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母を誇りに笑い一筋
- 2012.05.31 Thursday
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- 10:52
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- by marusan-hair
おはようございます。
元気ですか!!
「私には何が提供できるだろう」をテーマにスタートしていきましょう。
チームでおシゴトされていらっしゃる方・・・
リーダーシップ発揮してますか?
リーダーシップとは、何を達成したいのか?
という質問に答えようとするものである。
自分がどこに向かっているのかが明確な人は、人に対して自動的にリーダーシップを発揮することになるのです。
じゃあマネジメントって・・・何か?
ということは、絶えず「改善」が要求される。
さあ・・・あなたのビジネスにおいて、
リーダーシップとマネジメントを発揮していこう。
では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!
母を誇りに笑い一筋
右耳は聞こえなくても・・・
滝川広志さん(49)
13歳の夏、右耳を激痛が襲った。
耳の奥からは異臭を放つ膿(うみ)があふれ出ていた。
診断結果は「真珠腫性中耳炎」
中耳炎を繰り返すうちに組織の一部が真珠のように増殖し、耳の周りの骨を破壊する病気だ。
手術で患部を除去。
足の皮膚を移植して鼓膜の形成手術もしたが、聴力は戻らなかった。
滝川広志さん(49)の右耳は、今もほとんど聞こえない。
周囲に打ち明けると、誰もが「うそでしょう?」と驚く。
難聴のハンディを全く感じさせないからだ。
「広志君、右耳がだめでも左耳がある。
何とかなるよ」
そう笑い飛ばした母の強さと優しさに支えられた。
熊本市で生まれた。
幼いころに両親が離婚。
病院の看護助手をしていた母と1歳上の姉の3人家族。
生活は苦しかった。
普段の食事はご飯とおかず1品。
月に1度、80円のラーメンがごちそうだった。
「貧しかったけど、それが普通だと思っていたし、不幸だとも思わなかった」
ただ、子どもなりに家にお金がないことは分かった。
小学生のころから自覚症状があった中耳炎を放置したのも、
母にお金のことで心配をかけたくなかったからだ。
右耳の手術後、新聞配達を始めた。
母を助けることができるし、欲しいものを買うこともできる。
初めは夕刊を配り、やがて朝3時に家を出て朝刊も配った。
幼いころから中古の白黒テレビが姉弟の宝物だった。
声が筒抜けの2軒長屋。
音量を絞り、テレビにかじりついた。
「サインはV」「柔道一直線」「8時だョ!全員集合」・・・。
歌番組では振り付きで歌手をまねし、姉と批評し合った。
ドラマでは動きに合わせて勝手にせりふを重ねる「当てレコ」に興じた。
はまったときは2人で笑い転げた。
そんなテレビ遊びから生まれた「ものまね」が、
目立たない存在だった姉弟を変えた。
中学校の教室。
人前でものまねをする快感を知った。
姉がまず人気者になり、広志さんも続いた。
「滝ちゃん、よか」「よかばい」
教室で、近所のスナックで喝采を浴びた。
歌を覚えるにも、不自由さは感じなかった。
右耳が聞こえない分、左耳に意識を集中し、目で観察した。
「難聴がものまねには良かったのかもしれないですね」
母譲りの楽天的な性格が、その後の人生も切り開いてゆく。
広志さんは今年、芸能生活30周年を迎えた。
芸名は「コロッケ」。
3月には「長年の夢だった」という博多座(福岡市)の舞台に立つ。
人情喜劇とものまね歌謡ショーの1カ月座長公演。
「あきらめなかったからここまで来れた。
ようやく九州出身の芸人として故郷に認めてもらったような気がします」
滝川家の家訓は「あおいくま」
焦るな、おこるな、威張るな、腐るな、負けるな
の頭文字だ。
幼いころ母が部屋に張り出した教えを胸に、謙虚に芸を磨く。
出典
西日本新聞/2010.01.28
ではもう1つ
放送のたびに高視聴率を得ている番組がある。
“テレビチャンピオン”
テレビ東京系列で放送されていた番組で
視聴率が20%を超えるほどの超人気番組だった。
その中の築地特集で、チャンピオンを争う回があった。
そのとき見事にチャンピオンになった男がいる。
好きなことを徹底するとは?
さあ・・・
小関敦之様の登場です!
「“好き”を極める」
一時期、ゴルフにハマった。
結構、良いスコアまでいったけど、お金と時間がかかるということで結婚と同時に辞めた。
それからラーメンにハマった。
よくテレビに出てくるラーメンマニアな人たちは
年間に1,000杯はラーメンを食べる。
彼らとの、会話について行けるレベル、
年間300杯は食べていたかも知れない。
“そこに山があるから。”と言った登山家と一緒。
“そこに食べたことのないラーメンがあるから。”
電車に乗って、食べ歩いた。
こんな生活を8年くらい続けている間に、転職の機会があった。
築地近くの大手広告代理店へ。
でも、3年間はあまりに忙しく
目の前の築地に行ったことはなかった。
部署異動で少し余裕ができ、
ランチに生まれて初めて築地に行った。
独特の雰囲気を感じた。
この日から、ちょくちょく築地に行っては
インターネットで日記を付け始めた。
まだ、ブログやミクシーなどが一切無い時代に、
見よう見まねで、HP形式で日記ページを作った。
記憶力が悪いから、細かい情報を出来る限り載せた。
そんなとき、とあるラーメン仲間が出演していた
テレビ東京の“テレビチャンピオン”において
築地王選手権があると聞いた。
自分もよく見ていた番組。
嫁に聞いたらあっさりと出演を認めてくれた。
これがテレビチャンピオンに出場したきっかけ。
回転寿司の皿の一部の写真を見て、どのお店のものかを当てたり、
目隠しをしてお店に入るだけで、どのお店かを当てるクイズ。
なんと、
僕がチャンピオンになった。
間違いなく、インターネットにまとめた日記のお陰。
今日までたくさんのグルメ本を執筆した。
来年には“好きなことをやってうだつを上げる方法(仮)”なる
ビジネス書も執筆する。
好きなことを徹底しようよ!
南三陸町でのエッセイ
- 2012.05.27 Sunday
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- 11:20
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- by marusan-hair
おはようございます。
元気ですか!!
今日は、先日宮城県南三陸町に行ってきた話を載せたいと思います。
昨年の4月に初めて行ってから、今回12回目になりました。
いつも、月曜の昼間会社で仕事して、夜出発して、
みんなでサ−ビスエリアで休憩したりしながら(笑)
翌午前2時頃石巻の道の駅に到着します。
そこでテントはって、テント組と車組に別れて
即寝ますzzz
今回は1人で行ったんで、ワゴンのイスを倒してその上にフトンしいて、
キャンピングカーもどきで泊まっちゃいました!
火曜日、6時に起きて南三陸町の防災センターに行って、ボランティアの手続きをしました。
この日は漁協の手伝いです。
南三陸町の漁業は、まだ漁に出れる許可がおりないそうなんですが、
養殖のワカメの出荷が旬です!
今回はワカメの茎とメカブを切り分ける作業を1日しました。
ワカメ、磯の香りが鮮烈です!
終わりに漁師さんからワカメをたーくさんいただいちゃったゼイ☆
そして、
アフターが楽しいんです。
今回は追分温泉ってとこまで足を伸ばして、
温泉につかってゆっくりしちゃいました(^-^)v
けっこう山の中のひなびた温泉で、
サル(?)はさすがにいなかったけど、
湯治にきてるおじいさん方が入ってたよ!!
そのあと石巻をぶらついてイオンのフードコートで350円のトンコツラ−メン食べて、
道の駅に戻ってデイリ−とか物産コ−ナ−とか見て
1日を終えました☆
ちなみにこの道の駅「上品の郷」は、
ウォシュレットのついたトイレに洗面台、
コンビニから足湯までなんでもあるんです(笑)
野宿するならもってこいの場所です!!
水曜日は農業のお手伝いで、畑の開墾をやりました。
開墾・・・
津波でやられた畑は、今後何十年かは作物が育たないらしいんで、
山の上に畑地を作って開墾しているんです。
そこの土を掘り返して、石とか異物を取り除く作業です!
1日泥だらけのスコップ野郎になっちまったゼイ!!
2日間を通して、漁師さんや農家のおじさんの生き生きとした表情が印象的でした!!
現地で出会ったなにわの山本ちゃんとはアドレス交換してメル友はじめました♪
帰りには栃木の上河内SAで、豚モツぴり辛丼とレモン牛乳ソフト食べたよ。
これがまた美味かったゼイ〜☆
こんな感じで今回も帰ってきました(^-^)v
また来月いっちゃいます♪
みんなもよかったら行ってみませんか!!
成功は目の前だ!!
- 2012.05.24 Thursday
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- 15:38
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- by marusan-hair
おはようございます。
元気ですか!!
お客様や、世の中に対して、価値を提供させていただいている。
その提供した商品やサービスに対して、価値を感じたお客様が・・・
「ありがとう」と言ってくださって、お金をお支払いいただくのだ。
ということは・・・
提供する価値が大きければ大きいほど、「ありがとう」の量は多くなる。
売上とは「ありがとう」の感謝の思いが形になったもの(^−^)
お金に困らない人生を送ろうと思うなら、
いかに「ありがとう」を言ってもらえる価値を提供していくか考えて、実践していけばよいということになる。
では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!
自分が広げられる風呂敷よりも10%から20%大きい風呂敷を広げる習慣を身につけるといいでしょう。
100%の力を出しきれることは素晴らしいことでしょう。
次のステージに飛躍することはできません。
ではもう1つ
NHKドラマ“ハゲタカ”の主人公宅としてロケ撮影された
プール、テニス、コンサートホール付きの自宅。
やりたいことは、すべてやる!
そう言い切るスゴい人!は、
日本航空の国際線客室乗務員を30年勤め、
ファーストクラスで世界中の大富豪や成功者たちと出逢い、幅広い人脈を作りあげた。
出逢いとは?
成功とは?
さあ・・・
黒木安馬様の登場です!
「成功するなら、成功者に会え!」
心理学を学びにアメリカに留学。
日本では、本を読むばかりで実力がつかないと思ったから。
でも、留学中に進路の志望が変わり
外交官の試験を受けた!
しかし、
結果は惨敗。
でも、その時、
ある広告が僕の眼に飛び込んできて、人生が激変した。
その広告は、ミニスカートの可愛い子の隣で
パイロットのような制服を着て凛々しく立っている男性の客室乗務員。
“モテそうだ!”
これが、30年間、客室乗務員として
総飛行時間2万時間、地球を約860周フライトしたきっかけである。
ファーストクラスを通じてあらゆる成功者たちに出逢った。
皆、謙虚だった。
皆、オーラがあった。
ハリウッドスターに、ビル・ゲイツに、本田宗一郎。
何度も、何度もファーストクラスで会うたび仲良くなった。
今、私は成功哲学をまとめて
日本成功学会という組織を立ち上げた。
確か、てっぺんという居酒屋の大嶋社長や、
世界7大陸最高峰制覇を無酸素登頂で挑戦している栗城くんなども参加している。
大事なことは、
“成功した瞬間のガッツポーズをイメージして動くこと!”
さあ、
成功は目の前だ!!
日本人の誇り
- 2012.05.20 Sunday
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- 17:19
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- by marusan-hair
おはようございます。
元気ですか!!
では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!
マラソンの五輪代表『木崎良子さん』
父の思いを背負い、娘は『五輪』夢をつかんだ。
父和夫さんは箱根駅伝に4年連続出場した名ランナー。
親子で追った夢だった。
しかし、苦悩もいっぱいあった。
『父が陸上選手だったから自分も速くなくちゃいけないと思った。評価されるのが嫌だった。父のこともそんなに好きじゃなかった・・・』
中学時代、バスケットボール部主将として活躍した。
しかし、父は関心を持ってくれなかった。
父の存在を重く感じ、好きなランニングを避けた。
そして、反発。
『あの木崎の娘』と言われる苦しさは走る楽しみが吹っ飛んでいった。
父も娘の変化に気づき、絆取り戻そうと、風呂上りにマッサージを入念に30分以上も。
親子の会話が増えていった。
高校進学すると迷わず陸上部に!
大学でも陸上を続け、その頃には悩み事を父に相談するようになっていた。
そして、今回の挑戦でダメなら引退を覚悟しレースに。
そして、五輪代表に選ばれた。
今でも、父がマッサージをする。
五輪代表に選ばれた時娘の言葉が父への最高の贈り物になった。
『苦しい時も、父は大丈夫だと言い続けて安心させてくれた。父が陸上選手であったことを誇りにおもいます。』
〜〜〜〜〜〜〜〜
木崎親子、おめでとう〜
五輪でも応援してるよ。
みんなも応援してね。
ありがとう。
ではもう1つ
【誇りを持てる教育を】
明治天皇の玄孫、竹田恒泰氏の心に響く言葉より…
私は中高生に講義する機会もあるのですが、「いまある国で一番古い国はどこか」と質問すると中国とかエジプトと答えるのですが、「いやいや、日本なんだよ」と言うと、「ええー!」と、驚くんです。
たったそれだけで日本人であることの誇りを掴(つか)むんです。
日本人が誇りに思うようなことを何一つ教えてこなかったので、みんな日本のことが好きじゃないんです。
国民がそうならば、官僚だって政治家だって同じですよね。
だから国家をなんとかして守ろうという意識が国民全体で低いのではないかと。
私は教育を変えない限り主体的な国家は実現できないと思っています。
アジアに親日国家ってたくさんありますよね。
カンボジアやミャンマー、台湾、それからウズベキスタン…。
ウズベキスタンはソ連崩壊の時に独立した国ですが、第二次世界大戦の時、2万5000人日本人が捕虜として現地に連行されました。
そのうち500人が強制労働で「ナボイ劇場」の建設に従事し、60名が落命しています。
そして、後にウズベキスタンで大地震があって建物という建物がすべて崩れた時、ナボイ劇場だけが残ったんです。
その技術力もさることながら、強制労働で絶対に手を抜かない日本人は凄いと。
それで、ウズベキスタンでは、子供に「日本人のような立派な大人になれ」と教育しているそうです。
独立し、いまの大統領になってから、ナボイ劇場に「この建物は図らずも連れてこられた日本の労働者たちがつくった」という趣旨の石版があります。
ウズベキスタンは「二重内陸国」といって、国境を二つ跨(また)がないと海がない、世界で二か国しかない国の一つです。
日本人はそんな辺境の地に連れられていって、立派な仕事を成し遂げた。
だからウズベキスタンの人たちはいまでも日本が好きなんです。
「逆境から復興へ」“櫻井よしこ&竹田恒泰”
『致知 2012年5月号』致知出版社
人は、誇りがなくなったとき、勇気が無くなり、卑屈(ひくつ)になる。
国を誇りに思う源泉は、自国の歴史であり、その国の英雄や偉人の話であり、神話である。
それが、長く続いていればいるほど、それだけで誇りを持つことができる。
日本は、自国に誇りを持たなくするような教育をして久しい。
それは、「自虐史観(じぎゃくしかん)」という、自国の歴史のマイナス部分をやたらと強調し、プラス部分を過小評価 する歴史観の教育のことだ。
国も人も同じだが、悪い面ばかりを強調し、いい面を過小評価したら、誰でもやる気がなくなる。
アメリカ合衆国のCIA公式サイトによると、「世界最古の独立国は日本」、とある。
Japan 660 B.C. (traditional founding by Emperor JIMMU)
1400年続く、世界最古の木造建築は、日本の法隆寺。
1430年続く、世界最古の企業は、日本の金剛組。
1300年続く、世界最古の宿泊施設は、日本の慶雲館。
1000年前に書かれた、世界最古の小説は、日本の源氏物語。
2000年以上続く、世界最古の国歌は、日本の「君が代」。
2670年続く、世界最古の独立国家、日本。
我々は、もっと日本に誇りを持ち、堂々と生きていきたい。
重き荷物を投げ捨てる
- 2012.05.17 Thursday
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- by marusan-hair
おはようございます。
元気ですか!!
最初から「できない」ことを前提にしないでくださいね。
「どうしたらできるか」を考えていきましょう。
「不可能」と「困難」は違うということを、再認識しよう。
きっと、今後あなたがどのような問題に直面しようとも、
「いかにしたら乗り越えられるか」という質問を、
自分自身に問い続ける事を意識してくださいね。
私たちの潜在意識は、問われた質問に対して、答えを出してくれます。
「建設的質問」ってなに?
それはこの言葉です→「どうしたらできるのだろう」です
では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!
【人づくりはジョークから】
本田宗一郎氏の心に響く言葉より…
ジョークというのはアイデアである。
しょっちゅう言いつけているとすらすら出てくる。
一つの訓練である。
だから、私は、小学校から大学までずっとジョークだけを専門に教える先生がいると、学校というものが楽しくなると思う。
親が、学校へ行け、学校へ行けと言わなくても、子供は自分から行くようになるのじゃないか。
あまりかたいものばかり教えるから子供はいやになってしまう。
子供が漫画が好きだというのは、おとなから見ればジョークだ。
子供というものは学校の本は見なくても、宿題はやらないでも漫画は見ている。
ジョークという科目があって、そういうものを教えてくれれば、学校はもっと楽しくなり、人間のスケールが大きくなるのじゃないか。
職場でもお互いにジョークを取り交わすようになったら、もっと楽しい職場ができ上がりはしないか。
今の学校を見ていると、まじめなことだけを教えている。
ジョークは自分が世間へ出て習う以外に教えてくれるところがないけれども、日本人というのはかたいものだから、言う場所がない。
言うと下品だといわれるから、言わん方がいいということになって、ますますもって練習不足で、全然他流試合ができない。
だから、下手にジョークを言うと下品なジョークになり、いやみになってしまう。
ジョークというのは実にむずかしい。
そのときの雰囲気とチャンスをつかまなければならない。
そのタイミングをはずしたらジョークは成り立たない。
だから非常にデリケートなものである。
人づくりはジョークから。
ジョークというのはアイデアであり、人情の機微を察することである。
ジョークがどんどん口からでるようになっていくと、人間同士の付き合いがもっと楽しくなる。
『俺の考え』新潮文庫
ジョークを教える科目が学校にあったら、どんなにか楽しいことだろう。
生徒たちがジョークを身につければ、人生に欠くことのできない大きな能力を得たことになる。
記憶力が抜群に素晴らしい人だけしか、今の学校では評価されないが、記憶力はイマイチ落ちるが、ジョークだけは天才的に凄い、という生徒がいたら、かなりの人気者になるだろう。
社会に出たら、記憶する能力より、ジョークのうまい人の方が成功する。
なぜなら、ジョークのうまい人は、「世渡り力」があり、「アイデア」が豊富で、「当意即妙(とういそくみょう)」で、気が利くからだ。
機転が利き、人情の機微を察することができる人は、人間関係が上手。
「ひとづくりはジョークから」
ジョークの能力を磨き、訓練して、もっと魅力的な人になりたい。
ではもう1つの話
【重き荷物を投げ捨てる】
行徳哲男師の心に響く言葉より…
変化は加速する。
いまや十年一昔などあり得ない。
一年一昔、いや一ヶ月一昔、十日一昔と言ってもいい。
このような激変の時代に対応するには「今泣いた烏(からす)がもう笑う」子どものようなしなやかさで臨まなくてはならない。
禅的な境地が必要だ。
それが変化の加速を見事に捉(とら)え切る秘訣(ひけつ)である。
変化は断続する。
切断されているから至るところに崖がある。
だから、いつでも身軽に翔(と)べることが大事である。
このような時代に重い荷物を持っていては翔べはしない。
ゆえに、いろいろな持ち物を捨てたり忘れたりすることが必要である。
これからは「忘」と「捨」の時代である。
『感奮語録』致知出版
まさに、今は大激動、大変化の時代だ。
この東北の惨事が夢であって欲しいと何度思ったことか…
我々は、この当たり前の毎日が同じように明日も続くと信じ、今日と明日は連続していると思っている。
しかし、今まで当たり前だと思っていた日常が、ある日を境にそうではないと分かる。
変化とは、今までの当たり前が途切れることだ。
特に、大きな変化の前後には、いたるところに谷や崖ができ、そこで今までの連続性がなくなる。
その崖を跳び越すには身軽になるため、重い荷物は捨てなければならない。
自分の固定観念や、様々なしがらみといった荷物だ。
かつて、日本もバブルの崩壊までは、土地は絶対に上がるという神話が何十年と信じられていた。
銀行や証券会社も倒産しないと思われてきた。
そして、今、絶対に安全と信じられてきた原発が大変なことになっている。
電信電話公社もNTTとなり、auやソフトバンクとの競争となっている。
独占的だった電力も、今後は選択可能な別のエネルギーとの競争になるのかもしれない。
これからの生き方も同じだが、大変化の時代は、自分の重き荷物を、捨てて忘れるという、やわらかな発想が必要だ。
つまらないことにこだわりすぎたら、翔(と)びたてない。
母ちゃんと野球
- 2012.05.13 Sunday
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- 15:49
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- by marusan-hair
おはようございます。
元気ですか!!
私たちは
教育の場で「見えるもの」を学んできましたね。
目に映るもの、そして、具体的に数値化できるものなどです。
しかし・・・
「見えないもの」は、教育や社会の場でも誰も教えてはくれないのです。
それが「感性」「感受性」
私たちにとって大切なのは、この見えないものを如何に学ぶかです。
この部分が、人間性でもあり、自分らしさを大きく形成しているようですよ。
だからこそ、自身の未来を創造できるのです。
もちろん肯定的にね。
では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!
【深々と頭を下げる】
井上新甫氏の心に響く言葉より…
震災後、私が大変感銘を受けたのは、両陛下が被災地を訪ねられた時、最初に海に向かって深々と頭を下げられた。
それから今度は山に向かってまた深々と頭を下げられました。
なぜ、そうされたのか。
私たちはよくよく考えなくてはならないと思います。
人間と自然との共存共栄を願われる両陛下のお姿です。
いま世界中でエンペラーと呼ばれる方は天皇陛下ただお一人です。
それに次ぐのがキング、あるいはクイーン、すなわち国王であり女王。
その次が首相というランクです。
これが国際的評価です。
数年前、アメリカのオバマ大統領が来日され、陛下を前に45度以上、深々と頭を下げられました。
あれを見たアメリカのメディアの中には「オバマは卑屈だ」と報じたところもあったと聞きますが、陛下には大きな仁徳による気高さがあるからでしょう。
これは理屈ではない。
陛下は神代の神々と歴代天皇の命(みこと)を背負われていらっしゃるお方です。
その歴史のゆえんを知れば、はっきりとしてまいります。
とにかくこれまでの歴史を省みれば、日本人は無数の災害を経験し、これを逞(たくま)しく乗り越えてきました。
世界の地震の2割は実に日本で発生しています。
地震山脈の上に我が国は乗っかっているといえます。
そうした厳しい地勢上にありながら、いやあるからこそ、むしろ自然を怨(うら)まず受け容れていく。
ヨーロッパ文明のように、自然と対決しようなどとは考えない。
本居宣長(もとおりのりなが)の和歌に
「しきしまの 大和心を 人問わば 朝日に匂ふ 山桜花」
というのがありますが、桜花の命を惜しむのか、あるいははかないものと諦観(ていかん)するのか。
決してそうではなく、来年になればまた花は咲く、つまり再生するというのが神ながらの精神です。
“日本精神を甦らせる道”より
『月刊致知 2012年6月号』(井上新甫&土屋秀宇)致知出版社
天皇陛下は毎年1月1日(元旦)の朝4時に、四方の神々に向かって国の安泰や豊作を祈って礼拝されるが、これを「四方拝(しほうはい)」と言う。
この四方拝は宮中の祭祀(さいし)の中でも、もっとも尊い祭祀の一つだそうだ。
その四方拝で、天皇陛下は「国民に降りかかる害悪がわが身を通して浄化されますように」という趣旨の祝詞を奏上されると言われている。
2700年、連綿として続く皇室祭祀だ。
明治天皇はこう詠まれた。
「敷島の 大和心の 雄雄しさは ことある時そ 現われにける」
日本人にとっての雄々(おお)しさは、自然と対峙(たいじ)することではなく、どんなに悲惨な状況に陥っても、嘆(なげ)かずに、幾たびでも再生してみせること。
今年散った桜花も、来年になれば、またきれいな花を咲かせる。
太陽や天地自然に対し、畏敬の念をもって深々と頭をさげる…
そんな、気持ちで日々をすごしたい。
ではもう1つ
今日は母の日です。
大好きなお母さんとの感動の話です!!
「母ちゃんと野球」
幼き頃に父が亡くなり、母は再婚もせずに俺を育ててくれた。
学もなく、技術もなかった母は、個人商店の手伝いみたいな仕事で生計をたてていた。
それでも当時住んでいた土地は、まだ、人情が残っていたので何とか母子2人で質素に暮していけた。
娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は母の手作りの弁当を持って、近所の河原とかに遊びに行っていた。
ある日、母が勤め先からプロ野球のチケットを2枚もらってきた。
俺は生まれて初めてのプロ野球観戦に興奮し、母はいつもより少し豪華な弁当を作ってくれた。
野球場に着きチケットを見せて入ろうとすると、係員に止められた。
母が貰ったのは招待券ではなく優待券だった。
チケット売り場でひとり1000円ずつ払ってチケットを買わなければいけないと言われた。
帰りの電車賃くらいしか持ってなかった俺達は、外のベンチで弁当を食べて帰った。
電車の中で無言の母に「楽しかったよ」と言ったら母は、「母ちゃんバカでごめんね」と言って涙を少しこぼした。
俺は母につらい想いをさせた貧乏と無学がとことん嫌になって、一生懸命勉強した。
新聞奨学生として大学まで進み、いっぱしの社会人になった。
母も喜んでくれた。
そんな母が去年の暮れに亡くなった。
死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出したように「野球、ごめんね」と言った。
俺は「楽しかったよ」と言おうとしたが声にならなかった。
…………………………
生まれてくれて、
生んでくれて、
育ててくれて、
ほんまにありがとう。
愛してるで〜
無表情のわけ
- 2012.05.10 Thursday
- -
- 20:59
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- -
- by marusan-hair
おはようございます。
元気ですか!!
マイナス言葉というのは雑草みたいなもので、気を抜くといつでも生えてくるそうです。
・・・やばいね
常に刈り取る心掛けが必要なのですね。
マイナス言葉に対して、
「クリアした・もうできた」はないようです。
・・ずっと意識していくってことやね
いつでもどこでも、意識することが大事ですよね。
笑顔を磨き、言葉を磨き、マイナス言葉を刈り取る。
幸せな心を持ちたければ、これを続けることが大切なことのようですよ。
では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!
[無表情のわけ]
検査で喉頭がんと診断された年配の男性がいました。
しかし、彼は医師からの手術の説明にはまったく耳を傾けないで
「最後まで手術をしないで戦う」
と言って、手術の治療を拒みました。
新聞記者だった彼にとって、声を失う手術を受けると取材ができなくなるからでした。
しばらく、入院した彼はその後、手術をしないで自宅で療養することになりました。
しばらくして、彼が再び、入院することになりました。
病状が悪化してしまったので、手術をする必要があったからです。
痩せて、水さえも飲むことができなくなって、苦しそうに呼吸をしていた彼の姿を見て、
看護師さんは
「こんな状態になるまで自宅で過ごしていたのか…」
と彼の意思の強さに驚きました。
気管切開の手術を受けることになった彼は、看護師さんに
「負けました。病に負けました」
と一言だけ話をしました。
気管切開の手術を受けると声をだせなくなるので、これが彼の最後の言葉でした。
彼は若い頃から熱血新聞記者としえ仕事一筋で生きてきました。
全てを仕事にかけるような人生でした。
そのために、息子さんや家のことは全て奥さんに任せっきりだったようです。
以前に入院した時に看護師さんに
「取材、取材でいつも飛んで歩いているから、女房には苦労をかけた。
定年になって仕事を退いたら、取材旅行ではなくて、夫婦水入らずで温泉旅行に行きたい。
女房に楽をさせることがこれからの私の生きがい。
これからは女房との時間を大切にしたい」
と話していたそうです。
やがて、彼はガンの進行のために首から下の神経麻痺が起こり、手足が動かなくなりました。
彼の奥さんが時間のある限り、彼に付き添っていましたが、彼の顔からは笑顔が無くなって、
無表情になり、一点をみつめたまま、誰の言葉にも反応しなくなりました。
奥さんに
「主人が最近、全然、話を聞かなくなり、笑わなくなりました。
何を話しても無反応で夫が何を考えているか分かりません。
どうかなってしまったんですか?」
と相談された看護師さんは
「これからは女房との時間を大切にしたい」
と彼が言っていたのを思い出して
彼のこの気持を声が出せない彼の代わりに
伝えてあげようと考えました。
そして、奥さんがお見舞いに来た時に、
彼が奥さんと一緒に温泉に行きたがっていたことや、
本当に奥さんに感謝しているという彼の想いを伝えてあげました。
ふと、黙って聞いていた奥さんが彼の方を見ると、
彼の口が歪んで鼻水と涙で
顔中がぐちゃぐちゃになっていました。
奥さんは泣いている彼の涙をゆっくりと拭いてあげると
「私は今が一番、幸せよ
1日中どこにも行かないあなたのそばに
ずっと一緒にいられることが今まであった?
こんなに一緒にいられる時間持てて、
私は今が一番、幸せ。
迷惑とも苦労しているとも、ちっとも思わない」
と泣きながら、震える声で彼に話しかけました。
その後の男性はこれまで見たこともないような穏やかで優しい顔つきになりました。
その1週間後、彼は奥さんに見守られながら静かに亡くなりました。
看護師さんは
「私もこの夫婦のようになりたいと思って、
この時に彼の奥さんが自宅の庭から摘んで来たバラをいただいて
私の家の庭に植えたんです。
毎年、咲いてくれる花を眺めながら、
伝えなければ伝わらない想いがあることを忘れないようにしています」
と話してくれました。
病気になってからでは伝えられないこともあります。
ではもう1つ
【惚れて通えば千里も一里】
邑井操氏の心に響く言葉より…
秀吉こと、木下藤吉郎の仕事観は、
「仕事に辛いの辛くないのとごてごていっている連中が多いが、つまらぬ話だ。
骨惜しみをするから辛くなるのである」
藤吉郎は人から言われる前に、先回りしてやってしまう。
「滅法ハカのいく男」と信長から見られたのはそのためだ。
自らその気になって人より先々にやる仕事だから、人の三倍も働くことになる。
それでいていっこうに疲れない。
嬉々としているからだ。
彼の心は常に弾んでいる。
というより自分で弾んでみせている。
弾みをつけている。
こういう男がこんど人の上に立ったとき、
「どうしたら部下を喜ばせることができるか」と、思案する。
「人心を華やかにしたもうこと、なかなか信長公も及ばざる大将なり」
と、一言で「太閤記」の著者はそう秀吉を評している。
長久手の戦で先鋒の将・池田信輝が家康と戦って敗れたという報が、秀吉のところへ入ったとき、彼はいきなり庭へとびおり、相撲取りのようによいしょよいしょと何回か四股を踏み、景気よく弾みをつけ、それからただちに軍を発し、八方の兵を十六段に分かって家康を討つべく出かけている。
なにか彼の周囲にはおもしろい雰囲気がただよっている。
戦の真っ最中にも余裕があって、せっぱ詰まった息苦しさがない。
秀吉にとって仕事は辛いものというより、どうこなしてやろうかという楽しみがあるように見える。
料理人が魚をまな板にのせ、さあどう料理してやるかなと、得意の腕をふるうような姿勢がある。
鼻うたまじりの気楽さが見えるのはどういうことだろうか。
本田技研の創業者・本田宗一郎さんが、ある日、高松宮さまから訊かれた。
「発明というものはとても大変でしょう。辛いだろうね」と。
本田さんが答えている。
「殿下は、“惚れて通えば千里も一里”という俗諺(ぞくげん)をご存知ですか。
好きな女性のところへ行く時、心がわくわく弾んで、千里の遠い道のりもたった一里の近さに思えるわけです。
よそから見ると大変だろうなと思うような困難さも、当人は好きな仕事ですから苦労になりません。
発明とは、私にとっては恋人のようなものでございます」
と答えて高松宮さまを感心させたそうな。
秀吉にも本田さんにも仕事が好きという以上に、楽しんでいるふうがある。
真のプロとはそういうものであろう。
だからきびしい半面リラックスした余裕が見られる。
弾みがちがうのである。
『遅咲きの人間学』PHP文庫
「弾み」とは、勢いだ。
弾みがある人は軽い。
おっくうがらずに、軽やかにすぐに動く。
「軽い」の前に「あ」をつけると、明るい。
軽さは明るさに通じる。
弾みがあって、明るい、そんな魅力あふれる余裕の人でありたい。
身近な人に、自分の感謝の気持ちを忘れずに伝えることが大切です。
いつか訪ねて来る、だれかのために
- 2012.05.06 Sunday
- -
- 15:26
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- -
- by marusan-hair
おはようございます。
元気ですか!!
言語を口にすることで、その言葉の意味が、脳に記憶されていきますよ。
意識は言葉によってつくられ、言葉に出したことで、さらに意識が確固たるものになっていく、という循環があるのですね。
優しい言葉を使っているときは、誰もが優しい表情になります。
優しい言葉によって、意識が優しいものになったからです。
重要なのは・・・
そうした言葉が「口ぐせ」という習慣になって、意識もまた定着していくということです。
だからね・・・
優しい言葉をよく使う人は、表情が柔和になっていきます。
厳しい言葉を、よく使う人が、頑固な顔をしているのも、同じ原理ですね。
ヤバイよ、あなたの表情はどうかな?
では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!
【いつか訪ねて来る、だれかのために】
K.J.深谷氏の心に響く言葉より…
高校生の彼女の夢は、いつか考古学者になって、失われた古代文明の謎を解くことでした。
そう考えただけで、いつも彼女はワクワクしました。
そんなある日、学校の図書館でいつものように本を探していると、「夢を実現するための方法」という本を見つけました。
中身もろくに見ず、すぐさま借りました。
嬉しくて、夢中でページをめくりました。
毎日毎日、まるでむさぼるように読みました。
重要だと思った箇所をノートに写し取り、さらにその中でも最も重要な箇所には赤線を引き、家族が寝静まった深夜、小声で復唱しました。
そして、ノートに写しとった内容を実行することにしました。
まず仲のいいクラスメートに、将来の計画を話しました。
すると、こんな言葉が次々に返ってきました。
「あのさあ、もっと現実的に考えないと、世の中生きていけないとおもうけど。
悪いことは言わないから」
クラスメートたちは笑いつつ、あきれ返っていました。
すっかり落胆した彼女は、家に帰ると、その日友だちに話したことを両親に話しました。
すると両親からも、同じような言葉が返ってきました。
「そんな夢のようなことばかり言ってないで、高校を卒業したら就職してほしんだけど」
そんなとき、担任の先生が彼女に、進路について尋ねました。
「先生、私、考古学者になりたいんです!
家には大学に行けるような経済的余裕はありません。
だから、これまで、コツコツとお小遣いを貯めてきました。
必死に勉強してきたのも、進学して奨学金制度を受けたいと考えたから…」
これまでだれにも話せなかった思いを、一気に口にしました。
黙って聞いていた担任は、優しく微笑みながら、こう話しました。
「大丈夫だよ。
君なら必ず考古学者になれるから」
そして茶色の鞄から、一冊のノートを取り出しました。
「このノートを貸してあげよう。
君の役にたつかもしれない」
古いノートを開きました。
するとそこには、偉人と呼ばれる人たちや古今東西の有名人の名言が、たくさん書きとめられていました。
擦り切れたページを丁寧にめくると、ハッとする言葉に出会いました。
それは一代で成功した、アメリカ人経営者の言葉でした。
「アイデアはこの世で最も価値ある資産です。
肝心なことは、自分のアイデアについて、成功と無縁の人と話すことはお勧めできないということです。
そんなことをしたら、出鼻をくじかれるだけです。
成功する人は、成功した人とアイデアについて語るのです」
それを読んだ瞬間、これまでの謎が一気に解けました。
翌日、彼女は担任にノートを返し、心からお礼を言いました。
「僕はね、君と同じくらいのころから、将来教師になりたいと思っていた。
でも家が貧しくて、あきらめかけていたんだ。
そんなとき、過去の偉人たちの精神を知ったんだ。
毎日その言葉をノートに書き写しながら、自分を励ましたよ。
いつか教師になったとき、この経験を必ず生徒に伝えたいってね」
それから10年の月日が経ちました。
苦労して大学を卒業した彼女は、見事に考古学の研究者となりました。
彼女はいまも、大切な言葉をノートに書き留めています。
いつか彼女を訪ねて来る、だれかのために。
『大切な人に話したい 7つの物語』ビジネス社
多くの人は、自分の経験した範囲の中でしか、物事を考えることができない。
これは、役所や、大きな組織でも同じことがいえる。
いわゆる、前例踏襲(とうしゅう)主義という、過去の事例や、やり方を大事にすることだ。
失敗を恐れ、新しいことにはチャレンジしない、という考え方のことでもある。
だから、成功した経験のない人に夢を語っても否定されるということになる。
「成功する人には、夢を語れる人がいる」
いつか訪ねて来る、だれかのために…
自分の大切な言葉をノートに書き留めたい。
ではもう1つ
【愚(ぐ)を養う】
尾関宗園老師の心に響く言葉より…
これまでの職業人生のほとんどを海外勤務で過ごし、社会的にもエリートとして指導的な立場にあった男性ですが、不況がつづくなか、海外支店がつぎつぎと閉鎖されてしまい失職。
いまさら、国内の小さな企業での使い走りなんかできないといいます。
このようなエリートを自認しているひとは、取り繕いを捨てて、裸で歩くことから始めることです。
相手に対してはもちろん、自分にたいしても隠しごとをしないで、その場、その場でありのままの自分で接する態度を、いつでもとれることが大事です。
だれしも自分の落ち目を恥ずかしいこっちゃ、見ないでおいてやと隠したがりますが、これがいけません。
ともすると格好の悪いところをごまかして、相手に見えないようにはぐらかそうとしたがる。
すこしでも利口に見せよう、相手より立派な自分を見せようとしたがります。
愚の部分に気づいていても、それをひた隠しにします。
愚の部分にさらわれると恥ずかしいので、腹が立ちます。
こうしていつも他人の目を意識して、自分本来の行き方を見失っています。
自分の賢の部分だけを養うのではなく、愚の部分に栄養をつけてやれば、だれに見られようと、何をいわれようとも腹も立たなくなります。
「養愚」とは、こういう逆転の発想です。
現代を生き抜くためには、「徳を隠匿(かく)し、愚を養う」のような基本に忠実な考え方がだれにも必要です。
愚を養うとは、「バカになり切れ」ということです。
一生涯学習です。
自己革新の勉強をしているのが本物かどうか、周囲のひとたちが納得してくれるかどうか真正直な猛直球を投げるのです。
バカになり切ってください。
『大丈夫や!きっと、うまくいく』KKロングセラーズ
自分が恥だとか、格好悪いと思っている部分を、隠したり、嘘をついたりしたとしても、いつか必ずバレて白日のもとにさらされる。
学歴詐称(さしょう)や職歴詐称がいい例だ。
自分の愚かな部分を隠せば隠すほど、それは見る人がみれば、不自然に映(うつ)る。
養うとは、手塩にかけるとか、育てるということだが、愛育といって、愛(め)でる、ということでもある。
愚(おろ)かなことを愛(め)でる、いとしいと思うことだ。
「徳を隠匿(かく)し、愚を養う」
ときにバカになり切って、開き直って生きてみたい。
「今あるもの」を大事に
- 2012.05.03 Thursday
- -
- 16:49
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- -
- by marusan-hair
おはようございます。
元気ですか!!
出来ない理由が先にくる人っていらっしゃいませんか。
出来ない理由を並べることで、自分を慰めているようです。
出来なかった時に、傷つくのが怖いのですね。
先回りして予防線を張ってしまいます。
それって・・・
結果は、出来ないではなく、「やらない」です。
出来る可能性を見出し、行動する事は勇気がいります。
同時に、自分を大きく飛躍させる絶好の経験なんですから。
では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!
ネットにあった感動するお話
本当は書くべきじゃないのかも知れんが、久々に堪らない思いになった。
一応、医者の端くれとして働いている。
こういう生業だから、人の死に接するのは少なくない。
ちょっと前、診察に訪れた若者に余命宣告をしたばっかりだ。
俺:誠に申し上げにくいのですが・・・。
男:はい。
俺:・・・肺癌です。しかもだいぶ進んでいます。はっきり言います。1年もつかどうかです。
男:・・・ガ、
俺:?
男:ガーン・・・・・・ なんちって・・・。
俺:・・・け、結構余裕ですね・・・。
男:ええ、まあ・・・。
聞けば酒も煙草もやらないというのに、なんとも不憫な巡りあわせであった。
ただ、衝撃的な事実を告げられても、この歳でこれほど冷静なのにも驚いた。
男:ああー、参ったな。
俺:・・・
男:あの、入院とか治療の開始とか、すぐ始めないといけませんかね?
俺:ええ、それはもう。すぐにでも取り掛からないと。
男:うーん。一ヶ月待って頂けないですか?
俺:何かあるのですか?
男:母親が、来月楽しみにしていた旅行があるんです。
俺がこんなんだって知ったら、とても安心して行けないでしょうし。
俺:そうですか。ですが猶予もそうないのが現状です。
男:ですよねえ。参ったなあ。そういや、再来月は父親の誕生日なんですよ。
俺:・・・
男:参ったな、ほんと、参った・・・。時間全然足りないですよ。まだ、親孝行してないんですよ。
段々と声が震えてくる。
男:両親に、いつか生でオーロラ見せてやるって約束したんですよ。このまんまじゃ、孝行どころか最悪の親不孝者じゃないですか・・・。
他にも、兄弟にああしてやりたかった、
友人にこうしてやりたかった、
職場で迷惑かける、など、
自分の身の上よりも、あくまで周囲への迷惑が申し訳ないと悔やんでいた。
最後の方は泣き崩れてしまった。
こんな状況ですら、他人の事ばかり考えられるような若者が、
どうして死を目前とせねばならないのだろうか。
どれだけ体験したって、決して慣れるもんじゃない。
そして、こんな若者一人救えない俺の不甲斐無さに、
一緒に泣いてしまった。
ではもう1つ
「今あるもの」を大事にできずに、これから手に入れるものを大事にできるでしょうか
「今あるもの」は、多くのご縁を経て、今あなたの目の前にあるのです
「あれもない、これもない」と愚痴るのと
「あれもある、これもある」と考えるのと、どちらが生産的でしょうか?
兄のエースを失い、自分をコントロールできなくなったルフィ。
「…おれは、弱い!!何一つ守れねぇ!!」
見かねたジンベエが声をかけます
ジンベエ
「…ルフィ君」
ルフィ
「向こうへ行け…!!1人にしてくれ!!」
ジンベエ
「そういうわけにもいかん…これ以上自分を傷つけるお前さんを見ちゃおれん」
ルフィ
「俺の体だ!!勝手だろ!!」
ジンベエ
「ならばエースさんの体も本人のもの…彼が死ぬのも彼の勝手じゃ」
ルフィ
「…お前黙れ!!次何か言ったらぶっ飛ばすぞ!!」
ジンベエ
「それで気が済むならやってみい…」
「こっちも手負いじゃがお前になど、負けやせん…!」
ルフィはためらうことなくジンベエに飛びかかります
しかしジンベエも歴戦のツワモノ。
ルフィを一本背負いで打ちつけます。
鎮まるルフィにジンベエが強い口調で言います
「どんな壁も越えられると思うておった“自身”!!」
「疑うこともなかった己の“強さ”!」
「それらを無情に打ち砕く手も足も出ぬ敵の数々…!」
「この海での道しるべじゃった“兄”!!無くしたものは多かろう」
「世界という巨大な壁を前に次々と目の前を覆われておる!!」
「それでは一向に前は見えん!!後悔と自責の闇に飲み込まれておる!!」
「今は辛かろうがルフィ…!!それらを押し殺せ!!失ったものばかり数えるな!!」
「無いものは無い!!」
「失ったものばかり数えるな!!無いものは無い!!確認せい!!お前にまだ残っているものは何じゃ!!!」
このひと言で、ルフィは気づきます。
そして泣きながら叫びます。
「仲間がいるよ!!!」
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