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  • 2013.03.24 Sunday
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「のび太」が教えてくれたこと

 
おはようございます。

元気ですか!!



「人助けは良いことである」

という思い込み。


きっと執着だよ(^−^)
 

この執着が強いと、

なかなか他人からの依頼を断ることが出来ないよね。
 


全てを、「はい、喜んで・・・」とできないです。

という質問をいただくことがあります。
 

はい、ぜひ、自分の中にある、

「良い・悪い」を一端フラットにしてみてくださいね。
 


自分の現状で出来る範囲の事を、無理せずに誠意で実践するといいのですね。

ただ一生懸命にやってみましょう。

 
結果として、人に奉仕出来なくてもいいのですね。

人に奉仕する前にもっと大切なことは、

まず自分自身が幸せを感じることのようですよ。
 




では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!



【ダメダメでも夢が叶う「のび太」が教えてくれたこと】

富山大学名誉教授 横山泰行 著

アスコムより

 


のび太はあるとき、自分が産まれたときのことを知りたくなって、「タイムマシン」に乗りました。


病室では、のび太の将来について、パパとママがいろいろ語り合っています。


「学者になるかな、政治家になるかな」


「芸術家もいいわね、絵でも彫刻でも音楽でも」


ただ、パパはこのようにも言いました。


「なんでもいい。社会のために役立つ人間になってくれれば。


思いやりがあって勇かんで、明るく男らしくたくましく、清く正しく美しく・・・」


その様子を部屋の外で聞いていたのび太は、思わずドアを開けて二人に話しかけます。


「あ、あのう・・・。


あんまりきたいされちゃこまるんだけど・・・」


そして、パパに素直に伝えました。


「そんなにたいした子じゃないんだから。いえほんと!」


すると、パパは顔を真っ赤にして追いかけてきました。


「いったいうちの子に、なんのうらみが!!」


パパは、いきなり現れたどこの馬の骨ともわからないヤツにそんなことを言われて逆上したのです。


それほど、のび太を可愛く思っていたのでしょう。


追いかけてきたパパから逃げるために「タイムマシン」に飛び乗ったのび太は、心から納得することができました。


「ぼくのしょうらいを、あんなに楽しみにしてたのか」


そして、その期待に応えようと、家に帰るといきなりハッスル。


ねじり鉢巻きをして勉強に集中します。


「からだをこわすから、もうねなさいってば」


「どうしたんだ、急に勉強しだして」


ママとパパは、いつもと違うのび太の様子を心配して、声をかけてくれました。







ではもう1つ




『世界を救うために真実を追究し続けるジャーナリスト』


外交官の父のもとに生まれ5カ国語を操り、
世界各国で暮らすなかで、
徐々に世界の動きへの不信感が芽生えた。

独学を積み独自の人脈を築き
彼は世界を動かす“裏”の
事情を知ることになったという。

各国の王室、
日本の黒幕や、
政治家たち、
CIA、NSA。

多くの“フィクサー”と接見し、
彼が掴んだ真実とは・・・?

情報が入り乱れ
混沌とした世界。

真実を暴くことでこそ
世界は救われる。

命を掛けてでも成し遂げたい彼の使命とは?

さあ・・・



古歩道・ベンジャミン様の登場です!



「枠に囚われない生き方」

父は外交官
母はチェ・ゲバラと友人。

生まれはカナダ
キューバやメキシコなど
沢山の国に行きました。

6人兄弟の3番目、
親は兄と姉に対して
教育熱心だったが
僕が物心ついたころには忙しく
野放し状態。
独学で勉強しました。

子供の頃から冒険好きで
大自然の森に入り
野生的な生活が大好きでした。

アラスカでは
3mのグリズリー(ハイイログマ)に襲われ
命を落としそうになったり
アマゾンでは
味、健康、品質・・・
○○の要素を兼ね揃えた
首狩り族や呪術師の弟子になったり。

幼心に抱いていた世界への違和感。
悪い独裁者が支配している
文明社会から離れた生活をしたかったのです。

ある時
欧米人の旅行者から
南米よりアジアの方がスゴイと聞きました。
子供の頃から読んでいた経済誌で
戦後の驚異的な復興が取り上げられていた“日本”が気になり、
来日しました。

独学ではなく
大学でも学んでみようと思い
上智大学へ。

貪欲に殆どの科目を履修しました。

日本語はアルバイトで働いたバーで覚え、
そこで日本の裏の部分を知る方と出会いました。

得意の独学で
あらゆる書籍や情報を自らの基準で収集していると
世界を操っている悪い人がいると知ってしまい
その人を倒す気持ちが芽生えました。

私の本当の職業は革命家だと思います。

ただ最近は
悪党が誰かではなく
仕組み自体が世の中を悪くしていると
わかってきました。

人生は一度きりです。
つまらないと思ったら
自由に人生を選択して欲しいです。

そう、
実のところ
この世界で一握りの
億万長者は・・・

大体世界的に見ても
独学で学び学歴は関係ない人が多いんですよ。

 

 


洞爺丸

 
おはようございます。

元気ですか!!


夢なき者は理想なし

理想なき者は信念なし

信念なき者は計画なし

計画なき者は実行なし

実行なき者は成果なし

成果なき者は幸福なし

故に幸福を求める者は夢なかるべからず




では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!




[プロポーズ]


僕のおじいちゃんは、某有名大学出身でとても頭も賢く、運動神経も抜群で、


小さい頃はよく勉強やスポーツなど、色々とおじいちゃんに教えてもらっていた。


しかし、今はおじいちゃんに勉強を教えてもらっていない。


正確に言えば、教えてもらう事が出来なくなってしまった・・・。


僕が高校2年生になった頃、


おじいちゃんは痴呆症になってしまったのだ。


今では僕の事も、実の娘の僕の母親の事も分からなくなってしまって、


いつも僕たちに「はじめまして」とあいさつをしてくる。


唯一、奥さんである僕のおばあちゃんの事は分かっているみたいだったけど、


ここ最近になって、おばあちゃんの事もわからなくなってしまった。


しかし、おばあちゃんは毎日笑顔で懸命におじいちゃんの世話をしていた。


今年の年初め、


家族みんなで集まって家でごはんを食べようとなり、久々に家族全員で集まる事になった。


家族の誰一人分からなくなってしまって、


とても緊張をしているおじいちゃんに、


おばあちゃんが笑顔で家族のみんなを紹介していった。


すると、


いきなりおじいちゃんは真剣な顔をしておばあちゃんに話し出した。


「あなたは本当に素晴らしいお方だ。


いつも素敵な笑顔で僕に笑いかけてくれる・・・


あなたが笑ってくれたら僕はとても幸せな気持ちになれます。

 
もし、独り身ならば僕と結婚をしてくれませんか?」


家族全員の前でのプロポーズだった。


2回目のプロポーズに、


涙をぽろぽろこぼしながら、


おばあちゃんは笑顔で「はい。」と答えた。







ではもう1つ




1954年(昭和29年)

9月26日の夕刻から夜にかけて大型の台風15号が北海道を襲った。


当時の青函連絡船「洞爺丸」は、最新鋭連絡船で、

スマートで美しい船体をしていたので「海峡の女王」と呼ばれていたそうですが、

その洞爺丸が大型の台風が近づく函館港を出港、

青森へ向かおうとしていた。


当時は今と違って気象衛星などなく、観測体制は不十分であった。


このため、北海道に接近しつつあった台風の位置、大きさ、速度を正確に知ることはできなかった。


そのため、船長は判断を誤り、洞爺丸を出航させてしまった。


風速五十メートルを超える暴風と高さ十メートル近い荒波に翻弄され、洞爺丸は座礁転覆してしまった。


この海難事故で亡くなった死者の数は1155人、助かった人はわずか160名ほどで、

あの「タイタニック号」に次ぐ、海難史上2番目といわれるほどの大惨事になったのです。

 

その船客の中に、アメリカから日本へ伝道のために来ていた宣教者ディーン・リーパーさん(33)と、

カナダから日本に来ていた宣教者のアルフレッド・ラッセル・ストーンさん(55)がいた。


午後10時半頃、船内放送で乗客全員に救命胴衣の着用指令が出されると、乗客はパニックに襲われた。


二人はあわてたり、泣き叫んだりする乗客をなだめながら、

励ましつつ救命胴衣の着用の手助けをしたという。


そうした中で、自分の救命胴衣の紐が切れて、

着けられなくなって泣き出していた一人の少女を見たリーパーさんは、

急いで自分の身に着けていた救命胴衣を外しながら、

冷静沈着に


「私よりもあなたの方が若い。

これは、あなたが着けるべきです。

私は泳ぎも出来るし、安心しなさい・・・・」

と、手早く、その少女に救命胴衣を着けさせた。

 

またストーンさんも同じ様に救命胴衣を青年に譲っています。


事故から数日後、宣教師から救命胴衣をもらったという青年と少女が現れて証言しています。


驚くべきことにストーンさんがまったく泳げなかったことを、

その後に来日した息子さんが語っています。


ストーンさんは大正15年に来日し、昭和初期、野尻湖畔を拠点に、

布教だけではなく、貧しい人たちのために、

農村更正と農業改良運動に寝食を忘れて働いたのです。


現在トウモロコシやトマトが町の主な作物となっている背景には、

こうしたストーンさんの働きがあったという。


息子さんは

「生前、困っている人がいれば必ず助けた父だった。

船内で父がしたことは少しも驚かないし、

父を誇りに思っています」

と取材にあたった新聞記者に語っている。


この二人の外国人の愛の行為は、

多くの人々に深い感動を呼びました。

 


才能がなかったからこそ

 
おはようございます。

元気ですか!!



人間は言葉とともに人生を歩んでいくそうです。
言葉次第で、豊かに成長していくことができるのですね。

「言葉を意識的に変える」
変えるというより意識して肯定的な言葉を選ぶって感じかな。

誰でも、いつでも、どこからでも実践できるのです。

いかに良い言葉を選択できるかは、
ボキャブラリーの豊富さにかかってきます。
日頃から意識して、言葉を知るということは、
想像力と心を豊かにしていくようですよ。




では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!



【一番になる人】


つんく♂さんの心に響く言葉より


「シャ乱Q」というバンドでプロデビューしましたが、CDはまったく売れず、デビュー二年で早くも引退の危機にさらされていたのです。

あるとき、一つの詞が浮かんできました。

のちにミリオンセラーとなった「シングルベッド」がそれです。


有線放送で一番になる。

全国の有線放送で、「シングルベッド」が流れる。

CDができあがったとき、そんな妄想を頭に描きました。


それからほぼ毎日のように、全国の有線放送会社に、「シャ乱Q」のメンバー全員で、電話をかけまくったのです。

まず、メンバーの一人がレコード会社の社員の役になって、電話をかけます。

「○○レコードのAです。新人の『シャ乱Q』というバンドの新曲が先日、発売されたのですが、メンバーの者がぜひあいさつさせていただきたいと申しておりますので、代わりますね」

「どぉも―、始めましてぇ―、福山雅治と同じレコード会社の新人『シャ乱Q』のボーカルのつんくで―す。といっても知らないすよねぇ―。実はミスチルと同期なんですよ―。えっ、ミスチルは好き?マジで趣味がいいっすねぇ…」


こんなふうに軽い調子で切り出して心をゆるませ、世間話をしながら、有線放送の担当者に僕たちの名前を地道に売り込んでいったのです。

当時、プロデビューしたとはいえ、大した仕事もなかったので、時間だけはたくさんありました。

朝の11時頃から7時間くらいぶっ続けで、まるで営業マンのように、電話をかけまくる日々が続きました。


その思いが、有線放送の担当者たちに通じたのでしょうか。

やがて、コンビニやスーパーで、喫茶店やレストランで、僕たちの歌が流れる回数がしだいに増えていきました。

そして、気がついたときには、百万枚以上のCDが売れていたのです。


僕は運よく、何度も何度も「一番になる」ことができました。

でもそれは、僕に才能があったからではありません。

正確にいえば、僕自身、才能がなかったからこそ、「一番になる」ことができたのです。


才能がなかったからこそ、有線放送会社に電話営業する労を惜しむこともありませんでした。

凡人だったからこそ、「一番になる人」と自分との違いを分析し、売れるための方法を研究することに力を注ぐことができました。

誰もが一番になる可能性を秘めています。

『一番になる人』サンマーク文庫

 

つんく♂さんは、「妄想を抱くことから、ほんとうの人生は始まる。いや、もっといえば、妄想を抱かないかぎり、大きな仕事は成しえない」と言う。

妄想とは、辞書によると、根拠なくあれこれ想像すること。


どんなに細かく情報を分析し、世にある指標を解析したとしても、明日何が起こるかわかる人はいない。

たとえ、1分先のことであっても、誰も予想はできない。

それが分かるなら、株も為替も先物も、大金持ち続出だ。

つまり、未来のことは全てが妄想の世界だということが言える。


一番になる、という妄想をいだかなければ、一番にはなれない。

ただし、大事なことは、その妄想を抱いたら、それを現実に落とし込み、地道な努力をすぐさま開始することだ。

妄想が妄想のままでは、一歩も先に進まない。


成功している人と自分の違いを分析し、研究すること、これが成功への最大の近道だ。

妄想を現実化するのに、奇手(きしゅ)や、奇想天外な方法などない。


「才能がなかったからこそ、私は一番になれた」、と人に話している自分を妄想し、そこに向かって地道な努力を重ねたい。






ではもう1つ



ネットにあったお話です。

 

【両親の仲】


両親は、仲が悪いのだと思っていた。


冷たく見えるぐらい素っ気なかったから。


両親の兄弟姉妹などから、幼なじみで大恋愛だったとか、周りの反対を押しきって結婚したんだとか聞かされても、到底信じられなかった。


母が子宮癌で手術を受けた。


手術の終わる時刻を見計らって病院へ行くと、父が母のベッドの傍に座り、好きな歴史小説を読んでいた。


麻酔から覚醒したのか、母が痛い痛いと呻きだした。


父は即座に小説を閉じ、母の右手を両手で包み込んだ。


『ユミ、大丈夫だよユミ…』


まだ意識が戻りきっていないながらも、父の声に母が反応して答えた。


「タカちゃん…痛いよ…タカちゃん…」


父と母が名前で呼び合うのを聞いたのは、それが初めてで、最後だった。


母の通夜の後、棺の中の母の頬を何度も何度も父は撫でていた。


黙って撫でていた。

 

 


 


魅力的な人

 
おはようございます。

元気ですか!!



人間関係が円滑であれば
人生における大抵のことは、上手くいく。
 
人生は人間関係によって成り立っているのですね。
しかし、いくら良い言葉をかけても、相手に通じないということもある。
それはそれで良し(^_^;)
相性が合わないということもありますから。
 
捉え方としては、相手が誰であろうと、
どんな返事をしようと大した問題ではありません。
大切なことは、自分がどれだけ自分のために、
良い言葉を使っているかということです。




では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!



【魅力的な人とは】

嘆いたり、不満を言ったり、批判したりするのは簡単なことだ。

それに比べて、いい点を見つけるほうがはるかに難しい。

それを自分の大きな課題とするべきだ。


パリの地下鉄の大ストライキのときのエピソードを紹介したい。

混乱した状況で人々は押し合いへしあいだった。

そこに小さな子供づれの母親がいた。

この混乱状態はきっと子供にとっては恐ろしかったに違いない。

しかし、母親は子供のほうに身をかがめ

「冒険って、こういうことなのよ」

と語りかけた。

 

危機的状況や、困難な状況に立たされたとき、私はいつもこの母親の言葉を思い出すことにしている。

いい点を見つけて話すことの一番顕著なプラス面は、あなたの周囲に自然と人が集まるようになることである。

周囲に振りまいている雰囲気が魅力的になるのだ。

人は快活で、前向きで、楽しく、信頼できる人のそばにいるのが好きである。


リチャード・テンプラー著『人生のルール』

=====


『周囲に振りまいてる雰囲気が、その人の魅力になる。』

特に、困難が起きた時こそ、周りの人に、素敵な魅力を感じてもらう最大のチャンスなんですね♪


リーダーを育てる日本一の福島先生から教わりました。

「部下は、上司の姿をしっかり観てる。

特に、問題が起きた時に、上司がどんな言葉、どんな行動をするかをしっかり観てる。

問題が起きた時こそ、かっこいい姿を魅せる最大のチャンス。

リーダーにとって、問題こそが最大のチャンス。」


ドキッとしますね。


さらに


「だから、あらかじめ、大きな問題が起きた時にどんな言葉を言うのかを前もって考えておくこと。

そうすれば、問題がきても、あわてることなく、かっこいい姿を魅せることができる。」


すごいですよね。

問題が起きる前に、起きた時に言う言葉まで考えたことないですよね。
普通は…。


『周囲に振りまいてる雰囲気が、その人の魅力になる。』






ではもう1つ




酒場で飲んでいるときに見つけた、犬との出会いとの話。


「おれは雇い主からトラックを借り、

ぐったりしている雑種犬を

運転台に乗せて近くの獣医に連れて行った。


診察した後、

獣医は「あなたの犬ですか」と尋ねた。


「いや、ただの野良犬です」


「ジステンバーになりかかっていますね」

と、獣医は悲しそうに言った。


「帰る家がないとすると、

1番親切な方法は

この苦しみから永久に救ってやることでしょう」


おれは犬の肩に片手を置いた。


疥癬にかかった尻尾が、ステンレスの診察台を弱々しく叩いた。

 

大きなため息をついて、おれは言った。


「帰る家ならあります」


その犬を、おれはシェップと呼んでいた。


おれのアパートで

横になったまま2日と3晩を過ごした。


3日目の午前10時に、電話技師が来るのでおれはアパートに戻った。


おれが玄関に足を踏み入れたとたん、

全身に嬉しさをみなぎらせた犬が飛びついてきて、

危うく押し倒されそうになった。


シェップが回復したのだ。


死にかかっていた、疥癬だらけの犬は、

やがてがっしりとした胸のふさふさと輝く毛並みをもった、

体重38キロの筋肉質の犬に成長した。

 

おれが寂しいとき、

落ち込んでしまったときに、

荒々しい親愛の情を示してくれることで、

シェップはどれだけ恩返しをしてくれたことか」


 


仕事はおもしろい

 
おはようございます。

元気ですか!!




本日はブログデーではありませんが、

明日書いている時間がとれそうもないので、

今日アップします!!



では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!




斎藤一人さんの著書


「仕事はおもしろい」




世話になった人に対して、自分がどいうお礼をするかって気持ちなんだよ。

そのことがないで成功しようなんてとんでもないよ。


よくね、「一人さんに世話になってね」とかね。


だとしたら私んとこの化粧水使いなって。


あなたが使おうが使うまいが、私は、困るわけじゃない。


だけど、


サントリーの社長に世話になったって言いながら、キリンビールで乾杯しているのはおかしいんだよ(笑)


おかしなことしてると、わかるんだよ。



「総理大臣になってもあそこのコロッケ食うんだ」とか、

私は北海道でもどこでもいっぱいあるの、そういう店が。


それを、あっちのほうがうまいとか。


うまいから食べるんじゃないんだって。


世話になったとこがあるだろうって。


それが本当の成功法則なんだよ。


それが大事なんだよ。


意気に感じて生きているやつは、周りに意気に感じて生きてるやつがいっぱい集まってくるんだよ。


それが、あそこのコロッケのほうが一円安いだとか、あっちのほうがうまいだとか。


うまいもまずいも、そのうまいところはなにか世話してくれたのかよって。


自分が世話になったところのことを考えろよって。


「資生堂にお世話になってるけど、一人さんとこの化粧品使ってます」って。


使うなって(笑)。向こうを使えよって。


一人さんの本で救われましたって涙まで流して、よその化粧水使ってる(笑)。


それ、成功法則から外れてるよって。


そういうやつを人は信じないんだよ。


ほんとの成功法則ってそれだよ。


一本スジの通ったものがないから人生ころころころころ流されちゃうんだよ。


わかるかい。


うまくいってるやつって自然にそういうことをしてるんだよ。



_______



お世話になっていると感じていても、


ありがたいありがたいと言って何もしない人よりは、


行動を起こして少しでも貢献する人の方が真実味がありますね♪




「“義理”“人情”“恩返し”。


GNOがないところにビジネスはない」


 by 見城徹(幻冬舎社長)








ではもう1つ




あるメルマガより






 この間、友人の娘の結婚式に出席した。


 私と友人は高校からの友達で、かれこれ30年以上の付き合いで、その娘の事も知っている。


 その子の結婚式という事で電話が来て出席することにした。


 しかしその子、本当は友人の娘ではなく、友人が20歳の時に生まれた妹だ。


 なぜ妹を娘としていたのかというと、友人が21歳の時に両親が事故で他界

 家族は兄妹二人となり、

 親のいない家族として育てるよりも、

 片親ではあるが父親のいる家族として育てたほうが妹のためにもなるのではと、

 彼なりに判断したからである。


 当時そのことで友人から相談された時は私はすごく反対した。


 確かに妹のことを考えればそれがよいのかもしれないが、お前自身はどうなるのか?


 21才やそこらで子供一人、しかも片親として育てる事は幾らなんでも無理がありすぎる。


 母親のことを尋ねられたらどう答えるのか?そもそも戸籍を見られた際気がつく。


 祖父の元で育ててもらったほうが良いのではないか?

 それに友人自身の将来の結婚などのこともどうするのか?


 それらの事を友人に尋ねると、友人は父親母親方の祖父はすでに病気で他界、親戚に預けるのも嫌、

 それ以前に自身、両親が他界し、つらい時

 妹の笑顔に救われた、この子が無事育ってくれるのならば

 自分の幸せは二の次でも構わない。


 そういわれたら私自身何も言い返せず、ただ

 「つらい道なのかもしれないが、頑張れ」

 としか言えなかった。


 それから友人は家事と仕事、妹の育児とで一生懸命だった。


 私も何か手伝えることはないか?

 と時折聞いてはみたものの、酒に付き合い話を聞くぐらいしか出来ることは何もなかった。


 私の知る限りその子が友人が父親ではなく兄という事を知っている様子はなく

 又友人からそのような話を聞いた事もなかったので、

 うまくいっているのであろうと思っていた。


 式も順調に新郎の会社の方、友人のスピーチなどすべてが順調に進んでいた。



 そして新婦が手紙を読み始めた。


 良くある内容の父への手紙である。

 「お父さん今まで本当にありがとう」

 そう言って娘さんは泣いていた。


 泣きじゃくっていた。


 しかしそこで事態は変わった。


 娘が一向に続きを読まないのである。


 そして首を横に振りながら何か訴えてる。


 何が起こったのかわからず周りはざわつきだした。


 次の瞬間彼女の口から『お兄ちゃん』という言葉が出てきた。


 私は口から心臓が飛び出るかと思った。


 きっと友人もそうに違いない、なにせ顔色が一瞬にして変わっていた。


 彼女はすべて知っていたようである。


 何でも高校生の時、書斎を整理している際に偶然友人の日記を見つけ読んだようで

 その時自分が娘ではなく妹である事を知ったようである。


 彼女は言葉にならないぐらい、

 泣きながら友人に感謝の言葉を言っていた。


 そしてそれと同時に謝罪もしていた。

 自分のせいで兄の人生を狂わせてしまった。

 本当にごめんなさいと何度も謝っていた。


 友人は

 「それは違う。俺の人生はつまらない物じゃない。

 お前がこんなに大きく育ってくれた。

 それだけで俺には十分だ」


 そういっていた。


 俺も自分のことではないのにもかかわらず涙が流れていた。


 そうして周りから拍手が送られ何事もなかったかのように式は進んでいき、結婚式は終わった。


 私は友人とその後居酒屋へ行き酒を飲みながら話をした。


 話をしながら友人は妹のことを思い出しながら涙を流していた。


 私はその時友人におつかれさまと言ってやった。

 友人は笑いながら、いえいえと言い泣いてた。


 友人が今一番楽しみにしているのは孫が生まれることらしい。



愛の仕業

 
おはようございます。

元気ですか!!




二度とない人生だから一輪の花にも無限の愛をそそいでゆこう


一羽に鳥の声にも無心の耳をかたむけてゆこう


二度とない人生だから一番身近な者たちにできるだけのことをしよう


貧しいけれどこころ豊かに接してゆこう


二度とない人生だからつゆくさのつゆにもめぐりあいのふしぎさを思い足をとどめてみつめてゆこう


二度とない人生だから昇る日沈む日まるい月かけてゆく月四季それぞれの星々の光にふれてわがこころをあらいきよめてゆこう





では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!




【 ゆっくりと急げばいい】


伊集院静氏の心に響く言葉より…


30数年前の初夏。

私はトランクひとつで東京駅の切符売り場に立っていた。

東京での暮らしが嫌になり、田舎か、どこかの街に行ってやり直そうと思っていた。

横須賀までの切符を買った。

その日は葉山の御用邸近くの釣宿に泊まり、翌日の午後、海岸を逗子の方に歩いた。

缶ビールを買い砂浜で飲んでいると背後で声がした。


「昼間のビールは格別でしょう」

振りむくと白髪の老人が立っていた。

二人してぼんやり海を見ていた。


「ここら辺りに宿はありませんかね」

「私のところも宿をやってます」

老人の指した海岸沿いに木造の古いホテルがあった。

「宿賃が高そうだ。金があまりなくて」

「金なんか大丈夫。まあ泊まってみなさい」


たったそれだけの会話で、私はそのホテルに7年半という歳月、世話になった。

世話になったと書いたのは、宿賃が長く払えなかったからである。

私は無職だった。

「な〜にホテル代なんぞ、出世払いでいいんですよ。

あなた一人くらい何とかなります」
 

老人はホテルの支配人で、昔は外国航路の厨房長だった。

今、山下公園の前に停泊している氷川丸にも乗っていた。

海のものとも山のものともわからぬ青二才をI支配人はいつも気にかけてくれて、

「ゆっくりやる方がいい。先は長いんだ」

と夜ウイスキーをご馳走してくれた。


半年、一年と宿賃がたまっても笑っていたし、旅に行くと言うと大きな金庫を開けて、少し持って行きなさいと渡してくれた。

途中から食事代もままならず、ホテルの従業員の賄い食を一緒に食べた。

少しだけ仕事をするようになっても、いつも言われた。


「損、得で仕事を選んじゃ淋しい人生になりますからね。おおらかが一番イイ」

「伊集院さん、愉しみなさい。人生はアッという間に過ぎてしまいますから。でもあせっちゃダメだ。ゆっくりと急げばいい」


“なぎさホテル”

そのホテルの名前である。

『続・大人の流儀』講談社

 

伝説のアマチュアゴルファーの中部銀次郎氏の言葉に、「悠々(ゆうゆう)として急げ」がある。

ゴルフは、遅いプレーはまわりに迷惑がかかる。

だから、悠々としてゆっくりと急ぐことが必要、それもセカセカせずに、ということだ。


人生もまた然(しか)りで、遅れてはいけないが、さりとて、あくせくと、なりふり構わぬのも見苦しい。

悠然と、しかも、しっかりと急ぐことが肝要だ。


人生はあっというまに過ぎてしまう、一瞬のドラマ。

あせらずに、ゆっくりと急ぎたい。






ではもう1つ





知ってる?

知ってる?


来月の3月10日、宮城の仙台市のスキー場から、こんな音が聞こえること。


ドンドン

ヒューン ヒューン

パン パン


その音と共に真っ黒の空のキャンパスに赤や青や緑や黄金の光のアートが描かれる。

そうそれは2万発。

2万。

それは特別な数字。



去年の東北の震災で肉体を離れられた方達の数。

その2万発の花火をあげる為には3000万円かかるという。



肉体を離れた人の為に花火をあげること。

それを無駄という人もいるだろう。

なんの意味があるのか理解出来ない人もいるだろう。

それよりも、今、生きている人達の為に使った方がいいという意見もあるだろう。


その気持ちも分かる。

今、目の前で一生懸命生きてる人の為に使おう。

「それも愛」


そして、肉体を離れた人の為に花火をあげたい。

天国からも見えるようにでっかい花火を。

「それも愛」



人間は時にして無駄なことをする生き物かもしれん。

肉体を離れた人の為にお墓をたてたり

花をお供えしたり

「お菓子が好きやったね」ってお菓子をお供えしたり、

「じいちゃん今日は飲もう」ってお酒をついだり。



肉体を離れた人は酒も飲めないし、お菓子も食べれないし、花の匂いをかぐ事も出来ない。

でも、それが人間。

愛する人への思いを祈りだけじゃなく、形に表現してきたのが人間。



「それは愛の仕業」

 


 


親と子

 
おはようございます。

元気ですか!!




今日はブログデ−ではありませんが、明日書いている時間がとれなさそうなので、

本日アップします。





「行く先々で愛をふりまきなさい。


まずは自分の家から始め、

子どもたちに、伴侶に、

そして隣人に愛を与えなさい。



あなたに会いにくる人を

幸せな気分にして帰しなさい。



神の優しさをあなたが身をもって示しなさい。


あなたの表情に、まなざしに、笑顔に、


心をこめたあいさつに…」


byマザー・テレサ







では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!






神奈川県の校長先生♪中野敏治先生の感動のお話です♪




多くの学校では一学期に学級懇談会があります。


修学旅行が間近に迫っている学年では、懇談会の中で修学旅行の説明会も行われます。


私は、ある年から三年生を担任すると、修学旅行前に保護者と内緒話をするようになりました。


「子どもたちに内緒で、お願いがあります。

修学旅行先で子どもたちが家庭に手紙を書きます。

その時に、保護者からの手紙をそっと用意しておきたいのです。」

とお願いをします。


担任からの急なお願いに多くの保護者はためらい、わが子へ何を書いたらよいのか困っている顔をします。


「『修学旅行を楽しんでいますか?』の一言でもいいのです。


お願いをします。

みなさんがわが子へ書いた手紙は、封をして、そっと私に届けてください。」


とさらにお願いをします。 



修学旅行当日の朝、生徒たちと見送りの保護者が集合場所に集まりました。


私のかばんの中には、生徒の誰もが知らない保護者からの宝物が入っています。


生徒たちは修学旅行へ行く楽しさが顔に表れています。


みんな笑顔でいっぱいです。


二泊三日の修学旅行の出発です。


毎回、修学旅行の業者の方に


「この子達にとっては、一生の思い出になる三日間です。よろしくお願いします。」と伝えます。


業者の方も「もちろんです。素晴らしい旅にしましょう。」と答えてくれます。


新幹線の中でも、そして京都・奈良に着いても子どもたちは元気いっぱいです。


様々な学習を行い、一日目の活動が終わります。



夕食、入浴を終えた生徒たちは、大きな部屋に集まりました。

班ごとに反省を行い、健康状態を確認しました。

その後、生徒一人ひとりのテーブルに便箋と切手を貼った封筒を配りました。


そして、「家族に旅の便りを」とプログラムを進めました。


ちょっと間をおきました。


生徒たちは何かあったのかと思い、部屋はシーンとなりました。


「みんな目を瞑って。今日一日を振り返ってみよう。

みんなの親が朝の見送りをしてくれたこと、

修学旅行へ向けていろいろと準備をしてくれたこと、

みんなと一緒に修学旅行へ行けるようにお金を積み立ててくれたこと、

一つ一つを思い出してみよう。」


と静かに話をしながら生徒一人ひとりの席を回り、

保護者からの手紙をそっとテーブルに置いていきました。


「目を開けてごらん。」生徒は自分の目の前にある名前の書かれた封筒を見て驚きました。


ある子は嬉しそうに、また、ある子は恥ずかしそうにその封筒を開け、読み始めました。


部屋はシーンとしています。


どこからとなくすすり泣く声が聞こえてきます。


そのすすり泣く声は徐々にひろがり、部屋のあちらこちらから聞こえてきました。


流れる涙を友達に見られないように、顔を伏せ、返信を書いている子もいます。


男子も女子もみんな目が真っ赤です。


私には保護者が何を書き、子どもたちが何を返信しようとしているのかわかりません。


ただ、「子思う親と親思う子」の姿がそこには確かにありました。


「先生、早く手紙を親に届けてあげたいので、今夜私が郵便局まで行って投函してきます。」

と添乗員さんが声をかけてくれました。


添乗員さんの目も真っ赤でした。







ではもう1つ





またまた神奈川県の校長先生♪

中野敏治先生の感動のお話です♪




私は小学校4年生のとき、学校が嫌いになりました。

その当時は「不登校」「登校拒否」という言葉もなかった時代です。


朝になると、本当に熱っぽくなるのです。

布団から出て、立つとめまいがするのです。

病気かどうかなどわかりません。でも、毎朝、そうなるのです。


母親が、学校へ欠席の電話を入れると、熱っぽさもなくなり、めまいもなくなるのです。


どうして?どうして?って聞かれても、どうしてなのか自分でもわからないのです。

ただ、本当に朝になると熱ぽくなり、めまいがしたのです。


そんな経験がある私が、不登校の生徒とかかわると、「どうして?」とは聞けないのです。


「休むのに理由なんかないんだよね」と思えるのです。



ある年、卒業文集に次のようなことを書いた生徒がいました。

彼には母親がいなく、父親と一緒に暮らしていました。

その彼が自分の中学校生活を振り返って書いたのです。



〜〜〜〜〜



二年生の時の体育祭は私にとって忘れられない思い出があります。


お父さんがお弁当を作って応援に来てくれました。


とてもうれしかったです。


私のお父さんは、その年の秋に病気で亡くなってしまいました。


ショックでした。


三年生になって、なかなか学校へ行けなかったけれども、卒業式を楽しみにしています。


先生にはお世話になりました。


学校を卒業しても中学校生活がいい思い出になるようにしていきます。


これからもがんばります。


〜〜〜〜〜


卒業が間近に迫った時に書いた文章です。

この短い文章の中に、彼の中学校生活のすべてが書かれているように思います。


運動会の日の父親の手作り弁当。彼はどんなにうれしかったでしょうか。


思春期の頃は親を避けたがるもの、そんな気持ちさえなくしてしまうほど、素直に彼は父親の姿に感激をしたのです。


きっと父親も慣れない手つきで息子のために朝早く起きて運動会のお弁当を作ったと思います。


その大切な父親が亡くなったのです。


そんな複雑な気持ちの中に彼はいたのです。


気がつけば、学校を休んでしまっている。

「どうして?」と自分に問いかけてみても、きっと理由などわからなかったと思います。


みんな学校に来たいんです。


そして、すてきな思い出を心の中にたくさん作りたいんです。


いつか、「学校に行きたくて、行きたくて仕方がないよ〜」とすべての子どもが思える学校を作ってみたいです。


そんな子ども達の学校を。








運のつく話

 
おはようございます。

元気ですか!!





「行く先々で愛をふりまきなさい。


まずは自分の家から始め、

子どもたちに、

伴侶に、

そして隣人に愛を与えなさい。

 

あなたに会いにくる人を

幸せな気分にして帰しなさい。

 

神の優しさをあなたが身をもって示しなさい。


あなたの表情に、

まなざしに、

笑顔に、


心をこめたあいさつに…」


byマザー・テレサ





では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!



てんつくマンのメルマガより


運のつく話




知ってる?

なぁ知ってる?

ビックリやで?

「駅のトイレにあるボタンを押したら、凄いことになることを(笑)

 

昨日、赤坂駅でお腹がゴロゴロしてきたから駅のトイレに入ってウンチ君を産み落としたわけよ。


そしたら、生まれたうんち君


「くっさーーーーーー」

思わず、うんち君に

「どれだけ、臭いねん」って突っ込んだんよ。


もう、自分自身が凹むぐらい。

あまりにもの臭さに、動揺してこう思ってん。

(すぐに流さないと次の人に迷惑や!)

(っというか、この匂い、誰にもかがれたくない!)

よくあるやんか、トイレに入ったら、めっちゃ臭いとき。

そんな時にこう思わん?

「お前、こんなに臭かったら、水を流しながらしろよ!」って。

そう思ったから、至急、うんち君を流さなきゃって思ってん。

とにかく一秒でも早く!って。

それで、お尻も拭く前に急いで水を流すボタンを探し、押したんよ!


そしたら、その押したボタンが突然、赤く光るわけよ。

(なんかおかしい???)


(どういうこと?)


そうやねん。


父ちゃんは間違えて、トイレの水を流すボタンじゃなくて、緊急の時のボタンを押してしまったわけよ。


そしたら、知ってるか?


そのボタンを押したら赤坂駅中に、こんな放送が流れるねん。


「緊急事態発生!、緊急事態発生!ただいま、トイレで緊急ボタンが押されました。駅員はただちにトイレに向かって下さい。」

(え〜〜うそ〜〜ん!)

(やめて〜、こっちに来ないで〜)

もう、かなりこっちはパニクってるのに、その放送が何回も何回も流れよるねん。


「緊急事態発生!、緊急事態発生!、ただいま、トイレで緊急ボタンが押されました。駅員はただちにトイレに向かって下さい。」


こっちはお尻も拭いてないっちゅうねん。


そう、逆に俺が緊急事態になったがな。


いやぁ、恥ずかしかったのおもろかったの。


しかし、赤坂駅の駅員さん、素晴らしかったよ。

俺がお尻りを拭く前に飛んできたもんな〜。

「どうしました!どうしました!」

(どうもこうもないがな?

というわけでお尻を拭きながら

「すんません〜、ボタン押し間違えました!」

って叫んだのでした。


ちゃんちゃん。


みなさん、ボタンはちゃんと説明を読んでから押しましょう。







ではもう1つ



またまた運のつく話




「ひすいQ&Aコーナー」
 
 
「天才コピーライターのひすいさんに質問です。


天才的なデートの誘い方を教えてください」


以前、お寄せいただいてたこの質問に、今日はお答えしましょう。


例えばスカイツリーを見て、あなたはどう思うか?


「うわー。高い!」


「うわー。眺めよさそう!」


「うわー。第2展望台まで行くのに3000円ってちょっと高い〜」
 
 
もし、あなたが表現者としての道を歩みたいならば、


上記のように思っているようであれば、もう、スリーアウトチェンジです。


では天才コピーライターひすいこたろうは、


スカイツリーを見て、どう思うのか?


「うわー。


スカイツリーって634メートルもあるの!?


展望台でウンコしたら、その落下スピードたるやすごいだろうな〜


ワクワク(●⌒∇⌒●)」


これです!


人と違うところで驚く。人と違うところでワクワクする。


これが作家というものです。


そして、この驚きをデートに生かすのです。


「ねえ、ねえ。


2012年5月22日の予定あいてる?


スカイツリーのオープンの日なんだけど


展望台のトイレで一番最初にウンコしない?」


これが天才コピーライターのデートの誘い方になります。


すると、間違いなく彼女のハートは


「この人、発想がステキ。普通じゃない。天才かも」


(キュンキュン((((●・ω・)


となることでしょう。


そして、スカイツリーでは、この“詩”を彼女に朗読してあげてほしい。


「イマジン

想像してごらん。


スカイツリーからまっさかさまに落ちていくウンコを。


イマジン

想像してごらん。


まるでそれは、

音速の貴公子アイルトンセナだ」


最後はこのウンチクで彼女のハートをガッチリつかんでくれ。


「スカイツリーのトイレの高さは日本一だから、


配水管を流れるウンコのスピードも日本一なんだ。


あまりのスピードゆえ、菅の中が真空になり、


便器にたまっている水を引き込んで悪臭が逆流してしまう恐れがあり、


そこで配水管の連結部分を曲げて


ウンコのスピードを落とすようにちゃんと設計されてるんだ。


見えないところにも、こまやかな心配りがある。


それがスカイツリーのウンコ対策だ」


ウンコひとつで


どこまでもりあがれるか


それが漢(オトコ)ってもんだ。


5月22日は


ウンコtogether♪@スカイツリー


これが漢のデートってやつです。


健闘を祈る。

 


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