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  • 2013.03.24 Sunday
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一定期間更新がないため広告を表示しています


「喜ぶ」を意識すると

 
おはようございます。

元気ですか!!



今日で10月も終わりですね!!

どうですか。

最幸の10月になりましたか〜☆


みんな今月もありがとう!!!



では今日もいい話を2つ、紹介しちゃうね!!





人は


自分自身の経験や知識から、
大なり小なり「偏見」を持っているそうです。

そっか・・・
誰しも持っているものなのですね。

だからといって、
それでいいということではなく、
その偏見を無くして接することで、
人の魅力は見えてくるようです。

誰でもその人その人の魅力が必ずあります。
人の魅力を見るというのは、
自分の心を綺麗にすることでもあるようです。

これは、訓練することです。
まずは、日々の状況や環境の中からも「喜ぶ」を探す(^−^)

今日の通勤、通学の際に、
何か一つ「喜ぶ」を探してくださいね。


草木のことでもよし
天候のことでもよし
電車やバスの中のことでもよし

偏見手放し、なんでも興味持ってくださいね。
「喜ぶ」を意識すると「喜び」はたくさんあるものですよ。







ではもう1つの話


『創業300年、江戸最古の老舗人形企業を率いるスゴい人!』

 

今、
本屋では、
“老舗企業”についての本が
売れに売れている。

こんな時代だからこそ、
継続できる経営を学ぼうとする人が多いから。

本日登場の方は、
創業300年の
江戸最古の人形老舗会社の現社長。

12代目。

社長に就任して、
名前も襲名した。
これも、
代々、受け継がれていること。

老舗企業の社長が伝える
継続とは?

さあ・・・
株式会社吉徳
代表取締役社長
山田徳兵衞様の登場です!




「大事なのは、301年目」

私は長男で、
子供ながらに、
なんとなく
実家の家業を引き継ぐことは
分かっていたが、
子供の時に、
30歳、40歳になった
自分が想像できないように
僕にだって出来なかった。

大学卒業後、
キティちゃんなどで有名な
サンリオに入社した。

その時の
父親の言葉が今も忘れられない。

“骨を埋めるつもりで仕事をしろ!”

いつかは、
吉徳に戻ることが分かっている中で、
この言葉は、
すごく、僕には響いた。
目の前のことに一生懸命になる。

人形の吉徳は、
お陰さまで、創業300年。

しかし、
これからの存続は、
今までの継続だけに
甘んじてはいけないと痛感します。
来年は、
創業1年目の会社にとっても1年目であり、
我々、300年の会社にとっても新しい1年。

実は、
300年間、
一度足りとも、本業は変えていないが、
ぬいぐるみを扱ったり、
オンラインショッピングといった
新しい試みも始めました。

変えてはいけないものは変えずに、
これからも
変化を恐れず、会社を継続したい。

人形の吉徳は、
祖先からの預かり物。
自分は、
次に渡す役割でしかない!


一番になる人

 
おはようございます。

元気ですか!!



私たちには、能力の差があるのではなく、

その「今」の「反応」を作り出した習慣形成の違いがあるだけですよ。

言語は左脳に入っていて、その言語を、言葉にして発した瞬間に、
その言葉に意味づけされたイメージが右脳に膨らむのですね。

しかも・・・


瞬間にです。


そしてそりイメージに支配されているのです。

意識的に良い言葉をたくさん使うことで良いイメージを作り出すことができます。

今月は特に言語習慣が思考習慣を作り出し、
その思考通りに我々が行動してしまっている。
だからこそ、元になっている言語習慣を変えることが必要!
ってお話を書かせていただきます。

昨日までのことは、誰もが知っていますね。「変えられない」って!
明日からの人生は自由に創作できます。
自由というよりも、今日の言葉が未来を作り出すのです。

まずは1日・・・

どんな言葉を意識して使ってみますか?





では今日もいい話を2つ「ギュギュギュッ」と紹介しちゃうね!!




【一番になる人】


つんく♂さんの心に響く言葉より…


「シャ乱Q」というバンドでプロデビューしましたが、CDはまったく売れず、デビュー二年で早くも引退の危機にさらされていたのです。

あるとき、一つの詞が浮かんできました。

のちにミリオンセラーとなった「シングルベッド」がそれです。


有線放送で一番になる。

全国の有線放送で、「シングルベッド」が流れる。

CDができあがったとき、そんな妄想を頭に描きました。


それからほぼ毎日のように、全国の有線放送会社に、「シャ乱Q」のメンバー全員で、電話をかけまくったのです。

まず、メンバーの一人がレコード会社の社員の役になって、電話をかけます。

「○○レコードのAです。新人の『シャ乱Q』というバンドの新曲が先日、発売されたのですが、メンバーの者がぜひあいさつさせていただきたいと申しておりますので、代わりますね」

「どぉも―、始めましてぇ―、福山雅治と同じレコード会社の新人『シャ乱Q』のボーカルのつんくで―す。といっても知らないすよねぇ―。実はミスチルと同期なんですよ―。えっ、ミスチルは好き?マジで趣味がいいっすねぇ…」


こんなふうに軽い調子で切り出して心をゆるませ、世間話をしながら、有線放送の担当者に僕たちの名前を地道に売り込んでいったのです。

当時、プロデビューしたとはいえ、大した仕事もなかったので、時間だけはたくさんありました。

朝の11時頃から7時間くらいぶっ続けで、まるで営業マンのように、電話をかけまくる日々が続きました。


その思いが、有線放送の担当者たちに通じたのでしょうか。

やがて、コンビニやスーパーで、喫茶店やレストランで、僕たちの歌が流れる回数がしだいに増えていきました。

そして、気がついたときには、百万枚以上のCDが売れていたのです。


僕は運よく、何度も何度も「一番になる」ことができました。

でもそれは、僕に才能があったからではありません。

正確にいえば、僕自身、才能がなかったからこそ、「一番になる」ことができたのです。


才能がなかったからこそ、有線放送会社に電話営業する労を惜しむこともありませんでした。

凡人だったからこそ、「一番になる人」と自分との違いを分析し、売れるための方法を研究することに力を注ぐことができました。

誰もが一番になる可能性を秘めています。

『一番になる人』サンマーク文庫

 

つんく♂さんは、「妄想を抱くことから、ほんとうの人生は始まる。いや、もっといえば、妄想を抱かないかぎり、大きな仕事は成しえない」と言う。

妄想とは、辞書によると、根拠なくあれこれ想像すること。


どんなに細かく情報を分析し、世にある指標を解析したとしても、明日何が起こるかわかる人はいない。

たとえ、1分先のことであっても、誰も予想はできない。

それが分かるなら、株も為替も先物も、大金持ち続出だ。

つまり、未来のことは全てが妄想の世界だということが言える。


一番になる、という妄想をいだかなければ、一番にはなれない。

ただし、大事なことは、その妄想を抱いたら、それを現実に落とし込み、地道な努力をすぐさま開始することだ。

妄想が妄想のままでは、一歩も先に進まない。


成功している人と自分の違いを分析し、研究すること、これが成功への最大の近道だ。

妄想を現実化するのに、奇手(きしゅ)や、奇想天外な方法などない。


「才能がなかったからこそ、私は一番になれた」、と人に話している自分を妄想し、そこに向かって地道な努力を重ねたい。







ではもう1つ






「エビングハウスの忘却曲線」というのをご存知でしょうか?


これは、


人間の記憶に対する実験で、


人は、


一度記憶したものを、


20分後には、42%を忘却し、


1時間後には、56%を忘却し、


1日後には、74%を忘却し、


1週間後には、77%を忘却し、


1ヶ月後には、79%を忘却した。


つまり、


1ヶ月経ったら、


21%のことしか覚えていないということです!


そして、


この理論には、


一つポイントがあります♪


それは、


1日覚えていたことは、


1ヵ月覚えていられる可能性が高い!


その差は5%だからです♪


まず、24時間後に覚えていられるように勉強したら良いですね♪

 

 

「神は記憶を与えて下さった。


それは人生の辛い冬の時期に、


6月のバラを思い描けるようにする為だ」


 by ジェームス・バリー(イギリスの劇作家・童話作家)

 


本当に恥かしいのは・・・

 
おはようございます。

元気ですか!!



こないだ南三陸町に行った時、夜の冷え込みでちょっと風邪気味になってしまいました。

ボクは風邪を「気力」で治すタイプなので(けして真似をしないでください)、

今日も熱くいっちゃってます(笑)



では今日もいい話を2つ紹介しちゃうね!!





【 本当に恥かしいのは・・・】

 


こんなお話を聴かせて頂きました・・・


〜〜〜〜〜〜〜〜


我が家は4歳と2歳の男の子ふたり。


弟は自閉症で、週に数回通所施設を利用している。


夕方、兄弟で社宅の公園で遊んでいたら、


小学生くらいの子が


「お前の弟、○○園に行ってんだろ。


あそこはバカが行くようちえんだってママが言ってた。


超恥ずかしいのー」


とからかった・・・


私は一瞬頭の中が真っ白になったけど、


上の子は涼しい顔で、


「はずかしいっていうのはね、


小さい子をいじめたり、


ごはんをそまつにしたりうそをついたりすることなの。


○○園でがんばるのは、


はずかしくないの!」


と返した・・・




 


恥かしい事って、何でしょう?


本当に恥かしい事って、


この子の言う通りかもしれませんね・・・


恥かしくない生き方、


かっこいい生き方、


していきましょうね♪









ではもう1つ



『プーチン元ロシア首相との単独会談を実現したスゴい人!』

 

冷戦崩壊の立役者

ゴルバチョフ。


20世紀最高のバレリーナ
マイヤ・プリセツカヤ。

今や押しも押されぬ世界のマエストロゲルギエフ。



数々の有名人のインタビューをこなし
21世紀の歴史に刻まれる証言を引き出してきた。

著名な人々と友達付き合いを楽しみ
心の本音を聞きだし
その記録を残すことができた彼の生き方とは・・・?



さあ・・・

小林和男様の登場です!


「ダメもと精神、種を播け」

大卒でNHKに入社し、各部での経験を積み、NHKの一番若い特派員だとおだてられ
胸を張って意欲満々でロシアに赴任したのですが、
共産主義の報道統制は生易しいものではありませんでした。
北朝鮮に行って活動が出来ないのと同じことです。

しかしそこで逆にロシアを良く知るきっかけを掴みました。
ロシアには意外にぬけたところがあって、常識では出来っこない事が出来るということです。

夜が明けないうちにお墓に潜り込み、
誰も撮影し得なかったフルシチョフ元首相の葬儀を撮影する事に成功し、
これが世界的なスクープになったのがきっかけでした。

以来、私のモットーは
“ダメもと精神、種を播け”になりました。

そして
インタビュー実現が難しいと思われる相手にも、辿り着けるようになりました。

しかし、いざインタビューとなっても
本当に心を開いたインタビューや付き合いをするのは簡単ではありません。

ことに、相手が大統領や首相といった地位にある人の場合は難しいです。
私はそうした仕事はゲームだと考えています。
ゲームは難しければ難しいほど、解いたときの喜びは大きいですね。

仲間には
「ロシアでの仕事はゲームを楽しむ感覚でやらないとノイローゼになる」
と言ってきました。
例えば、
統領とのインタビューを実現させる過程などは
インタビューそのものよりもドラマチックです。
過程すら楽しむ事。

しかし何もかもが楽しいことばかりというわけでもなく
職場でも必ず上司に恵まれるとは限りません。
私も酷い目に遭い辞めようと思った事があります。

しかし、
どう考えても私の方が正しい。
辞めたらダメな上司の方が喜ぶだけだと思った時に、
ストレス解消方法を考え、生き抜きました。
ダメな上司はすぐに馬脚を露わし、
ストレスを解消して精神的にも肉体的にも快調な私は
評価の高い仕事をする事が出来ました。

今ではそのときのダメ上司に感謝しています。
どこにでも成長の鍵は転がっていると思います。

ダメもと精神で
種を播き、楽しんで生きましょう。




「幸福の国」と「不幸の国」の距離

 
おはようございます。

元気ですか!!



先日、南三陸町に、復興のボランティアに行ってきました。

今回のメンバーは、立ヶ谷部長、立野サブ店長、

そして、フィヨーレコスメティクスの尾鷲副社長です!!



また会議とかでその様子をお知らせしたいと思います。






では今日も勉強になる話を2つ紹介しちゃうね!!




『幸福』の反対は、『不幸』だということになりますが、

この2つの距離は、どれだけ離れているのでしょうか。



ここに、ひとりの「不幸の国」の住人がいるとします。


彼は、自分が住んでいるところがイヤでイヤで溜まりません。


太陽が昇るとまぶしいし、夜は暗くなって怖いのです。


晴れの日は、暑くて汗をかいて不快だし、雨が降れば降ったで、濡れるのがうっとうしく思えます。


夏はうんざりするほど暑いし、冬が来れば寒くてやりきれない。


春と秋の、ちょうどいい気候の頃なんて、すぐに過ぎていってしまいます。


それに、仕事は忙しくて疲れるし、家に帰れば、狭いところに家族がひしめいていて、うるさくて心の休まるときもありません。


一生懸命に仕事をしても誰も認めてくれないし、家族のためにがんばっても、感謝のひとつもされたことがない。


彼は、自分がこんな国に生まれてきてしまったことを嘆いています。


これは自分ではどうすることもできないのだとあきらめ、ただツイていないことを恨んでいるのです。

こんなところに住んでいるから、いつまでたっても不幸なんだと思っています。


さて今度は、「幸福の国」に住んでいる人をご紹介しましょう。


彼は、自分が、この国に生まれてきたことに感謝しています。

だって、毎日太陽が昇ってすべてを照らしてくれるし、夜には美しい星を見せてくれます。


晴れの日は身体を温めてくれるし、ときおり雨が降って大地を潤し、心を洗い流す時間をプレゼントしてくれるのです。


暑い夏には、泳ぎに行ったり、夕涼みをして楽しむことができますし、冬は、スキーをしたり、温かい料理に心が和んだりします。


おまけに、春や秋の、心地よい季節だってあるのです。


ありがたいことに忙しく仕事をさせていただいているし、家には家族が大勢いて賑やかです。


仕事では、うまくいくときばかりではありませんが、自分なりに努力しています。


それに、愛する家族がいるから幸せなんだと感謝してがんばっています。


本当に、今、こんな幸せな国にいることに満足しているのです。


このふたりは、ずいぶん違う国に暮らしているようにも思えますが、実は同じ家に住んでいるのだと言ったら信じられますか。

 

そう、「幸福の国」と「不幸の国」の距離は、

本当はゼロなのです。


『幸福』と『不幸』は、コインの裏表のように、違っているように見えて、実は同じもののようですね。

 

「不幸の国」に飽きたら、いつでも「幸福の国」に引っ越すことができるのですよ。

 

ではもう1つTKさん、64歳の男性、胃がん患者。


小さな町工場の責任者。


いわゆる職人気質の人で短気。不平不満が多い。


例えば投薬時間が少しでも遅れると「遅い!」と大声でナースに怒鳴る。


TKさんの病状は急速に悪化し、やがて1日中ベットで過ごす日が多くなった。


そんなある日、担当のナースが詰所に駆け込んできて言った。


「TKさんに薬を渡したら、『ありがとう、世話になるなぁ』と言われたんです」。


彼から感謝の言葉が出るなど、全く想定外だった。


その日の夕方、奥さんが目を丸くして、詰所に来られて言った。


「何があったのですか。先ほど洗濯物を持ってきたら、主人が『ありがとう。ご苦労さん』って言うんです。私もう、びっくりして。結婚以来初めて感謝されました」。


TKさんに一体何が起こったのか。


私はその理由を彼に尋ねた。


TKさんは次のように言った。


「横になってボーっと天井を見ていると、自分のこれまでの人生のことがいろいろ思い出されてきました。


そして、随分いろんな人に、いろいろお世話になったなぁと思いました。


私が誰かにしてあげたことより、


私が人にしてもらったことの方がずっと多かったことに気がつきました。


頑固で短気な私は、周りに不平ばかり言って生きてきましたが、死ぬ前になってやっと人に感謝する気持ちが湧いてきました」

_______


“「死にざま」こそ人生”

柏木哲夫 著

朝日新聞出版さんより

_______


約2500名の患者さんを看取った著書の柏木哲夫さんは言います。


「多くの人は、生きてきたように死んでいく」


不平不満を言いながら生きてきた人は、不平不満を言いながら死んでいく。


周りに感謝して生きてきた人は、感謝しながら死んでいく。


しかし、こうも言います。


「人間は成長し続けることができる。


人生の総決算の時に、素晴らしい成長を遂げる人も存在するのである」


今からだって何歳だって遅くない、


人は成長し続けることが出来るから、


感謝の人生にしよう♪


感謝に気付く人生に♪

 

 


「私が誰かにしてあげたことより、


私が人にしてもらったことの方がずっと多かった」


 by TKさん

は、どれだけ離れているのでしょうか。


ここに、ひとりの「不幸の国」の住人がいるとします。


彼は、自分が住んでいるところがイヤでイヤで溜まりません。


太陽が昇るとまぶしいし、夜は暗くなって怖いのです。


晴れの日は、暑くて汗をかいて不快だし、雨が降れば降ったで、濡れるのがうっとうしく思えます。


夏はうんざりするほど暑いし、冬が来れば寒くてやりきれない。


春と秋の、ちょうどいい気候の頃なんて、すぐに過ぎていってしまいます。


それに、仕事は忙しくて疲れるし、家に帰れば、狭いところに家族がひしめいていて、うるさくて心の休まるときもありません。


一生懸命に仕事をしても誰も認めてくれないし、家族のためにがんばっても、感謝のひとつもされたことがない。


彼は、自分がこんな国に生まれてきてしまったことを嘆いています。


これは自分ではどうすることもできないのだとあきらめ、ただツイていないことを恨んでいるのです。

こんなところに住んでいるから、いつまでたっても不幸なんだと思っています。


さて今度は、「幸福の国」に住んでいる人をご紹介しましょう。


彼は、自分が、この国に生まれてきたことに感謝しています。

だって、毎日太陽が昇ってすべてを照らしてくれるし、夜には美しい星を見せてくれます。


晴れの日は身体を温めてくれるし、ときおり雨が降って大地を潤し、心を洗い流す時間をプレゼントしてくれるのです。


暑い夏には、泳ぎに行ったり、夕涼みをして楽しむことができますし、冬は、スキーをしたり、温かい料理に心が和んだりします。


おまけに、春や秋の、心地よい季節だってあるのです。


ありがたいことに忙しく仕事をさせていただいているし、家には家族が大勢いて賑やかです。


仕事では、うまくいくときばかりではありませんが、自分なりに努力しています。


それに、愛する家族がいるから幸せなんだと感謝してがんばっています。


本当に、今、こんな幸せな国にいることに満足しているのです。


このふたりは、ずいぶん違う国に暮らしているようにも思えますが、実は同じ家に住んでいるのだと言ったら信じられますか。

 

そう、「幸福の国」と「不幸の国」の距離は、

本当はゼロなのです。


『幸福』と『不幸』は、コインの裏表のように、違っているように見えて、実は同じもののようですね。

 

「不幸の国」に飽きたら、いつでも「幸福の国」に引っ越すことができるのですよ。

 






ではもう1つ





TKさん、64歳の男性、胃がん患者。


小さな町工場の責任者。


いわゆる職人気質の人で短気。不平不満が多い。


例えば投薬時間が少しでも遅れると「遅い!」と大声でナースに怒鳴る。


TKさんの病状は急速に悪化し、やがて1日中ベットで過ごす日が多くなった。


そんなある日、担当のナースが詰所に駆け込んできて言った。


「TKさんに薬を渡したら、『ありがとう、世話になるなぁ』と言われたんです」。


彼から感謝の言葉が出るなど、全く想定外だった。


その日の夕方、奥さんが目を丸くして、詰所に来られて言った。


「何があったのですか。先ほど洗濯物を持ってきたら、主人が『ありがとう。ご苦労さん』って言うんです。私もう、びっくりして。結婚以来初めて感謝されました」。


TKさんに一体何が起こったのか。


私はその理由を彼に尋ねた。


TKさんは次のように言った。


「横になってボーっと天井を見ていると、自分のこれまでの人生のことがいろいろ思い出されてきました。


そして、随分いろんな人に、いろいろお世話になったなぁと思いました。


私が誰かにしてあげたことより、


私が人にしてもらったことの方がずっと多かったことに気がつきました。


頑固で短気な私は、周りに不平ばかり言って生きてきましたが、死ぬ前になってやっと人に感謝する気持ちが湧いてきました」



_______


“「死にざま」こそ人生”

柏木哲夫 著

朝日新聞出版さんより

_______




約2500名の患者さんを看取った著書の柏木哲夫さんは言います。


「多くの人は、生きてきたように死んでいく」


不平不満を言いながら生きてきた人は、不平不満を言いながら死んでいく。


周りに感謝して生きてきた人は、感謝しながら死んでいく。


しかし、こうも言います。


「人間は成長し続けることができる。


人生の総決算の時に、素晴らしい成長を遂げる人も存在するのである」


今からだって何歳だって遅くない、


人は成長し続けることが出来るから、


感謝の人生にしよう♪


感謝に気付く人生に♪

 

 


「私が誰かにしてあげたことより、


私が人にしてもらったことの方がずっと多かった」


 by TKさん

 


夢の世界

 
おはようございます。

元気ですか!!



今夜第8回目の被災地ボランティアに行ってきます。

今回のメンバーは、立ヶ谷部長、立野サブ店長、

そしてフィヨーレから尾鷲副社長が参加して

計4人で行ってきます。



第7回までは石巻に行っていましたが、

今回人での足りてないという南三陸町まで

足を伸ばして行ってきます。


男4人で力仕事、頑張ってきますね♪


みんなもサロンワーク、お願いします!!




では今日もいい話を2つ紹介しちゃうね!


まずは手厳しいこの話から

心を真っ白にして読んでみてください。





戦後詩を牽引した日本を代表する女性詩人、

“茨木のり子”さんの詩が心に響いたので、

ご紹介させて頂きます♪

 


【自分の感受性くらい】


ぱさぱさに乾いてゆく心を


ひとのせいにはするな


みずから水やりを怠っておいて

 

気難しくなってきたのを


友人のせいにはするな


しなやかさを失ったのはどちらなのか

 

苛立つのを


近親のせいにはするな


なにもかも下手だったのはわたくし

 

初心消えかかるのを


暮らしのせいにはするな


そもそもが ひよわな志しにすぎなかった

 

駄目なことの一切を


時代のせいにはするな


わずかに光る尊厳の放棄

 

自分の感受性くらい


自分で守れ


ばかものよ










ではもう1つ




実話より


[夢の世界]




小児病棟に入院していた

「しゅんしゅん」という男の子のお話です


「しゅんしゅん」は

みんなから可愛がられ、慕われている男の子でした


彼はいつも自分の苦しみより

もっと幼い子どもを気づかう子でした


あるとき、そのしゅんしゅんに、一人の見舞い客が


「しゅんしゅんは大人になったら何になるの?」


とたずねました


病室は一瞬凍りつきます

将来がある可能性の低い子供を思って

重病の小児病棟はシーンと静まり返ります


その静けさを破る様に、しゅうんしゅんは素直に答えました


「おまわりさん」


「彼ならきっと、立派な優しいおまわりさんになるだろう」


誰もがそう思いました


でもしゅんしゅんは大人になることなく


おまわりさんになる夢も果たすことなく


旅立って行きました


亡くなる前日

いつもは聞き分けの良いしゅんしゅんが

お母さんに何度もこうたずねたそうです

 

「ぼくの病気は治るの?


ぼく大人になって、おまわりさんになりたい…


大人になりたい」と…

 

その大人の世界に私達は今、

生きています


多くの人たちが何気なく過ごしているこの瞬間


それは、しゅんしゅんたちが


何としても手にしたかった…


しかし手に入らなかった…

夢の世界であり、未来の時間です


なにげなく過ごしてしまう時間

生きている事、この日常が

どれほどかけがえのないものか…

 

今この時一瞬一瞬が宝物です

 

 


「ついてる」のトレーニング法

 
おはようございます。

元気ですか!!




今日はブログデーではありませんが、明日書いている時間がとれないので、
本日アップしますね!!





では学べるニュー・・・

学べる話を2つ紹介しちゃうね♪





曽野綾子氏の言葉です


「幸せと不幸せは、いつも半々」


私は海外を数多く訪ねた経験から、世界の最低の生活を見てきました。


そこには日本では考えられないような貧困に喘いでいる人たちがいる。


今日本では経済的な不況に見舞われ、会社をリストラされたり、ローンの返済に追い詰められたりしています。


でもそれは、貧困などというものとは程遠い。


本当の貧困とは、今日食べるものがないということなのです。


そういう状況で、彼らができることは三つしかありません。

一つは膝を抱えてひたすら飢えと戦うこと。

一つは物乞いをすること。

そして最後の手段は盗むことです。


おそらく日本には、こういう貧困は皆無でしょう。

つまり本当の貧困を誰も知らないということ。


貧困を知らないと、どうなるのか。

それは貧困を許さないということになる。

幸せでいることになれてしまうと、不幸せになることが許せなくなってしまう。


自分の一生はいつも幸せでなければならないと思い込んでしまう。

この誤った感覚が、日本人をどんどん不幸せにしていると私は思います。


幸せと不幸せ。

それはいつも半分半分なのです。


どんなに裕福な人にも、不幸せは半分ある。

貧困に喘いでいる人でも、人生の半分は幸せだと感じることがある。

それが人間というもの。

そして、少しだけでも幸せの割合を多くしたい。


そのために努力をすることが人生なのではないでしょうか。


私は幼い頃、父親の家庭内暴力の中で生きていたんです。

母と二人で自殺を考えたこともありました。

それは地獄のような生活だと感じる時もあります。

でもその中にも、母との穏やかで幸せな時間もあった。


その経験があったから、私は穏やかな家庭を作る努力を惜しまなかった。


あの不幸せの部分はもう二度と手にしたくないと思うところに、今の幸福があるのだと信じています。


常に幸福な人生などあり得るはずはない。

不幸が未来永劫に続くことも決してない。

それはいつも半分ずつなのです。だから不幸せから目を背けてはなりません。

幸せが当たり前だと錯覚してもいけません。

もし今が不幸せならば、それをしっかり見つめてみる。

そこにはきっと、もう半分の幸せが隠れているはずです。


どんなときにも、幸せと不幸せをしっかりと見据えることができる。

それこそが幸福になるための知恵ではないでしょうか。


曽野綾子・著「幸せと不幸せは、いつも半々」










ではもう1つ







【「ついてる」のトレーニング法】



斎藤一人さんの心に響く言葉より…



「ついてる。ついてる」と言っていると、実際に「ついてる」ことがどんどん起きてきます。

なぜなら「ついてる」と言えば、幸運の波動がやってくるから、あなたの周りは「つている」ことでいっぱい。

いつも「ついてる」という言葉を口にしていると、知らない間にとてもハッピーになっているから不思議。


逆に、いつも「ついてない」と言っていれば、不運の波動を呼んでしまいます。

あなたの周りに「ついてない」ことが押し寄せてきて、病気になったり、破産したり。

よく、病気になったのは、ストレスが多いからだと言いますが、そうではなくてついていないからなんです。

ストレスが多くても病気と無縁の人はたくさんいます。



買い物をしに行って、お金を払おうと思ったら、財布がない。

さっき買物袋のなかを確かめたばかりだから、きっと、スリに遭ったに違いない。

そんなとき、

「ああ、今月の食費がなくなっちゃった。どうしよう。ついてないなあ」

と言う代わりに、ついてる言葉を言うんです。


「命までなくさなくてよかった。ついてる。ついてる」

本当に困ったときこそ、言うんです。

「私ってついてる。想像できないくらいついてる」

これが「ついてる」のトレーニング法。


『感謝している人には、いいことばかり起きます』



「ついてる」というのは、幸せに生きるための第一歩。

「ついてる」とは感謝の言葉。

それが言えないのは、どんなことに対しても感謝の気持が足りないから。

今日、生きていられることが感謝だし、「よかった!よかった!」なんです。

感謝の言葉を続けると、天の声が聞こえてきます。

その声こそ、あなたを幸せに導いてくれる最高の声です。


『いつも感謝を忘れないことです。

感謝を口に出して言うと、また感謝したくなるようなことがつづけて起こるの。

それで、また感謝する。

だから、感謝している人には、いいことばかり起きます。

グチや不平不満ばかり言っている人は、感謝の心のない人。

そういうのは「魔寄せ」と言います。

魔を寄せるつける人には、つきがありません。』



朝起きて、体調がすぐれないときもあるでしょう。

頭痛がするとか、胃が重いとか感じて、会社に行くのがおっくうだなとため息をつきたくなる。

だったら、ため息を思う存分つけばいいんです。

ただ、そのあとですぐに、「ついてる」と必ず言う。

何度かそれを言っているうちに、ついてる波動に変わります。

きっと、心も体も軽くなっていますよ。

「ついてる」は心を軽くする言葉なんです。

『斎藤一人 ツキを呼ぶセラピー』KKロングセラーズ



「類(るい)は友を呼ぶ」という言葉があるが、気の合った者同士、似ている者同士が集まること言う。

また、昔から言われる、「友人を見ればその人物が何者であるかわかる」、でもある。


遊びが好きな人は遊び好きな波動を出し、勉強好きな人は勉強好きな波動を、グチっぽい人はグチっぽい波動を出し、そして同じ波動を集めている。

たとえ、アクシデントに出会ったとしても「ついてる」と言い続ける人には、ついてる人が集まり、幸運の波動がやってくる。

これが、「ついてる」のトレーニング法。


グチや不平不満は、「魔」を引き寄せる。

どんなことに出会おうと、「ついてる」と言い、「運」を引き寄せたい。

















左岸に立つもの

 
おはようございます。

元気ですか!!


秋晴れですごしやすい日が続いてるね!!

みなさんいかがお過ごしですか♪


お天気とはうらはらに風邪がはやってきてるようなので、

夜寝る時は、ちゃんと布団をかけましょうね(笑)



では今日はちょっと考えさせられる話を2つ紹介しちゃうね!!






たとえば滔々(とうとう)たる流れが一つ。

それを右岸より眺める者と、左岸より見る者、二つの部族が存在すると、とり敢えず思っていただきたい。

右岸に立つものは批評家たちである。

左岸に立つものは創る側である。

流れには橋がなく行き来が出来ない。

右岸に立つものが突然発心し、対岸に立つべく流れに飛び込む。すると河の流れは彼の体を下流へ押し流し、ほうほうの態でたどりついた左岸は、彼の見た位置より甚だしく下流である。

たやすく行きつけると思っていた対岸は、もはや見えない、はるかに離れている。

見る現実とそこに立つことは極端な距離にはばまれているのだ。

そんなこともあるよ、だから批評はね、誰にだって出来るのさ、けど現実には批評するだけさ。俺は川下でも左岸を行きたいね。

そう言ったら力さんは巨体をゆすり、ポケットのあちこち短い指をつっこんで、しばらくもぞもぞ格闘していたが、たがてとり出したくしゃくしゃのキャスター、折れ曲がった一本を包みから引き出しトントン叩いていたが、

「判るよ、何となく、言わんとすること」

無器用に漸くマッチで火をつけた。

せっかちに天井へ煙を吹き上げる。

「言い方変えればそれはあれでしょ?

何も創作者と批評家に限らん、実際に黙々とやっとるもんと、やりもせんでああだこうだと能書きばかりをたれる奴、そういう風に置き換えてもいいンしょ?」

「その通り」

「したら僕判るわ。すごく判るよ?

最近はアレだね、右岸に住む奴やたら多くて、左岸の方はアレ、

― 過疎ですもンね」

   〜〜〜〜〜
(倉本聰「左岸」理論社より)

昨日読了の「北の国から」の脚本を書いた倉本聰さんの秀逸なエッセイ「左岸」の冒頭び書かれた「左岸」の話です♪

かなりハッとさせられてしまいます♪

余計な解説はいりませんね♪

何をするにも、自分の損得を考えてからでなくては行動してなくて、それを正当化するために勝手な意味付けをして、つまり能書きをたれる。

実に恥ずかしいです。

そしてその傾向は、きっと今でもどこかに残っている。

だからハッとさせられるのだと思います!

川下からでも左岸を行きたいと、強く思うわけです♪










ではもう1つの話




「鉄道会社の社長」
 

これはアメリカのお話です
 

ある鉄道の社長が
 
線路の修理現場を視察しました
 

すると一人の作業員が親しげに話かけてきました
 

「久しぶりだね!君もずいぶん出世したものだね。
 

君が社長になったと聞いた時は本当に驚いたよ。」
 
 
 
見ると、その作業員は約10年前に
 
社長と一緒に作業員として働いていた友人でした。
 

そして、その友人は言いました
 

「10年前は一緒に、50ドルの日給をもらうために
 
働いていたのにね。君も変わったね。」
 

社長は答えました
 
 
 
「そうだったのか・・・・・・
 
君は50ドルをもらうために働いていたのか。
 

私は、10年前も今も、
 
この鉄道会社のために、
 
そして、世の中の人に快適な旅をしてもらうために
 
働いているんだ。」
 
=====
 
僕は昔よく言われてきました。
 

「夢ばっかり語ってないで
 
現実をみろ。」
 
「何を寝ぼけたこと言ってんの!」
 

でも、僕は、たくさんの輝いてる大先輩を観てきました。
 

業界をリードし、変革されているリーダーは、
 
とてつもない夢を描き、いつもワクワクしながら夢を語り
周りの人からは
 
「絶対無理!!」
 
「やめとけ!!」
 
「あほか!!」
 
と、アドバイスをされてきた方ばかりでした。
 

『何のために』
 

夢には、二通りあるそうです。
 

“自分のために”
の『野望』と
 
“誰かのために”
“何かのために”
の『志』。
 
 
『何のために』によって、
また、
『何を思うか』によって、未来が変わるんですね。
 

あなたは、今、何を思い、何のために仕事をされていますか?
 

 


お前は素晴らしいんだから

 
おはようございます。

元気ですか!!






今日はまず


アントニオ猪木さんの言葉をいくつかご紹介致します♪


「道はどんなに険しくとも、笑いながら歩こうぜ」


「花が咲こうと咲くまいと、生きていることが花なんだ」


「悩みながらたどり着いた結論は、やはりトレーニングしかない」


「元気が一番、元気があれば何でもできる」


「人は歩みを止めた時に、

そして、

挑戦をあきらめた時に年老いていくのだと思います」


 by アントニオ猪木(プロレスラー・実業家)






では今日も心に染み渡る話を2つ紹介しちゃうね!!






【招待状】
 
ある小学校で良いクラスをつくろうと一生懸命な先生がいた。
 
その先生が五年生の担任になった時
 
一人、服装が不潔でだらしなく、遅刻をしたり、居眠りをしたり
 
皆が手をあげて発表する中でも、一度も手を上げない少年がいた。
 
先生はどうしてもその少年を好きになれず
 
いつからかその少年を
 
毛嫌いするようになった。
 
中間記録に先生は少年の悪いところばかりを
 
記入するようになっていた。
 

ある時、少年の一年生からの記録が目に留まった。
 
そこにはこう書いてあった。
 
「朗らかで、友達が好きで、人にも親切。
弁口もよくでき、将来楽しみ」とある。
 
間違いだ。他の子に違いない。
 
先生はそう思った。
 
二年生になると
 
「母親が病気で世話をしなければならず、時々遅刻する」
と書かれていた。
 
三年生では
 
「母親の病気が悪くなり、疲れていて、
教室で居眠りをする」。
 
三年生の後半の記録には
 
「母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる」とあり、
 
四年生になると
 
「父は生きる意欲を失い、アルコール依存症となり、子どもに暴力をふるう」。
 
先生の胸に激しい痛みが走った。
 
だめと決めつけていた子が突然、
 
深い悲しみを行き抜いている
 
生身の人間として自分の前に立ち現れてきたのだ。
 
先生にとって目を開かされた瞬間であった。
 
放課後、先生は少年に声をかけた。
 
「先生は夕方まで、教室で仕事をするから、あなたも勉強していかない?
わからないところは教えてあげるから」。
 
少年は初めて笑顔を見せた。
 
それから毎日、少年は教室の自分の机で予習復習を熱心に続けた。
 
授業で少年が初めて手をあげた時、先生に大きな喜びがわき起こった。
 
少年は自信を持ち始めていた。
 
六年生で先生は少年の担任ではなくなった。
 
卒業の時、先生に少年から一枚のカードが届いた。
 
「先生は僕のお母さんのようです。そして、今まで出会った中で一番素晴らしい先生でした」
 
それから六年。またカードが届いた。
 
「明日は高校の卒業式です。僕は5年生で先生に担当してもらって、とても幸せでした。おかげで奨学金ももらって医学部に進学する事ができます」
 
十年を経て、またカードがきた。
 
そこには先生と出会えた事への感謝と、父親に叩かれた体験があるから
 
感謝と痛みが分かる医者になれると記され、こう締めくくられていた。
 
「僕はよく五年生の時の先生を思い出します。あのままだめになってしまう僕を
救ってくださった先生を、神様のように感じます。
大人になり、医者になった僕にとって最高の先生は、五年生のときに担任して下さった先生です。」
 
そして一年。
 
届いたカードは結婚式の招待状だった。
 
「母親の席に座ってください」
 
と一行、書き添えられていた。
 
先生は嬉しくて涙が止まらなかった。









ではもう1つの話



『僕を支えた 母の言葉』

僕が3歳のとき、父が亡くなり、その後は母が女手ひとつで僕を育ててくれた

仕事から帰ってきた母は疲れた顔も見せずに晩ごはんをつくり晩ごはんを食べた後は内職をした

毎晩、遅くまでやっていた

母が頑張ってくれていることはよくわかっていただけど僕には不満もいっぱいあった学校から帰ってきても家には誰もいない

夜は夜で母は遅くまで内職。そんなに働いているのにわが家は裕福じゃなかった。遊園地にも連れて行ってもらえない

ゲームセンターで遊ぶだけの小遣いももらえない。テレビが壊れた時も半年間買ってもらえなかった。僕はいつしか母にきつく当たるようになった

「おい」とか「うるせー」とかなまいきな言葉を吐いた。「ばばあ」と呼んだこともあった。それでも母はこんな僕のために頑張って働いてくれた

そして僕にはいつもやさしかった。小学校6年のときはじめて運動会に来てくれた

運動神経の鈍い僕はかけっこでビリだった。悔しかった

家に帰って母はこう言った「かけっこの順番なんて気にしないお前は素晴らしいんだから」だけど僕の悔しさはちっともおさまらなかった

僕は学校の勉強も苦手だった。成績も最悪、自分でも劣等感を感じていた

だけど母はテストの点や通知表を見るたびに、やっぱりこう言った「大丈夫、お前は素晴らしいんだから」僕には何の説得力も感じられなかった

母に食ってかかったこともあった「何が素晴らしいんだよ!?どうせ俺はダメな人間だよ」

それでも母は自信満々の笑顔で言った「いつかわかる時が来るよ、お前は素晴らしいんだから」

僕は中学2年生になったころから仲間たちとタバコを吸うようになった

万引きもした。他の学校の生徒とケンカもした。母は何度も学校や警察に呼び出された

いつも頭を下げて「ご迷惑をおかけして申し訳ありません」と、あやまっていた

ある日のこと僕は校内でちょっとした事件を起こした。母は仕事を抜けだしいつものようにあやまった

教頭先生が言った「お子さんがこんなに“悪い子”になったのはご家庭にも原因があるのではないでしょうか」

その瞬間、母の表情が変わった。母は明らかに怒った眼で教頭先生をにらみつけ、きっぱりと言った「この子は悪い子ではありません」

その迫力に驚いた教頭先生は言葉を失った

母は続けた「この子のやったことは間違ってます。親の私にも責任があります。ですがこの子は悪い子ではありません」

僕は思いっきりビンタをくらったようなそんな衝撃を受けた

僕はわいてくる涙を抑えるのに必死だった

母はこんな僕のことを本当に素晴らしい人間だと思ってくれてるんだ…

あとで隠れてひとりで泣いた。翌日から僕はタバコをやめた。万引きもやめた。仲間たちからも抜けた

その後中学校を卒業した僕は高校に入ったが肌が合わなくて中退した。そして仕事に就いた

その時も母はこう言ってくれた「大丈夫、お前は素晴らしいんだから」

僕は心に誓った「ここからは僕が頑張ってお母さんに楽をしてもらうぞ」だけどなかなか仕事を覚えられなくてよく怒鳴られた。「何度おなじこと言わせるんだ!」「すこしは頭を働かせろ!」「お前は本当にダメなやつだな!」怒鳴られるたびに落ち込んだけどそんなとき僕の心には母の声が聞こえてきた

「大丈夫、お前は素晴らしいんだから」この言葉を何度も噛み締めた

そうすると元気がわいてきた

勇気もわいてきた「いつかきっと僕自信の素晴らしいさを証明してお母さんに見せたい」そう考えると僕はどこまでも頑張れた

仕事を始めて半年くらい経ったときのことだった仕事を終えて帰ろうとしていたら

社長がとんできて言った
「お母さんが事故にあわれたそうだ

すぐに病院に行きなさい」


病院に着いたとき
母の顔には白い布がかかっていた


僕はわけが分からなくて
何度も「おかあさん!」と叫びながらただただ泣き続けた


僕のために身を粉にして働いてくれた母


縫物の内職をしているときの母の丸くなった背中を思い出した


母は何を楽しみにして頑張ってくれたんだろう?


これから親孝行できると思っていたのに


こらから楽させてあげられると思っていたのに


葬式の後で親戚から聞いた


母が実の母ではなかったことを


実母は僕を生んだときに亡くなったらしい


母はそのことをいつか僕に言うつもりだったんだろう
もしそうなったら僕はこう伝えたかった


「血はつながっていたくてもお母さんは僕のお母さんだよ」


あれから月日が流れ僕は35歳になった
今あらためて母にメッセージを送りたい


お母さん
僕とは血がつながっていなかったんだね

そんな僕のためにお母さんは昼も夜も働いてくれたね

そしてお母さんはいつも言ってくれた

「おまえは素晴らしいんだから」って

その言葉がどんなに僕を救ってくれたか

どんなに僕を支えてくれたか

あらから僕なりに成長し今は結婚して子どももいるよ

規模は小さいけど会社の社長になって社員たちと楽しくやっているよ

まだまだ未熟な僕だけど僕なりに成長してきたと思う

その成長した姿をお母さんに見せたかったよ
「おまえは素晴らしい」って言ってくれたお母さん

その言葉は間違っていなかったっている証拠を見せたかった

そしてそれを見せられないことが残念でならなかった

だけど最近気付いたんだ

お母さんは最初から僕の素晴らしさを見てくれてたんだよね

証拠なんてなくても心の目でちゃんと見てくれてたんだよね

だってお母さんが
「お前は素晴らしいんだから」って言うときは
全く迷いがなかったから

お母さんの顔は確信に満ちていたから

僕も今社員たちと接していて

ついついその社員の悪いところばかりに
目がいってしまうことがある

ついつい怒鳴ってしまうこともある

だけどお母さんの言葉を思い出して
心の目でその社員の素晴らしさを見直すようにしているんだ

そして心を込めて言うようにしている

「君は素晴らしい」って
おかげで社員たちとも良い関係を築け楽しく仕事をしているよ

これもお母さんのおかげです

お母さん

血はつながっていなくても僕の本当のお母さん

ありがとう

野口嘉則氏「僕を支えた母の言葉」より引用


不動明王

 
おはようございます。

元気ですか!!





孔子さんの弟子に、

樊遅(はんち)という少しおっちょこちょいな人がいました。

ある時、

その樊遅(はんち)さんが孔子さんに質問します。

「人徳を高め、心の中の邪悪を消し、惑いを解くにはどうしたら良いでしょうか?」

孔子さんはカラカラと笑いながら答えます。

「お前にしては上出来な質問だな。

なんといっても、まずやるべきことをやって、

報酬は後回しにすれば、

徳が磨かれるだろうな。

また、人のふりをみてわがふりを改めるようにし、

他人の悪い部分は咎めない。

そのようにすれば心の中の邪悪は退散するだろうよ」

と答えました。



「徳の高さは、人が何か特別に頑張った時に判断すべきではない。

日頃の行いで判断すべきである」


by パスカル(フランスの哲学者・数学者)










では今日も素晴らしい話を2つ紹介しちゃうね!!

不動明王 という仏像を見たことがあるでしょうか?






ちょっと怖い、憤怒顔をした仏像なんですが、


その仏像を見るときのポイントを、


ある住職さんに教えて頂きました。


「自分の心の状態が分かるんですよ。


不動明王の顔が優しく見える時は、


自分の心にやましいことがない時です。


反対に怖い顔に見えるときは、


何かやましいことや後ろめたいことがある時です。


仏様は自分の正直な心を写し出してくれる鏡なのですよ」


なるほど〜!


もしかしたら、


人もそうなのかもしれませんね♪


相手をみて、


相手の中に自分がいる・・・


相手がどんなに怒っていたとしても、


自分に後ろめたさがない時には、


相手の怒っている顔さえも怖くは見えないのかもしれません。


逆に、


どんなに優しい人が現れても、


その人を疑ったり、受け入れられないのは、


自分の心の状態なのかもしれませんね・・・


「相手の中に自分がいる」


深いですね♪

 

 

「愛にあふれた人は、愛にあふれた世界に住みます。


敵対的な人は、敵対的な世界に住みます。


あなたが出会う人は、あなたの鏡です」


 by ケン・ケイエス・ジュニア(アメリカの自己啓発作家)










ではもう1つ

スコットランドはグラスゴーでのお話。





ここにも現代の多くのティーンエージャーのように、

親に束縛された生活に飽き飽きしている一人の若い娘がいました。


娘は、神さまを第一に考える家のしきたりに反発して言いました。


「あなた方の信じる神さまなんか大嫌い。もう、うんざりだわ!」


娘は、もっと面白おかしく暮らそうと決心して、家出しました。


ところが、しばらくするとそんな威勢もどこへやら、仕事を見つけることもできず、

ついに通りで体を売るようになってしまったのです。

 

年月がたち、彼女の父親は亡くなり、母親も年を取りました。


娘は、そんなすさんだ暮らしにますますどっぷりと浸かっていきました。

 

娘からは何の音沙汰もありませんでした。


しかし、風の便りに娘の噂を耳にした母親は、ドヤ街におもむいて娘を捜しました。


救済施設を一軒一軒回っては、頭を下げたのです。


「この写真を貼らせてもらえませんか?」と。


それは、白髪の母親がにっこり笑っている写真でした。


その下には、手書きのメッセージまであります。


「今でもお前を愛しています……帰っておいで!」と。


さらに何か月がたちました。

が、何事も起こりませんでした。


そしてある日、お腹を空かせた娘は、食事を求めてそんな施設のひとつに立ち寄りました。


礼拝のあいだ、彼女はぼんやりと説教に耳を傾け、伝言板に目をさまよわせていました。


娘はその写真を見ました。

そして思いました。ひょっとしてお母さんかしら?


彼女は礼拝が終わるまで待てませんでした。


立ち上がり、そばに近寄って見ました。


そうです、それは彼女の母親でした。


何とメッセージまであります。

「今でもお前を愛しています……帰っておいで!」


娘はその写真の前に立ちつくして泣きました。


本当だとしたら、あまりにも素晴らしすぎます!


もう夜になっていました。


それでも彼女はそのメッセージに深く心を動かされ、家に向かって歩き始めました。


家の前までたどり着いたときは、夜も白んでいました。


彼女はどうしていいかわからず、恐る恐る玄関に近寄りました。


ところが玄関をノックしてみると、ドアが勢いよく内側に開いたのです。


誰かが押し入ったのかもしれない!

母の無事を案じながら、若い娘は寝室に走っていきました。


母はまだ眠っていましたが、彼女は母を起こして言いました。


「私よ! 私よ! 帰ってきたわ!」


母は自分の目を信じられませんでした。


涙を拭き、娘としっかりと抱き合いました。


娘は言いました。


「心配したのよ。

玄関のドアが開いていたから、強盗に入られたんじゃないかと思って!」

 

母は静かに答えました。


「いいえ、そうじゃないの。


お前が家を出て行ってからというもの、

玄関には一度も鍵をかけていないのよ。」

 

〜〜〜

こころのチキンスープ10

ダイヤモンド社より

 

 


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