃でした。


父から


「お母さん、死んじゃうんだよ‥。」と知らされました。
 

悲しくて悲しくて、庭の花を見ても(何呑気に咲いているんだよ!)と憎くてたまりませんでした。
 

そして、どんなに父に諭されても、「お母さんは絶対に死なない。」と、自分に言い聞かせていました。
 

しかし、その思いを裏切るかのように、


母の顔色は日に日に悪くなっていき、ついにはしゃべることも困難になりました。

 

そして‥私が三年生になったばかりの四月九日、母は天国に旅立ちました。
 

病気になっても、母は私の前では笑顔でした。



でも、その笑顔はいつも辛そうで、必死に消えゆく「命」と戦っていたのです。


遺影の中で笑う母の笑顔、泣きじゃくる私を抱きしめてくれた父の震える腕。


どれもが「命」そのものでした。



今日の新聞にも殺人事件の記事が載っています。

 

コンビニのトイレに生み捨てられていた赤ちゃん、


自分の欲望のためにいとも簡単に、あたかも人形のように無惨な姿にしてしまう命の終末も絶対に許せません。

 

不況の中、自殺者も増えています。

 
母の苦しみを思うと、安易に命を奪ったり、自ら生きることをあきらめたりすることに腹が立ちます。



その命はあなた一人のものではないのに。

 

お母さんから与えられたはずの大切な「命」なのに。

 

簡単に捨てないで!!



一つの「命」がこの世に誕生することは、四億分の一の確率だと言われています。

 

奇跡なのです。

 

命はいずれ無くなりますが、自分で落としたり、他人が奪ったりしては絶対にあってはなりません。

 

私の周りにも親を亡くしてしまった友人がいます。

 

でも、精一杯生きています。

 
「命」をしっかり受け止めています。
 

どんなにつらくても、それを乗り越えてこそ「命」には価値があるのではないでしょうか。


人はこの世で何か役割を背負って生きていると思うのです。
 

母の役目は、きっと私に命の大切さを教えることだったのかもしれません。

 
母は今日も変わらない笑顔で私たちに微笑みかけてくれます。

 
病魔と必死に闘い、その一生を精一杯生き抜いた母を私は誇りに思います。

 

「お母さん、もう謝らないで。

 

私は大丈夫だよ。

 

元気だよ。

 

お母さんからもらった命を大切に、

 

大切に生きているよ。」

 

<静岡県沼津市立第三中学校3年 内村 綸笑>




 
おはようございます。

元気ですか!!



どんなに素晴らしい考え方を持っていても、行動しなければ無意味だよ(^−^)
行動なしには、何も始まらないってこと。
 
私たちは・・・ずっとすりこまれている、
「正解を出す」ことに慣れ過ぎているようです。
 
だから、どうしても失敗を恐れ、臆病になっているんじゃないか?
 
「失敗」は「自分が認めた時」に「確定」します。
認めなければ、成幸する為の一つの経験です。(^−^)
そう考えたらいいんだよ。
 
大丈夫だよ、経験の積み重ねは・・・
やがて財産となり、あなたの「人間味」を作り出していくのですから。



では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!



【いつも向上しようとしている人】


笑福亭鶴瓶氏の心に響く言葉より…


実は弟子入りして間もないころ、僕は一度、東京に進出しているんです。

ところが、失敗した。

あるテレビ番組で、意見が合わないディレクターとケンカをしましてね。

「ナメやがって」と頭にきて、生放送で素っ裸になった。

もう危険人物扱いでした。


でも、結果的には僕はこの大きな失敗でヒントをつかむんです。

それは、どんな小さな世界でも、やっぱり中心人物でないと注目はしてもらえないんだということ。

それで大阪に一度、帰るんです。

ここから自分の世界をつくることを考えるようになった。


「アイツと一緒に仕事がしたい」と思われたい。

そうなるためには、自分の世界を持ち、自分の型を持たないとダメやと。


若いときを振り返ると、ポイントは2つあったと思っています。

ひとつは、生きていくうえでの基本をちゃんとするということです。

僕は内弟子時代に結婚していて、私生活はものすごく安定してた。

これは大きなポイントでした。

また、家をきれいにする、約束を守る、お礼の手紙を書く、そういう基本をきっちり続けることが、自分の型の基本をつくってくれたと思ってます。


あとは、やっぱり自分の型ができたこと、そしてそれにこだわり続けたことですね。

あきらめずに自分を変えないで頑張っていると、ちゃんとだれかが見てくれるもんなんです。

自分を忘れ、余計な計算で横にそれたりするとダメになる。


特に若い人に言っておきたいのは、今を喜び、大事にしてほしいということですね。

今を飛ばして先に起こる結果ばっかり気にし過ぎたり、世の中の価値観で見過ぎたらダメになるんです。


神様から「お前もなんかせい」と言われて人は生まれてきてるんやと思う。

だから、自分を信じるべきやと僕は思ってます。

焦らんでいいんです。

種をまいて、花が咲くのを待つ。


いつも向上しようとしている人は、誰からみても素敵なものなんです。

『プロ論』徳間書店



武道においても、茶道や、華道でも「型」は基本中の基本だ。

「型」がしっかりと出来ていない人は、出会いがしらの成功はあるかもしれないが、継続して成功し続けることは少ない。


挨拶、返事、姿勢、礼儀と言った「型」とは別に、その人の独自の表現形式である『スタイル』という「型」もある。

自分のスタイルを追求し深めれば、自分独自の世界ができる。

そのためには、今を大事にすること。

今がぼんやりとして不鮮明な人は、自分の足跡を残せない。


人は誰でも、この世で何かを表現し、何かを残すために生まれてきた。

だから、いいことにも、悪いことにも意味はある。


いつも向上しようとしている人は、光り輝いている。.




ではもう1つ


【叩かれても必ず這い上がってくる人間】


精神科医の斎藤茂太氏の心に響く言葉より…


叩かれても必ず這い上がってくる人間がいる。

俳優やタレントにスキャンダルというものはいわばつきもののようなもので、ひとつやふたつの向こう傷はだいたい暴かれる運命にある。

現にいまテレビで活躍しているニュース・キャスターなどを見てみれば、ほとんどがなにかしらの「前科」がある人ばかりだ。

しかし、彼らは一時的に表舞台から退きはすれカムバックしてきている。

みな這い上がってきた人間であるといっていいだろう。

つまり、彼ら俳優やタレントには特性として自己顕示欲がなければ生き残っていけないのである。

いちいち自分の犯した失敗や敗北という過去に拘泥してはやっていけない商売といえよう。


この芸能人以外にも図々しい人間でなければ務まらない職業がある。

代表的な職業が政治家だろう。

清濁合わせ飲む器量が政治家には必要だ、などといわれるが、実際、きれいごとだけで政治がうまくいかないことは、この日本というものごとの境をはっきりさせない風土に暮らしていればわかるものだ。

異論はあるだろうが、政治という大きな舵取りをしようというのに、いちいち小さな傷を気にしていたら前に進むことはできないといういうことだ。


さて、そんな政治家のことを考えるときにいつも思うことがある。

政治家という存在は、絶えず極限状態にいつも追い込まれているようなものだ。

大変なエネルギーを使う職業だろうが、それにしても彼らがみな若く見えるということだ。

世間の70代、80代の人間と比べてみれば一目瞭然である。

世間では「おじいちゃん」と呼ばれて楽隠居しているはずの人間が、ギラギラとした目で権力の座を窺っている人間もいるという具合だ。


私がいいたかったことは、過去に拘泥しないという生き方が人間に活力を与えるということだ。

いちいち過去を振り返ってはいられない政治家が老化しにくいように、過去を忘れていく精神は人を前向きにさせる。

政治家は過去のことを一々気にしていたらなにもできない。

過去をどんどん忘れていくことがパワーになり、若さの原動力になっているのである。

『逆境がプラスに変わる考え方』PHP文庫



まさに、昨今の政治家の鉄面皮のごとき、破廉恥(はれんち)な日常には、驚きを通り越して、暗澹(あんたん)たる気持ちになる。

あれだけ世間から非難されたり、マスコミに叩かれれば、一般人ならストレスで寝込んでしまうだろうに。


しかし、政治家はその程度の逆風や、攻撃はものともせず、かえって負のパワーを自分のエネルギーとして、長生きする人が多い。

そこに、逆説的なようだが、我々が学ぶべき逆境の乗り越え方のヒントがある。


過去に拘泥しない人間、つまり起こってしまったことにクヨクヨしない人間には、パワーがあるということだ。

中村天風師の「さしあたる事柄のみをただ思え、過去は及ばず、未来は知られず」の生き方だ。


起きてしまった失敗や嫌なことはどんどん忘れ、常に若々しくパワフルでありたい。













出番

 
おはようございます。

元気ですか!!



人は二種類に分かれるそうです。

それは、行動を起こす人と、
文句ばかり言っている人だ。

実際にどちらを選択するのも、
私たちの自由ですよね。

当然、誰もが「行動を起こす人」を理想と考えます。

しかし、行動になかなか移せないのは、
普段からの習慣から影響が大きいようですよ。

あなたは「すぐやる」人ですよ。
大きく深呼吸してくださいね。

もう一度自身に語りかけてください。
「私は何事もすぐやる人」ってね(^−^)




では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!



人生、乗り越えたくない壁は無数にあるもの。


しかし


乗り越えられない壁はない!



この問題はあまりに大きすぎて、とても乗り越えることができない。
だから「乗り越えたくない」と思い、避けるようにしていくと、同じような問題がまたやってきました。

この問題はあまりに大きすぎて、とても乗り越えることができない。
「でも、ここで乗り越えるしかない!」と、開き直ってあらゆる方法を考え、本気で挑戦していく!


その時はプライドがへし折られるような一時的な敗北、人様にご迷惑をかけたり、お世話になることがあっても、その後は同じような問題がやって来ても、乗り越えられるようになります。

目の前に立ちはだかる壁に本気で挑戦していると、「このタイミングで!」とビックリするような所で、誰かが手を差し伸べてくれることもあります。

結局、本気になって挑戦すれば、乗り越えられる壁しか現れなかった!

人生、その人に応じた試練をその人に与えるようにできているのだと思うんです!

だから、その試練は、たとえそれがどんなに大きくても、きっと乗り越えられる壁のはずです!


乗り越えられない壁は目の前に現れない!

そう信じています!





ではもう1つ




「夢」が「現実」に変わる言葉

福島 正伸 著

三笠書房より





他人のせいにすると、

自分の出番がなくなる 



人は、心から問題を解決したいときは、

他人のせいにはしない



モノが売れないとき

社会やお客様のせいにすると

「不満」になる



自分がもっと売れるモノを

つくってこなかったからと考えると

「出番」になる



ミスしてしまったとき

周りや環境のせいにすると

「不満」になる



自分でもっと工夫しようと考えると

「出番」になる



問題こそ自分の出番


誰かのせいにしたら、


もったいない




開き直ること


おはようございます。

元気ですか!!



今日はブログデーではありませんが、明日書いている時間がとれないので、本日アップします。




私たちは・・・
見えるもの、
聞こえるもの、
感じるものが、
自分自身を表しているそうです。

ということは・・・
意識のあり方で捉えるものが決まってくるのですね。

しかし私たち人間は、
自分にとって重要度の高いものを拾い、
低いものを捨ててしまってます。

意識をどこに向けるかでキャッチするかスルーするか決まるようですね。

五戒(不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句)ばかりを口にするのは、
幸せをスルーしているのと同じことのようですよ。

「幸せ」に向かって五感を研ぎ澄まして、いってらっしゃい。



では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!




【開き直ること】


行徳哲男師の心に響く言葉より…


「開き直り」とはどういうことか。

人間にはもともと何もないと知ることである。

われわれは生まれたときに、何かを持って生まれてきたわけではない。

死ぬときに、何かを持って死んでいけるわけでもない。

生と死とはもともと何もない。

何もないのだから開き直ればいい。



真剣と深刻とは違う。

悲劇の主人公のような生き方は真剣とは言わない。

真剣というのは、もっと軽いものである。

真剣になればなるほど軽くなれる。


「軽さ」の頭に「あ」をつければ「明るさ」になる。

真剣な人は「明るい人」である。

『感奮語録』致知出版



世の中が騒然とすると、心がざわつき、不安が押し寄せてくる。

そんなとき、人はどうしてもジタバタしてしまう。


これから時代がすすみ、どんなに研究が進んでも、自然が引き起こす、天変地異を正確には予測ができないという。

人の死期を正確に予測できないと同じだ。


中村天風師は、「今、この時だけを考えろ。過去は及ばず、未来は知れず」と言った。

過去は変えられないし、未来は誰も分からない。


今心配していることの90%以上は起こらないといわれる。

ならば、事が起きたときに、ジタバタしないように、どう対処するかだけだ。


行徳師は、「大胆、不用意」という。

事前にいくら用意してもうまくいかないときは、うまくいかない。

それが、「開き直り」の精神。

そのときは、そのとき、と開き直る。

未来のことを思い煩(わずら)っても仕方がない。


人はいつかは必ず死ぬ。

このことが分かったとき、肚ができる。

そして、今ここ、だけを考えて生きる。


真剣な人は、明るくて、軽い。




ではもう1つ




【冒険って、こういうことなのよ】


リチャード・テンプラー氏の心に響く言葉より…


嘆いたり、不満を言ったり、批判したりするのは簡単なことだ。

それに比べて、いい点を見つけるほうがはるかに難しい。

それを自分の大きな課題とするべきだ。


パリの地下鉄の大ストライキのときのエピソードを紹介したい。

混乱した状況で人々は押し合いへいあいだった。

そこに小さな子供づれの母親がいた。

この混乱状態はきっと子供にとっては恐ろしかったに違いない。

しかし、母親は子供のほうに身をかがめ

「冒険って、こういうことなのよ」

と語りかけた。


危機的状況や、困難な状況に立たされたとき、私はいつもこの母親の言葉を思い出すことにしている。

いい点を見つけて話すことの一番顕著なプラス面は、あなたの周囲に自然と人が集まるようになることである。

周囲に振りまいている雰囲気が魅力的になるのだ。

人は快活で、前向きで、楽しく、信頼できる人のそばにいるのが好きである。

『人生のルール』ディズカヴァー



「冒険」という言葉を聞くと、ワクワク、ドキドキと心がときめく。

冒険とは、日常とかけ離れた状況の中で、成功するかどうかわからくても、危険をかえりみず、挑戦することだ。

冒険では勇気が試される。


非難をし、不満を言う人は、やるまえから、「どうせ無理」、「できない」という人だ。

だから、冒険をしない。


一生のうちに何度かは、冒険しなければいけないときがある。

「冒険って、こういうことなのよ」

困難な状況になったときこそ、「冒険」という言葉を使いたい。






とらえかた

 
おはようございます。

元気ですか!!



私たちはついつい、人間関係で、
相手にばかり合わさせようとする方が少なくないようですね。

相手に望むことばかりが多くなっている。ってこと!!

自分の立ち位置を少し変えてみると、
人間関係はスムーズになってくるようです。

自分の許容範囲を少しだけ大きくしてみる。
いいですねぇ(^−^)

そう意識することで、
人間関係は気持ち良く、
円滑になっていくようですよ。

出来るか出来ないかではなく・・・
そう意識する、ということですよ。



では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!



日々の中で起こる“事柄”は、


“事柄”でしかない・・・



・雨が降っている

・ムシ暑い

・車が渋滞している

・上司が恐い

・お金が無い


いろんな事柄がありますね♪


でもでも、

これらの事柄って、

それそのものには、


何の意味も、何の優劣もないんです・・・



自分の勝手な思い込みで、


良い気分になったり、

悪い気分になったりしている自分に気付いちゃいましたよヽ(*'0'*)


雨が降っていること自体は、憂鬱なことじゃなく、


憂鬱と感じる人がいるだけ・・・


蒸し暑いのだって、


わざわざスチームサウナに入る人がいる位ですから、


それ自体には良いも悪いもないんです・・・


渋滞も上司が恐いのもお金が無いのも僕の滑舌が悪いのも、


そのこと自体は本人の思い込み・・・


大切なのは、


とらえかたですね♪♪♪


とらえかた次第で、


気分良くもなるし、気分悪くもなりますからね♪


どうせだったら、とらえかたを変えて、


明るく楽しくワクワクと生きて行きたいですもんね♪



「私は子供の時から、自分は幸福者だ、運のいい者だということを深く思い込んでおった。

それでどんな失敗をしても、窮地に陥っても、

自分にはいつかよい運が転換してくるものだと、一心になって努力した。


今になって思えば、それが私を生来の楽天家たらしめたる原因じゃないかと思う」


 by 高橋是清(第20代内閣総理大臣)





ではもう1つ



【仕事はガマン料】


長谷川和廣氏の心に響く言葉より…


友人から聞いた話ですが、美輪明宏さんが「仕事はガマン料」と言ったそうです。

名言だと思います。


どんな仕事でもまず就業時間中はガマンして働く、これが基本です。

しかも、ステップアップするにしたがってガマン料はどんどん増えていきます。


赤字の再生企業のなかで働いていると、本当に何もかも投げ出したくなるような時があります。

そこで本当に必要なのは、立派な計画書や未来展望図ではなく、ガマンと忍耐力です。


責任ある地位になるごとに上司のむちゃくちゃな命令と、部下の突き上げにガマンしなければなりません。

より厳しくなる目標をクリアするために、心のなかの消極的な部分を封じ込める強い忍耐力が求められるのです。


美輪さんの言葉が素晴らしいのは、「仕事というものは辛くて当たり前」、それが大前提だと言っているところなのです。

どんなに成功しても、そこには常に辛さが横たわっている… そう思っておけば、たとえ小さな成功でも自分を幸せにしてくれるのだと思います。

『社長のノート』かんき出版



「仕事はガマン料」と言うが、「仕事が楽しくて楽しくて仕方ない、ガマンなどしていないよ」、という人もいるかもしれない。

しかし、余裕があるうちはいいが、売上が大幅に下がったり、倒産するかどうかという瀬戸際の仕事は辛い。

追い詰められ、崖っぷちに立たされた時は、誰もが最後のところで、狂気じみた力で、踏ん張る。

そんなときは全てのことが、ガマンと忍耐だ。


順調な時は楽しい。

大変なのは、逆風吹きすさぶ時。


山本五十六の有名な言葉に…

『苦しいこともあるだろう

言いたいこともあるだろう

不満なこともあるだろう

腹の立つこともあるだろう

泣きたいこともあるだろう

これらをじっとこらえてゆくのが

男の修行である』


困難な仕事は辛くて当たり前。

どんなに辛くても、じっとこらえてゆくのが必要な時もある。






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