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  • 2013.03.24 Sunday
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何気ない一言

 
おはようございます。

元気ですか!!




受験シーズンなので、受験お菓子が沢山ありますね♪


例えば、


・「キットカット」=「きっと勝つと」


・「カール」=「受験にうカール」


・「ポッキー」=「逆さに読むと“キッポー”→“吉報”」



大事な日の朝ごはんは、ポッキ−をおかずに食べちゃいましょう(笑)



では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!



「人間だからよ、


いい家住みたいとか、


いい車乗りたいとか、


いい女連れて歩きたいとか、


今より金持ちになりたいって、


思うだろ?」


「まあ、はい・・・」


「俺も思ってたよ!


10年位前まで。


でもよ、


あるヤツに出会って変わったんだよ!」


「ある人って誰ですか?」


「それは教えね〜けどよ、


そいつが言ったんだよ!


『俺は、金も、いい車も、いい女も、でかい家もいらない!』って、


そんなこと言いやがるから、何回も聞いたんだ!


『本当にそうか?心からそう思っているのか?』ってな・・・


それでも、


『おれはそんな事より、今いる社員と、今いる家族が幸せになってくれた方がよっぽど嬉しい!』


心の中で俺は思ったよ。


(何きれいごと言ってやがんだ!こんちくしょうっ!)って!


でもな、


そいつがそう言ってた意味が、


3ヵ月後に分かったんだ。


そいつ、癌で死んじまってよ・・・


それで全部つながったんだ。


残り3ヶ月の人生しか残されていなかったとしたら、


金も車も女も豪邸もいらんだろっ!


そんなもんあっても何の価値もなくなる。


それより、


残された家族や社員を心配するだろっ!


それを思ったら、


明日死ぬかもわからん人生で、


何を優先すべきかが見えてきたんだ。


今のお前に分かれとは言わんが、


分かれ!」

 


「人生のあらゆることを、それが最後だと思って行いなさい」


 by アウレリウス(古代ローマの皇帝・哲人皇帝)






ではもう1つ



【何気ない一言に助けられました】


「発言小町」300万人が泣いた魔法の言葉より…



本社から地方営業所への転勤が決まり、開いていただいた送別会の席でのこと。

直属の上司から、涙目でこう言われました。


「お前がいてくれてよかった。

助けられた。

ありがとう」


入社して、15年。

つきあいが下手で、めだつことも嫌いで、腹をわって話せる友人と呼べる人もいません。

でも、誰にも認められなくてもいい。

自分のやるべき仕事は、最後まで責任をもってやろう。

そう自分に言い聞かせながら、これまでやってきました。


自然とうれし涙がこぼれ、男泣きしてしまいました。

今だに、人とうまくつきあうことができません。

でも、がんばっている人の存在に気づいてあがれられるようになりたいと心がけています。

“ぺ”

 


仕事が忙しくて体をこわしてしまいました。

人の二倍は働かないと結果が出せない。

そう思いつめてがんばっていたのに、体がいうことをきかいない。

自分はなんてダメな人間なんだろう、と精神的にまいってしまいました。

とうとう円形脱毛症になってしまい、治療をしてもらいながらぼーっと座っていたら、突然先生がポツリと。


「病気になるほどがんばるってすごいことだよ。

これまでの人生、 あなたのその真面目な性格は損したことよりも得したことの方がたくさんあったはず。

自分を嫌いにならないで」


家に帰ってからなんだか泣けてきて、いっぱい泣いたらすっきりして、自分で自分を追いつめていたことにやっと気付けたような気がしました。

あれから十年。

なっとかやってこれたのは、先生のこの言葉のおかげかな。

“あちゃみん”

『他人の何気ない一言に助けられました』(大手小町編集部)中央公論新社

 

人と人との間で生きている中で、もっとも悲しくて辛いことは、まわりから「無視されること」であり、「存在を否定されること」だ。

その反対に、もっともうれしいことは、「認めてもらうこと」、「ほめてもらうこと」だ。

「あなたがいてくれてよかった」、「あなたの店があってよかった」と言ってもらうこと。


「長所と短所をあげなさい」と言われると、たいていの人は、短所は何個でもあげられるが、あまり長所は出てこない。

しかし、長所と短所は裏と表の関係だと言われる。


社交的な人は、八方美人。

人の気持をくめる人は、顔色をうかがう人。

天真爛漫な人は、怒りっぽくて喜怒哀楽が激しい人。

慎重な人は、優柔不断な人。

意思の強い人は、頑固者。


自分が短所だと思っている性格でも、裏を返せば長所となる。

だからこそ、その性格によって得したことも多かったはず。


自分のいいところを探し、自分自身を認めたい






ダンディズム

 
おはようございます。

元気ですか!!




「行く先々で愛をふりまきなさい。


まずは自分の家から始め、

子どもたちに、

伴侶に、

そして隣人に愛を与えなさい。

 

あなたに会いにくる人を

幸せな気分にして帰しなさい。

 

神の優しさをあなたが身をもって示しなさい。


あなたの表情に、

まなざしに、

笑顔に、


心をこめたあいさつに…」


byマザー・テレサ





では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!




【それでもあきらめなかった偉人】


[マイケル・ジョーダン]

ジョーダンは高校のときに

バスケットボールのチームから外された。

彼はその後

「人生において何度も何度も失敗した。

だから成功した」

と伝えている。

 ↓

バスケットボール史上最高のプレーヤーとなる。


[ベーブ・ルース]


子供のころは非行少年で両親もお手上げで、矯正学校に入れられた。

ホームラン記録を作るまでは三振記録も持っていた。

714本のホームラン記録に対して、1330回の三振をしている。

 ↓

アメリカのメジャーリーグで、34年間ホームランの最高記録保持者であった。


[ウォルト・ディズニー]

ディズニーは新聞社で編集長から解雇を告げられ、

その理由は

「彼は想像力に欠け、よい発想は全くなかった」

と言われた。

ディズニーランドを建てる前に何度も破産し、

テーマパークもアナハイム市から、どうでもいい連中しか寄せ付けないと、建設を拒否された。

 ↓

アニメーション・漫画の巨匠


[ジャンヌ・モロー]

フランスの伝説の女優と言われるジャンヌは21歳のときのオーディションで、

配役のディレクターに

「彼女の頭はゆがんで、美しくなく、

写真写りもよくない」

と言われ、

映画の配役には向いていないと言われた。

彼女は「自分のやり方で行くしかないわね」と自分につぶやいたそうである。

 ↓

100作品もの映画に出演し、

1997年にはヨーロッパの映画アカデミーで賞を取る。


[ハリソン・フォード]

高校のときに「最も成功しそうにない少年」というタイトルで選ばれ、

いじめられっこで女の子にももてなかった。

初めての役柄はベルボーイ役で、

当時の副社長に「君は才能がない」と言われた。

 ↓

スターウォーズやインディ・ジョーンズなどで人気俳優となる


[チャーリー・チャップリン]

父親はアル中で死去、母親は精神病にかかり、孤児院や貧民院を転々とする。

ハリウッドは当初チャーリーのパントマイムをナンセンスだと酷評した。

 ↓

「喜劇王」と異名を持つ、俳優であり、脚本家であり、そして映画監督である。


[ドクタースース]

27もの出版会社に拒否されている。

 ↓

20世紀のマザーグースと評され、アメリカ人に知らない人はいないと言われる絵本作家。


[ザ・ビートルズ]


デッカ・レコードのオーディションで不合格であった。

コロンビア、パイ、HMV、デッカなどのレコード会社に契約を軒並み断られている。

 ↓

最も成功したグループアーティストと呼ばれるイギリスのロックバンド。


[エルビス・プレスリー]

当時はロックに対する偏見もあったことから、何度も中傷の対象になった。

ラジオショーのパフォーマンスは、

たった一度でクビにされ、「トラックの運転手に戻れ」と言われた。

 ↓

最も成功したソロアーティストで「キング・オブ・ロックンロール」の称号を持つ歌手


[ベートーベン]

バイオリンを自己流に扱い、自己流に作曲した曲を弾いた。

そのことで先生に作曲家としての才能はないと言われる。

後に偉大な5つの交響曲を聴覚を失ったまま作曲する。

 ↓

古典派音楽の偉大な作曲家






ではもう1つ





【僕のダンディズム】


内藤誼人氏の心に響く言葉より…


芸能界で人気をずっと、何十年も維持しつづけることは、とんでもなく難しいことである。

その難しいことを、持ち前の自然体でさらりとこなしているのがタモリさんなのだ。


もともとタモリさんが芸能界にデビューしたきっかけも、ジャズピアニストの山下洋輔さんらが「福岡にすごいヤツがいるぞ!」と周囲に吹聴しまくり、その噂をききつけた漫画家の赤塚不二夫さんが、タモリさんに会うなりその才能に惚れ込んでしまって、ムリヤリ東京に連れてきてしまった、というところからスタートしている。

「自分を芸能界に入れてくれ」とか、「番組に出させてくれ」とタモリさんが媚びを売ったことは一度もない。

周囲の人たちが、力を合わせてタモリさんという神輿(みこし)を担ぎ上げてくれたからこそ、今のタモリさんがあるのである。


タモリさんは、今や押しも押されもしない一流のタレントであるが、偉くなっても、少しも偉ぶって見えない。

たいていの人間は、ちょっと偉くなってくると、どうしても自分の地位を鼻にかけたり、尊大にふるまったりしがちだからだ。


食事をしたり、お酒を飲んだりするとき、「俺は客なんだぞ」という顔をする人は、たいていお店の人から嫌われる。

「ここでお金を使ってやる」という態度ではなく、むしろ「お金を使わせていただきます」というぐらいの謙虚な姿勢をとっていたほうが、いいお客さんになれるし、お店の人にも喜ばれるのである。


タモリさんを見出したひとりである山下洋輔さんは、こう語っている。

「自分自身に何の価値も見出していないような雰囲気がありますよね。

芸能人っぽく自叙伝を書いてみたりとか、そういうこともないわけで、そういうことはどうでもいいわけ。

それってけっこうすごいことですよね」

 

そして、タモリさんはこう言う。

「人間にとって一番恥ずかしいことは、立派になるということです。

僕にダンディズムがあるとすれば、このへんですね」

 

「自分って、『自分がいかに下らない人間か』ということを思い知ることで、スーッと楽にもなれるんじゃないかな。

(中略)『なんだ、俺はいままでこんなつまらんことにこだわってたのか』って。

そして楽になると同時に、打たれ強くもなるんですよ」

 

「一度は好感度タレントに選ばれた時期があって、オレは気にしていないようで、ついつい好かれるようにやっちゃってたんだよね。

そんな自分が嫌だったな」


「自分で企画を出すなんて、ボクはゼンゼンしません。

そんな能力ないんです。

ウケなかったら、責任取らなくっちゃいけないですしね(笑)」


「オレ、自分で苦労したって思ったことないよ。

やる気になって仕事したことないし。

生活が変わるときって、いつもだれかが、“こういう仕事あるんだけどどう?”って声をかけてくれたんです。

オレ、その流れに身を任せてきただけ」

『なぜ、タモリさんは「人の懐(ふところ)」に入るのが上手(うま)いのか?』 廣済堂出版

 

以前、タモリさんの経営する飲食店で、黙々と洗い場を手伝っているタモリさんを見掛けたことがある。

「あんなに有名なのに…」と、今でも鮮明に覚えている。


「偉い」の反対は、「つまらない」や「取るに足りない」だ。

自分のことを、「取るに足りない者」とさらっと言える人は、かっこいい。

かっこいい人は、言うことがおしゃれだし、ダンディズムがある。


仏教には、「増上慢(ぞうじょうまん)」という言葉があるが、まだ未熟者なのに、過信して思い上がったり、偉そうにしていることだ。

偉そうにしている人、自惚(うぬぼ)れている人は、かっこ悪い。

たとえどんなに苦労していても、「苦労してます」などと言う人は、おしゃれじゃない。


いつも、偉そうにしない、かっこいい人でありたい。

 

 

 


金銀財宝よりも

 
おはようございます。

元気ですか!!




今日はまずアントニオ猪木さんの言葉をいくつかご紹介致します♪


「道はどんなに険しくとも、笑いながら歩こうぜ」


「花が咲こうと咲くまいと、生きていることが花なんだ」


「悩みながらたどり着いた結論は、やはりトレーニングしかない」


「元気が一番、元気があれば何でもできる」



そしてそして



「人は歩みを止めた時に、

そして、

挑戦をあきらめた時に年老いていくのだと思います」

 



では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!




【金銀財宝よりも】


ミシェル・ピクマル氏の心に響く言葉より…


あるところに、ひとりの貧しい農夫がいました。

この農夫は水飲み場に行くたびに、水に映る自分のみじめな姿を見てため息をもらしていました。

(こんなに生活が苦しくっちゃ、幸せなんかとても手が届かねぇ…)


その日もいつものように水飲み場でため息をもらしていると、あまりにも悲しくなって涙がこぼれ、水に落ちました。

すると突然、水の精が現われたのです。


「ずいぶんと悲しいようだねぇ」と水の精は言いました。

「あんたの欲しい幸せってどんなものなんだい?

言ってみな。

そのとおりにしてやるからさ」


農夫は勢いこんで望みを並べたてました。

お城に住んで、庭には魚も泳ぐような大きな池があって、金銀財宝に囲まれて、きれいな服を着て…。

「これが全部かなえば、もうまちがいなく幸せになれますだ!」


「よく考えなよ」と水の精は言いました。

「急がなくてもいいんだから、ようく考えてからにしな。

おれが消えたら、もうそのあとで望みを変えることはできないんだぜ」


そこで農夫はよく考えて、ダイヤモンドの装身具、見わたすかぎりの土地、小麦粉がどんどんあふれてくるような立派な水車(なにしろこれがあればもう飢える心配はありません)などを追加しました。


「最後にもう一度よく考えるんだな!

何か忘れちゃいないかい?

もうすぐおれは消えるぜ」


農夫はもう何も思いつきませんでした。

そこで、「そんなら、土地をもっと増やして…王さまよりも広い土地を頼みます」と言っただけでした。

「そう言うんだら、ま、お望みどうりにしますかね」と水の精は残念そうに言いました。


さて、水の精が消えたと思ったら、農夫はもうお城の中にいました。

まわりには金銀財宝が積みあげられ、窓から外を見れば地平の果てまで豊かな土地が広がっています。


けれども、農夫のそばにはだれもいませんでした。

妻も、子どもたちも、友人たちも…。

農夫はひとりぼっちになってしまいました。

まったくのひとりぼっちに…。

『人生を変える3分間の物語』PHP研究所

 

どんなに金銀財宝があろうが、豪華な食事が山のようにあろうが、一人ぽっちだったら何も楽しくない。

喜んでくれる人がいるから、人は頑張れる。

応援する相手がいるから、張り合いがある。


人間(にんげん)とかいて、「じんかん」と読む。

人の間(あいだ)、つまり人が住む世の中のことだ。

人間は、人と人との間でしか生きることができない。


人とのご縁や、絆(きずな)こそが本当の宝、と心に深く刻みたい。





ではもう1つ


てんつくマンのメルマガより


「人生の素敵なことは、大体最後のほうに起こるってこと」

 

人生と山登りって良く似てるよね。

山登りを楽しめる人は人生を楽しめる。

昔、山をめっちゃ速く登れる山伏さんに教えてもらったことがあるねん。

「なんでそんなに速く走れるんですか?」

「いつも鍛えてはるんですか?」

って聞いたら山伏さんはなんて答えたと思う?

ちょっと考えてみて。

なんでそんなに速く走れるか?

 

山伏さんはこう答えてくれはった。

 

「自分の力だけで登ってないからだよ」

 

え?


「どういうことですか?」

って聞き返したら

「この花は、きれい〜〜〜」

「今日も空は美しい〜〜〜」

「空気がおいしい〜〜〜」

って言いながら登るんだ。

花にエネルギーをもらいながら

空に空気や風にエネルギーをもらいながら登る。

そういうことなんやって。

だから、たまに自分に問いかけてあげるといいね。

「一人だけでがんばろうと思ってない?」って。

せっかく、おまんの力になりたい人

おまんの力になれることが嬉しいっていう人がいっぱいいるんやから、沢山の人に相談したらいいし助けてもらったらいいねん。

そして伝えてあげよう。


「素敵なことは、大体最後のほうに起こる」って。


山登りと人生の違うところは、山登りはゴールが分かってる。

この山は1000メートルとかね。

人生はどこがゴールか分からん。

だから、この山登りがどれだけ続くか分からん。

苦しい事が続くと、俺ら人間はこれがこれからもずっと続くんじゃないかって勘違いする。

そんなの、続く訳がないのに。

今の状況を変えたいならば、まずは簡単な変化から楽しもう。

部屋を掃除したり、家にあるいらないものをどんどん捨てたり、明るい服を着たり、家に花を飾ったり、音楽を聴いたり。

状況を変えると、心の状態が変わるからね。

過去と同じパターンを繰り返しながら、悩んでるのはアホやで。

だから、変化を楽しもう!



「素敵なことは、大体最後のほうに起こる」って。



でも、それだけとは言えない。

今日、起こるかもしれんし、

明日、起こるかもしれん。

なにが起こったら嬉しいかイメージしよう!

イメージするだけで、人生は変わり始めるからね。

 


たった一言で …

 
おはようございます。

元気ですか!!




「大変な後にやってくるのは大感動」

「大変な後にやってくるのは大感動」

 

つまり、

今、大変、問題、混乱、迷いが来てる人は、ワクワクしよう。

だってこの後、大感動がやってくるからんだからね〜。

 

その大感動を引き寄せる方法は上を向いて今日、笑って生きること!

笑っていても時間は過ぎる。

心配してても時間は過ぎる。

ならば、笑っていこう〜。






では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!



《たった一言で》 池田小学校・3年2組

たった一言で うれしくなる

たった一言で かなしくなる

たった一言で 苦しくなる

たった一言で 楽しくなる

たった一言で 泣きたくなる

たった一言で 「ありがとう」と言いたくなる

たった一言で やる気が出る

たった一言で あたたかくなる

たった一言で さみしくなる

たった一言で わらえる

たった一言で 頭にくる

たった一言で はずかしくなる

たった一言で 落ち込む

たった一言で いやになる

たった一言で おこりたくなる

たった一言で こわくなくなる

たった一言で 元気になる

たった一言で …


『みんなで探した ちょっといい話』かんき出版

 

1984年にラジオで放送されたセイコーの名CMがある。

それは、「一秒の言葉」という詩だ。


《一秒の言葉》


「はじめまして」

この一秒ほどの短い言葉に

一生のときめきを感じることがある


「ありがとう」

この一秒ほどの言葉に

人の優しさを知ることがある


「がんばって」

この一秒ほどの言葉で

勇気がよみがえってくることがある


「おめでとう」

この一秒ほどの言葉で

しあわせにあふれることがある


「ごめんなさい」

この一秒ほどの言葉に

人の弱さを見ることがある


「さようなら」

この一秒ほどの言葉が

一生の別れになる時がある


一秒に喜び 一秒に泣く

一生懸命 一秒

 

たった一言で、我々は元気にもなれば、悲しくもなる。

「たった一言」、「たった一秒の言葉」を大事にしたい。







ではもう1つ



あるブログより



私は今年の4月から、

リハビリステーション病院で働いています。


おもに、脳障害の患者さんのお手伝いをしているのですが、

自分が本当にお役に立てているのか分からなくなっていた日々を送っていました。


そんなある日、


脳梗塞による“言語中枢”へのダメージで、

「失語症」を発症した患者さん(おばあちゃん)の担当になりました。


2ヶ月間、

ほぼ毎日のように、

おばあちゃんに話かけ、質問し、テストをして、一生懸命やってきました。


それでもおばあちゃんは、


かんしゃくを起こしたり、

無視をしたり、

時には叩いたりもしてきました・・・


私は自信をなくしていき、

無力な自分を情けなく感じました。


(もうやめようかな)


そんな事ばかり考えていたある日、

そのおばあちゃんの誕生日が明日だと知り、


次の日、

小さいお花と、

伝わるかどうか分からないけど“メッセージカード”を書いて、

おばあちゃんのところへ持っていきました。


おばあちゃんに渡すと、

しばらくそのお花とメッセージカードを見つめ、

ぽろりと涙をこぼしていたのです。


しだいに大粒の涙へと変わり、

病室に響く声で泣いていました。


その姿を見たときに、

私もぼろぼろ泣いたのと同時に、


「言葉は通じなくても、愛は通じるんだ」

と学びました。


それ以来、このおばあちゃんとの仲もよくなり、

仕事も楽しくなっていきました。


〜〜〜〜〜〜〜〜

 


大切なものは目に見えない。

大切なものは聞こえない。


大切なものって、いつもそうだよね。


本当に大切なものって、

誰か!とかじゃなくって、

誰かの気持ちなんだよね。


「彼女という物体」が大切なんじゃなくて、

「彼女の気持ち」という目に見えないものなんだろうね。


だから、まっすぐな“愛”は伝わるね♪

 

 

 

「相手に伝わらなくてもいいんだと思って純粋さをつらぬけば、

逆にその純粋さは伝わるんだよ」

 by 岡本太郎(芸術家)

 


「のび太」という生き方


おはようございます。

元気ですか!!



人は

簡単に結果が出ないものを続けられない傾向があるそうです。


「こんなにやってるのに」
「結果が出ない」

と止めたくなるのですね。


人が行動を起こすとき、その「決意が本物」なのかどうか試されるようです。

決意が試されるから、習慣化できるのですね(^−^)

それを乗り越えると、ようやく結果が出てくるのですね。

結果が出るのは、決意が認められたとき。


と書くと大袈裟に感じますが、

実は、願望があり、コツコツと日々の積み重ねなんですよ。





では今日もいい話を2つ紹介しちゃうね!!



あるブログより




僕はどんなことでも

「これはダメだ」


と諦めるのではなく

 

「ではどうするか?」


と考えることに

大きな意味があると

思っています。

 

7大陸の挑戦でも

学生の立場でスポンサーを

集めるのは本当に大変でした。

 

100社以上に

アプローチしましたし

 

商品の共同開発を

実現させたこともありました。

 

大変だから

しんどいから

面倒だから

難しそうだから・・・

 

それでは何も前に進まない。

 

エベレストにしても

富士山にしても

 

課題は山積していましたし

うまくいかず落ち込んだことも

多々あります。

 

でも行動を起こすから

その先に何かが生まれるんです。

 

変化は

突然にやってきません。

 

小さな努力の積み重ねから

生まれるものなんです。





ではもう1つ



【「のび太」という生き方】


富山大学名誉教授の横山泰行氏の心に響く言葉より…


ドラえもんマンガにおいて、ひみつ道具の登場しない作品はほとんど存在しません。

そして、大部分のひみつ道具には、つねになんらかのメッセージが込められています。


たとえば、ひみつ道具「かならず当る手相セット」の場合、最初はとてもうまく手相がピタリと当りますが、途中から脱線してはずれてばかりになってしまいます。

するとのび太は「手相なんて気にしているときりがない。ぼくなりに、がんばっていくよ」と宣言し、ドラえもんから「えらい!のび太くんしっかり!」と激励されています。


このように、ひみつ道具ははじめのうちは、次々に起こるあらゆる問題に対してうまく機能し、スムーズな解決への期待を抱かせます。

しかしながら、最終段階では、たとえひみつ道具を使用しても、根本的な問題の解決にはなんらつながらないといった結果に終わります。


またそれは、『一生に一度は百点を…』にも見ることができます。

このお話は、ドラえもんが提供したひみつ道具「コンピューターペンシル」によって、のび太がおそらく一生に一度、テストで100点をとるチャンスが訪れます。

これは誰でもすらすらとテストの問題が解ける、夢のようなペンシルなのですが、テストの前の晩にドラえもんは、このひみつ道具を使おうとするのび太を非難します。

のび太は「かまうもんか!あしたぜったに使ってやるぞ!」と決意しながら眠りにつきました。

でも、テスト当日ドラえもんの昨晩の顔が脳裏に浮かび、のび太は「やめた!ふつうのえんぴつでやろう」と決意を覆しています。


結局、ドラえもんのひみつ道具の基本的なスタンスは、ひみつ道具に頼らないで、自力で問題の解決に対処することがベストである、ということなのです。

のび太にとってひみつ道具とは、あくまでも「自分のいいところ」を伸ばしたり、ちょっと足りないなにかを後押ししたり、また潜在意識のなかで眠っているのび太の優しい心を覚醒させたりする、触媒のような存在なのです。


『雪山のロマンス』で、のび太は相変わらずドジばかり繰り返しますが、のび太の隠れた素質を数多く見てきたしずかちゃんは、ついにのび太との結婚を決意します。

そして、のび太に「そばについててあげないとあぶなくてみていられないから」という珠玉の愛の言葉を捧げるのです。


さらに、『のび太の結婚前夜』では、しずかちゃんの「あたし…、不安なの。うまくやっていけるかしら」の問いに対して、しずかちゃんのパパはきっぱりと「やれるとも。のび太くんを信じなさい」と答えています。

そして、しずかちゃんのパパはドラえもん史上もっとも心に響く次のようなアドバイスをします。

「のび太くんを選んだきみの判断は正しかったと思うよ。

あの青年は人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。

それが人間にとってだいじなことなんだからね」

この話を聞きながら、しずかちゃんはのび太との幸せな結婚生活を確信し、結婚式に臨んだのでした。


テストを受ければ5回に1回は0点、先生にしょっちゅう廊下に立たされる。

放課後にはジャイアンやスネ夫にいじめられ、ママから叱られてばかりいるのび太くん。

しかし、幾多の困難を経て、真の優しさや思いやりを身につけた彼は、ついに憧れ続けたマドンナ・しずかちゃんを射止め、幸せな結婚生活を手にします。

『「のび太」と言う生き方』アスコム

 

人は、目の前が真っ暗になるような困難なできごとや、絶望するようなトラブルに出会ったとき、何か奇跡が起こってくれないか、と願うことがある。

ドラえもんのひみつ道具がそこにあったら、どんなに心が楽になることだろう、と思う。


しかし、どんなに素晴らしい幸運も、奇跡も、自らの努力なしに手に入れたものは、あっというまになくなってしまう、という現実がある。

たとえば、宝くじで大金が当ったがために、不幸になったという例は世界中で数多く報告されている。


簡単な方法で手に入れたものは、簡単になくなるし、苦労なしに手に入れた幸せは、あっという間に去っていく。

人の世は、やっかいなことに、どうもそういう理屈でできている。


「人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことのできる人」

右往左往しながらでも、最後は自力で問題を解決する、「のび太」という生き方も素敵だ。

 

 


席を譲ります

 
おはようございます。

元気ですか!!



人間は言葉とともに人生を歩んでいくそうです。
言葉次第で、豊かに成長していくことができるのですね。

「言葉を意識的に変える」
変えるというより意識して肯定的な言葉を選ぶって感じかな。

誰でも、いつでも、どこからでも実践できるのです。

いかに良い言葉を選択できるかは、
ボキャブラリーの豊富さにかかってきます。
日頃から意識して、言葉を知るということは、
想像力と心を豊かにしていくようですよ。

「言葉を知る」・・・

人生が豊かになってゆくためには必要なことです




では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!



アニキのブログより



『阿部さん』のお宅にお邪魔しました。


このご主人、震災で津波にさらわれた。


100m位流されたところにあった、イチジクの木にしがみついた。


すると目の前に4m位の板が流れてきてん。


それをサーフボードのように使って家まで帰った。


ちょうど、2階の窓のところに着いて、家族に引き上げてもらった。


奇跡の生還。


もちろん、家もめちゃくちゃ。


漁師をしてたけど、船も流された。


そやけど、あきらめてないねん。


もう一度、船を買うって。


何と阿部さん70歳!


船の話をしてる阿部さんはまるで子供のようやったわ。


ほんま、大変やったけど、いっぱい学んだって教えてくれた。


『何かお手伝いすることありませんか?』って聞くと、


『今回の震災で多くの人にいっぱい助けてもらった。』


『これからは自立していかないと』って言うねん。


当時の話をしている阿部さん、笑顔が最高やねん。


!!!


そやのに、阿部さんの目からは涙がこぼれる。


でも、ほんまに前を見てたなぁ。


いっぱい話を聞かせてもらった。


元気をもらった。


勇気をもらった。


いっぱい学ばせてもらった。


帰ろうとすると、自分の宝物って大切においてたウイスキー『山崎の12年もの』を持って帰れって。


そんなん持って帰られへん。


そのかわり約束した。


必ず阿部さんと一緒に飲むために来るって。


すると阿部さんはマジックでボトルに『2011年1月6日、アニキ・ミスター  キープ』って書いた。


奥さんも『次っていつですか?』って。


もちろん、次に出会う日も決めた。


3月15日


震災後1年。


この日に阿部さんと一緒に『山崎12年もの』を開けるために石巻に行く。


ほんまに素敵なご夫婦やったわ。


ありがとう〜


出会えてよかった。








ではもう1つ



てんつくマンのメルマガより



今日も衛藤信之アニキの話を書くわな。

衛藤さんは、大分のお寺のお坊さんのお話をよくしはるのね。

ある時、お坊さんが言うてんて。

坊さん「のぶゆき、お前は電車に乗っている時に、目の前に老人が立ったらどうする?」

衛藤さん「席を譲ります」

坊さん「そうか。そしたら、めちゃくちゃ疲れてヘトヘトな時でも老人が目の前に立ったらどうする?」

衛藤さん「辛いけど、席を譲ると思います」

坊さん「そうか、その時になんで俺の前に立つねんって思ったりせんか、他の若い奴、俺は今、疲れてるんやからお前らが立てよって思わんか?」

衛藤さん「思うかもしれないです」

坊さん「ええか、もしもこれからめちゃくちゃ疲れている時に、ご老人がのぶゆきの目の前に立っても席は譲らなくていい」

衛藤さん「ええ?」

坊さん「そのかわり、絶対に寝たふりはするな。座ったまんまでその老人をしっかり見ろ」

そう言われたんやって。

それから後、

本当にその出来事がやってきてんて。

めっちゃ疲れてる時に目の前におじいちゃんが立ってんて。

そこで、席を譲らず、ただただ、そのおじいちゃんを見たんやって。

そしたら、めっちゃ席を譲らないことが辛くて、思わず

「頼むからこの席に座って下さい」っていう気持ちになって席を譲ったんやって。

それが、本当の自分の心から動くことなんだと。

めっちゃ深いよな〜。

ついつい、席は譲りなさいって言ってしまうのに、まずは席を譲らないことがどれだけ苦しいかを体験させるお坊さん。

めっちゃ凄い。

人に言われて動く一歩と自分が本当に感じて動く一歩、どっちが継続するやろうか?

それは、もちろんやわね。

 


国民的アイドル

 
スタッフの皆さん
 
成人式お疲れ様でした!!
 
 
 
昨日、今日は早朝から
 
お客様のハレの1日のために、
 
みんな本当に頑張りました♪
 


きっと成人式の会場では、
 
皆さんが心を込めたお客様たちの
 
笑顔であふれていることでしょう。



みんな、ありがとう!!





では今日は、メルマガに載っていたAKB48の話を紹介しちゃうね!!




AKB48は、


2011年日本レコード大賞を受賞し、


まさに国民的アイドルグループへと成長しました。


ここ2年位で、急にテレビやファッション誌に出るようになったので、


てっきり3年前位にデビューしたのかな?なんて思っていましたが、


結成されたのは約6年前、


いきなり国民的アイドルグループになったワケではありませんでした。


結成当初、


秋葉原の劇場で、


ほとんどお客さんがいない日もあったそうです・・・


毎日、毎日、


「やめたいっ、いつやめれるんだろう」


って思っていたそうです。


思うように売れていないAKB48を去っていくメンバーも後を絶たなく、


今残っているメンバーでさえ、


当時は去っていくメンバーが正解だとも思っていたと言います。


ある日のステージ、


お客さんを集めようと、


メンバー達も必死に寒空の下でビラを配りました。


しかし、


ほとんどお客さんは来ませんでした・・・


ステージ後、


メンバー同士泣いて悔しがっていると、


AKB48の生みの親「秋元康」さんが来て、


こう言いました。


「何を泣いているんだ!


お客さんは少ないけど、0じゃない!


目の前の1人を倒せないで、


100人、1000人は倒せないぞ!


まずは、


目の前の1人を感動させることが出来るようになれ!」


その後、初めてファンレターをもらい、


ポツリ、ポツリしかお客さんのいなかったステージが満席になり、


徐々に口コミとなって、


今の国民的アイドルグループへと成長していったのです。


レコード大賞の時、


メンバーはこう言います。


「決して私たちが他のアーティストさんと比べて、


優れているなんて思っていません。


歌もみなさん上手いし、


ダンスも私たちより上手い方達はいっぱいいます。


でも、


それでも大賞取りたいんです!


ここまで私たちを引っ張ってきてくれた全ての人に、


恩返しがしたいんです!」


売れていない時から応援してくれている人の為に、


何としてでも賞を取りたいって・・・


素敵です♪


AKB48の人気の秘密を、少し知れた気がします。


 

「富と力を持ったとしても友人知人の恩を決して忘れるな」


 by エジプトに古くから伝わる賢者の言葉

 


不平を言う私

 
おはようございます。

元気ですか!!





『ベトナム戦争直後のことだ。


ある時、私の友人が

ものすごいどしゃ降りの最中に、

アリゾナのガソリンスタンドに立ち寄った。


出てきた従業員はガソリンを満タンにする間中

口笛を吹いていかにも楽しげだった。


その従業員のユニフォームから水がしたたり落ちているのを見た友人は、


こんな大雨の中にひっぱり出してしまって申し訳ないとわびた。


するとその従業員は、

にっこりしながらこう答えた。


「これが私の仕事ですから」


彼は続けた。


「私はね、ベトナムの塹壕の中でじっと腹這いになっていた時に、誓ったんですよ。


もし生きて無事に家に帰れたら、

どんなに嬉しいことか。


そうしたもう二度とどんな目にあったって決して不平をもらすまいと、とね。


だから、私には文句というものがないんですよ」』

燃えるだけ燃えて生きよ!

アラン・L. マクギニス 著


稲盛 和夫 訳






では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!



神様、不平を言う私をお許しください。


今日、バスで金髪の綺麗な少女に出会いました。

私はうらやましかった!

少女はとても明るく見えました。

そして、「私も金髪で色白だったらいいのに」と
思いました。


バスから降りようとして、少女がすっと席を立ちました

見れば、足を引きずりながら通路を歩いています。

片方の足がなく、松葉杖を一本ついています。

それなのに、少女は通り過ぎるときのあの笑顔!


ああ、神様、不平を言う私をお許しください、

私には足が二本そろっています。

世界は私のものです!


私は店に寄ってお菓子を買いました。

応対してのは感じのいい青年でした。

彼とおしゃべりをしましたが、とてもうれしそうなので

もし遅刻することになってもかまわないと思いました。


店を出るとき、青年が言いました。

「親切にしてくださって、ありがとうございます。

あなたのような方とお話ができてよかったです!


ほら、ぼくは目が見えないんです」


ああ、神様、不平を言う私をお許しください、私には
両眼がそろっています。

世界は私のものです。


そのあと街を歩いていると、青い目の子供に出逢いました。

少年は他の子供たちが遊んでいるのを、ポツンと立って見ています。

どうしたらいいのか、わからないのです。

私はちょっと立ち止まって声をかけました。


「坊や、どうして一緒に遊ばないの」


少年は黙って前方を見ています。

そこで耳が聞こえないことがわかりました。

ああ、神様、不平を言う私をお許しください。

私には両耳がそろっています。

世界は私のものです。


行きたいところへ連れていってくれる足があり


夕焼けを眺める目があり、


知りたいことを聞く耳がある。


ああ、神様、不平を言う私をお許しください。

私は本当に恵まれています。


世界は私のものです。


作者不詳

「オグ・マンディーノ人生を語る」

オグ・マンディーノ著 ダイヤモンド社






ではもう1つ



西田文郎さんのメルマガより



【常若(とこわか)】


元日によせて


伊勢神宮に参拝させていただいた時のこと。

お伊勢さまにお神楽(かぐら)を奉納すると、神楽殿で、専属の楽師による雅楽(ががく)と、舞女(まいひめ)の倭舞(やまとまい)、男の舞人による剣を身にまとっての人長舞(にんじょうまい)を見ることができる。

営々と続く日本の伝統美がそこにはある。

神宮でのお祭りは年間で実に1500回以上に及ぶという。

毎朝、古式にのっとり木の棒をまわして火をおこす。

神様へ食事は日に二回。

このお供(そな)えが営々と1500年続いている。


神宮に携わる神職は200人をこえ、関係者を入れれば500人以上にはなる。

その一人一人がエキスパートだ。

それは、神様にお供えする、お供物や祭器をすべて自前で作るだからだ。

お塩

お米

お酒

野菜や果物

素焼きの土器作り…

それらを担当する専門の神官がいる。

もちろん、雅楽も舞いも。

機織(はたおり)も装束(しょうぞく)製作も。

建築も。

現代では、神職以外に、経理、財務、山林管理の職にある人も全ての専門職が祭事には装束を着て参加する。


伊勢神宮には、式年遷宮(しきねんせんぐう)という、20年ごとにお社(やしろ)を建て替える儀式がある。

遷宮ではお社を新しくするのみならず、2000種類近くのご装束や、500点に及ぶ御神宝や神具も古式そのままに、すべて新たに造り替えられる。

その精神を、「常若(とこわか)」という。

時代や精神を継続するには、「常に新たに、日々に新たに」という気持ちが必要だ。

営々とそれが現代まで続いている。


以前、伊勢神宮の神職の方の講演をうかがったことがある。

その中で、海の正倉院といわれる、九州の沖ノ島にある宗像大社(むなかたたいしゃ)の話が感動的だった。

神の島として長い間、一般の立ち入りが禁止されていたため、1954年に初めて祭祀遺跡(さいしいせき)の学術調査が行われたそうだ。

その時に出土したのが、約12万点以上の祭祀遺品。
しかし、その使い方や、名前がわからない。

そこで、伊勢神宮に問い合わせがきた。

その結果、ほとんどの祭祀遺品が判明したそうだ。

1200年前の出土品の使い方や、名前が分かるところは、世界中どこを探してもない。

遺物が出土しても、その使い方のマニュアルや、操作方法など、一緒に埋まっているはずがないからだ。

しかし、伊勢神宮では、1300年にわたって、20年ごとに神宮で使う全ての祭具や装束や建物を、全て新しく作り、その技術まで伝承している。

つまり、1200年前の、沖の島の出土品が、そっくりそのまま伊勢神宮では、今も使われているということだ。


技術の伝承は、20年が限度といわれる。

例えば、若い人が20歳、その上の親方が40歳、その上の大親方が60歳という年齢構成だと、技術は廃(すた)れずに継承される。


次の第62回(平成25年)のご遷宮にはおよそ500億円以上のお金がかかるそうだ。

国からの補助はない。

しかし、一見無駄のように思える20年ごとのご遷宮が日本人の叡智と、技術の伝承を守ってきたのだ。

だから、日本のルーツでありDNAである伊勢神宮を守っていくことは歴史や伝統といった、日本そのものを守ることでもある。


江戸時代にはおかげ参りといって一生のうち一度はお伊勢さまにと、人口の6分の一の500万人が参詣した。

江戸からだと一日40キロを歩いて約2週間かかる。
つまり、一日に10時間歩かないと達成できない距離だ。

現代人なら恐らくその倍はかかるだろう。

それほどに古くから、大切にされた伊勢神宮。


以前、ある企業から伊勢神宮に神職として出向された方が話してくれたが、神宮に配属され一番驚いたことは、

「廊下で出会った偉い神職の方々が、常に一旦立ち止まり、深々と礼をして挨拶してくれたこと」

そこには上下も新参者もない、「真の礼」という凛とした美しい礼儀作法と、相手を敬う心がある。

また、巫女(みこ)さんたちのことを、「ひめさん達は…」と優しく言っていたのが印象的だった。


「何ごとの

おわしますかは

知らねども

かたじけなさに

涙こぼるる」

(西行法師)


連綿と2000年続く伊勢神宮。

常に新しく再生する、常若(とこわか)の神宮。

そこには、何か目には見えない、厳(おごそ)かで、有り難い、涙が流れるような深い感動がある。

 



朝の感謝タイム

 
明けましておめでとうございます!!


昨年は本当にどうもありがとう♪

2012年も皆さんのご多幸をお祈り申し上げます。



では新年一発目!!

今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!




てんつくマンさんのメルマガより




そう、


今の自分の感情が今日を創り、結果、人生を創る。

その感情を創るのは、言葉だったり、動きだったり、思考だったり。

さぁ、今日は目覚めて最初の一言はなんやった?




「やったー、今日も目が覚めた!」

「もう、朝か?」

「もっと、寝ときたい?」


の一言目ってめっちゃでかいねんで。

なので、明日から朝の一言目めっちゃ意識してみて。

それで、心の状態がめっちゃ変わるから。

父ちゃんがの朝の布団の中の儀式を書くわな。

朝、目が覚めたって思ったら、

目をつぶったまんまで「朝の感謝タイム!」って心の中で言うねん。

そして、



「神様、おはようございます!」

「ご先祖様、おはようございます!」

「お父さん、お母さんおはようございます!」

「今日まで出逢ってくれたみなさんおはようございます!」

「応援してくれているみなさん、おはようございます!」



今日も最高の一日がやってきました!

今日も世界に希望を増やす為にやっていきましょう!



まだ、目を開けへんで。



今から5を数えたら目を開きます。



1、体の中にどんどんエネルギーがわいてきます!

2、自分の中からどんどん愛が溢れてきます!

3、自分の中から勇気がどんどん溢れてきます!

4、自分の中から自信がどんどん溢れてきます!

5、さぁ目を開きましょう!



って目を開いて。

 

時間にしたら30秒もかからんのとちゃうかな。

こういうのを自分で考えてやってみて。

もう、朝の目覚めがめっちゃ変わるから。




時には感謝中に二度寝してしまうけどね。

でも、感謝中の二度寝ってよくない?

いつも書いてるやろ。

ストレスや不安や恐怖を感じるのは感謝を忘れた時やで〜って。

だから、朝、感謝タイムから始まるといい感情が沸いてくるねん。

という訳で、ぜひ、今、目をつぶっても出来るよね。




今、イライラしてる人、不安が大きい人、なにか痛みを感じてる人、ぜひ、この感謝タイムやってみて。

コツは神様なんて言ってる時、具体的な形をイメージした方がいいからね。

今日まで出逢ってきた人の時も、みんなの顔を出来るだけ思い出して。

今日まで、沢山の人に支えられてきたやんか。

そんな人を思い出してみて。



というわけで、今日も一日、なんだかあったかい気持ちでやっていきますか〜!

今日も、みんなでこの世界に希望を増やしていきましょう!







ではもう1つ



西田文郎さんのメルマガより



【ホスピタルクラウン】


道化師・クラウンK、大棟耕介氏の心に響く言葉より…


ぼくはホスピタルクラウンとして、小児病棟を訪問して病気と闘う子どもたちを元気づける仕事もしています。

誰もが幸せな気持になり、思いやりを持ってコミュニケーションをとっていけるようになることも、おもてなしに含まれる。

そう理解しているので、パフォーマンスは心と身体の治癒力、回復力を促すために大いに役立っていると自負しています。


何年か、病院を訪れる中で気づいたことがあります。

僕の手品や風船のパフォーマンス、いたずらを天真爛漫に笑ったり、「そんなのダメだよ」とストレートに感情を出して怒る子どもがいるかと思えば、一方では表情を硬くし、母親や看護師さんの顔色を伺いながら、大人びた対応をしようとする子どもがいるのです。


子どもは自分を取り巻いている環境をとても敏感に感じ取る部分と、その逆に鈍感な部分を持ち合わせています。

短期療養の子どもと、長期療養のこどもは違います。


長期療養の子どもは、母親が笑ったり、泣いたり、悲しんでいる心の変化にとても敏感。

「退院」という希望の出口をなかなか見つけられないことに苦悩し、家と病院を往復する毎日で疲れ果てている母親。

絶望という感情があふれださないように、感情を無理やり抑え込む母親を傍で見ている子どもは、

「僕の病気は重病なの?一生、治らない?」

「私はママに迷惑をかけてるの?いい子にしなきゃいけないの?」

「私、あの注射をする先生が大嫌いって言っちゃいけない?」

本音を言葉にすることもできず、自分の隣にいる悲しそうな目の母親を見て、どんどん自分の感情を押し殺し、おとなしくいい子に変わっていきます。


ホスピタルクラウンとして活動を始めた当初は、子どもたちしか見えていませんでした。

子どもたちのためだけに、一生懸命パフォーマンスするのが仕事だと思っていたのです。

しかし、ふと気がつくと、子どもたちの隣で「ふふふ」と声を出して笑う母親を見て、子どもがつられて笑う!

このことに気づいてから、僕は子どもではなくお母さんに対してパフォーマンスをする方法に変えていったのです。

この時点では、もう子どものことは後回し。


徹底的に母親にギャグを言ったり、いたずらをして楽しませることに徹します。

すると、じわじわと僕とお母さんたちの呼吸が合ってくるのを感じるのでした。

そして、見ると隣で子どもが笑っている。

お母さんの笑い声は病室の空気を変えるのです。

『道化師(クラウン)流 サービスの力』こう書房

 

会社の中を明るい笑い声で満たそうと思っていても、社長や上司が社員の「笑い声」や「ジョーク」に対していい感情を持っていなかったら、そのことは浸透しない。

社長や上司の心の底に、「笑い声をたてること」、「少しくだけること」は、「会社の中ではふさわしくない、もっと真面目にやるべきだ」、という思いがあるからだ。

だから、そういう会社では、まずトップという権威者が、会社の中で、大笑いをしたり、ジョークを言って社員を笑わせることが必要となる。


子どもは、親の顔色をみて育つ。

社員も、上司や社長の顔色を見て仕事をしている。


子どもが笑顔でいて欲しいと思ったら、親がいつも笑顔でいたほうがいい。

そして、病院中が笑いに包まれたかったら、医者も看護師も、「ここは笑ってもいい場所なんだよ」と常に患者に伝えていかなければならない。


「お母さんの笑い声は病室の空気を変える」

どんなに厳しい状況であっても、ちょっとふざけたり、笑わせたり、自ら道化師を演じられる人は魅力的だ。

 

 


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