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  • 2013.03.24 Sunday
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一定期間更新がないため広告を表示しています


浄玻璃の鏡


おはようございます。

元気ですか!!

いつもありがとう♪


今日もブログデ−ではありませんが、明日はまた旭に行ってて書く時間がとれないので、
今日アップします。



仏教では

浄玻璃(じょうはり)の鏡

というのがある


亡くなってあの世に行く前に

誰もが一度は浄玻璃の鏡の前に立つそうだ


すると

生まれてから死ぬまでの間の

人に与えた喜びと

人に与えた悲しみが

走馬灯のように

一瞬にしてその鏡の中に再現される



かつての阪神大震災の直後に、一杯5000円のラーメンを売った店があるという。

街が復興したとき、そのラーメン店は倒産した。


自宅の水道やガスが早く復帰したので、近所の人たちに無料で自宅のお風呂を開放した会社社長がいた。

その会社は、10年後に売上、利益とも5倍に成長したという。


誰もが、絶望的になるような、天災や、震災にあったとき、人間のほんとうの値打ちがわかる。

5年後、10年後になったとき、はたして今の自分の行動を、胸を張って、自分の子供や、後の世の人たちに話せるだろうか。

自分の利や得のためだけの行為は、今はわからなくても、未来の自分は見ている。


「浄玻璃の鏡に立つまでは…」

今こそ、人の道に恥じない行動をとりたい。 




【生かされていること】


94歳・女性理容師の加藤寿賀さんの心に響く言葉より…


関東大震災のお話をさせてください。

1923年9月1日午前11時58分。

突然ものすごい揺れと音が襲ってきたのです。


「地震だ!逃げろぉ」

誰かの声ですぐに外に逃げると、家の前が地割れしている。

父が戸板を敷いてくれ、その上を渡って歩きました。

目の前で家の柱がどんどん突き出てきて、しまいに家がかしいで、ぺちゃんとつぶれてしまった。

それからすぐ、あちらこちらで火の手が上がったのです。

昼食時だったため、火を使っている家庭が多く、また、運が悪いことに当日、日本列島に近づいた台風の影響による強風で火の手はみるみる広がったと後で聞きました。


関東地方を襲ったマグニチュード7.9の激震は死者行方不明者14万2800人を出す大惨事となりました。

幼い頃のこの経験で、自分が生かされていることのありがたさが刻み込まれました。

生きていることではありません。

「生かされている」ことにです。


生かされていてありがたい。

五体が動くってことはありがたい。

お水がいただけてありがたい。

それが本当の感謝なのだと思います。


同級生もたくさん亡くなったし、目の前で多くの方が亡くなるところをたくさん目にしました。

それが、私や家族であっても何ら不思議でないことです。


運がいいとか悪いとかじゃなく、自分は「生かされている」のです。

そう思ったら、いろんなことがありがたい。



『なぜ、はたらくのか』主婦の友社



テレビのニュースを見ていたら、浅草の年配の女性の話が耳に残った。

浅草で、古くから店をやっている、80歳はとうに超えたであろう店主。


「今度の東北の大震災はほんとにひどかった。

私の息子も、今救助の仕事で、福島の方に行ってるのよ。

でも、東京大空襲のときもひどかったねぇ…

この浅草も一面、焼け野原だったんだから。

今度の震災で、浅草も今は閑古鳥が鳴いてるけど、そのときのことを思えば、建物は立ってるし、我々も元気だし、大丈夫だよ」


大震災、原発事故、放射能、計画停電、そして多くの犠牲者…

若い人たちはもちろんのこと、多くの人たちにとって、これらの体験は生まれて初めて遭遇することばかりだ。


しかしながら、実際に、同様の厳しい試練を乗り越え、生き延びてきた年配の方々がいる。

人生の先達(せんだつ)であり、来(こ)し方行(ゆ)く末を案内する指導者たちだ。

いまこそ、これら先輩の方々の、血のにじむような苦労や貴重な教えを生かし、学ぶときだ。

「生かされている」ことに感謝し、謙虚に、しかし、力強く前を向いて生きたい。



 

お先にどうぞ!!



おはようございます。

みんな、たいへんな中、ホントにありがとう!!
 
寒い日が続いているけど、風邪とかに気をつけて元気出していこうね!!


ホントは明日がブログデーなんだけど、明日は書いている時間がなさそうなので、
今日書きました。



今、日本が大きく変わろうとしています。

日本の先輩たちが、戦後の日本を劇的に復興されたように、
今度は、僕たちが心を一つにして、これからの新しい日本をつくっていく。

そんな使命を感じます。


テレビの中で、被災地の子どもたちが、卒業式で

「僕たちは、決してあきらめません。この困難を乗り越えていきます。
そして、強い人間になっていきます。」

と、力強く思いを話していました。

その子どもたちの姿に、心が震えました。


節電も、みんなでやれば、大きなこと。


思いやり。
助け合い。
あきらめない心。


日本人が忘れかけていた大切な心を取り戻し、今こそ、日本中の一人ひとりが立ち上がる歴史的瞬間です。


一人の千歩より、千人の一歩。




 元気のある人が

 元気を出しまくる!




相田みつを氏の心に響く言葉より…


「お先へどうぞ…」

やさしくてうつくしい日本語ですね

いいことは、他人(ひと)様を先に…

自分のことは後まわし


遠い遠い、先祖の日本人が

こんな美しい、暖かい言葉を

残してくれたんです



他人のことなんかそっちのけ

自分さえよければ…

我先に、我先に…と

みんな夢中で突ッぱしる



もう一度

「お先へどうぞ…」

という、うるおいのある

美しい日本語で

お互いに呼びかけ合える

世の中になって欲しいなあ…





「お先にどうぞ」「いえ、私は大丈夫です」―。

韓国紙、中央日報は、東日本大震災で被災地の住民たちが譲り合いの精神を忘れずに対応し、怒号が飛び交うこともなかったと称賛する現地ルポを伝えました。

地震で停電した秋田市内のホテルでは非常食としてうどん10杯が用意されたが、約50人の宿泊客らは先を争うことなく、互いを気遣ったと紹介しました。

こうした冷静な行動は、他人への「迷惑」を避けようとする独自の文化によるものだと分析されます。


ツイッターでは、ビルの中で足止めされた通勤客が、階段で通行の妨げにならないよう両脇に座り、中央に通路を確保している写真が投稿されました。

避難所においてさえ、「お先にどうぞ」と、おにぎりやお茶を譲り合っているといいます。


震災前は、むしろ今と比べれば、殺伐(さつばつ)とした世の中だったかもしれません。

だがしかし今は、日本中に、日本人がかつて忘れかけた優れた資質が、いたるところで湧き出し始めています。

優しい言葉や思いやり、譲り合い…

非常時には、我々の真の実力が試されるときです。


「先義後利」

道義を優先させ、自分の利を後回しにする。

いまこそ、「お先にどうぞ」の精神を大切にしたいですね。


聞いてくれてありがとう

 
おはようございます。

みんなたいへんな状況の中頑張ってくれて
ホントありがとう!!

とにかく元気出していこうね!!


ホントは明日がブログデーなんだけど、明日また旭に行こうと思っているので、
今日ブログを書きます。



まず昨日旭に行ったので、その状況を少しお伝えいたします。
 
 
旭には3連休ということもあり、とっても多くの人たちがボランティアに来ていました。
 
聞くところだと1000人以上いたらしいです。
 
9時に集合時間に行ったら手続きに3時間くらいかかりました。
 
それだけ人が集まったという感じです。
 
 
現地の状況は、海に近いエリアが津波で浸水し、
所々家屋が崩れてしまっているところもあります。
 
津波の恐ろしさをまざまざと感じさせられます。
 
行方不明者もまだいるらしいです。
 
しかし、浸水の範囲もそう広くはないので、ひとつ通りを越えるとなんとも無い普段どおりの風景です。
 
 
 
 
オリエンテ−ションで30人のグル−プに分かれて、
我々のグル−プは被害にあった大橋さんという方の家の中にあるものを外に出し、
家を空っぽにする作業を行いました。
 
畳や布団が水を吸っていてとても重かったり、小物の入った段ボ−ルが濡れて壊れて中身が散乱したり、
作業はけっこうたいへんでした。
 
何度も頭をぶつけましたが、ヘルメットをかぶっていてよかったです。
 
同じグル−プに土木の仕事をされてる方がいて、その鍛えられた動きはさすがでした。
 
浸水した家は、柱もくたくたになっていて、つぶれそうなのがタンスやらで支えられている部位とかあります。
 
僕も30人の中の5人組のリ−ダ−を引き受けていましたので、
その人たちの安全をチェックしながらの作業でした。
 
 
若いお兄ちゃんお姉ちゃんが文句一つ言わず元気に頑張っていました。
 
なんか連帯感を感じ、
 
復興も以外と早くなるかもしれない

と思いました。

 
 
必ず近いうちに日本は元気になります。

また明日行く予定です。

みんなも現地に行きたいという気持ちがいっぱいだと思いますが、
 
何卒サロンでのお仕事をお願いします。
 
 
 

行けなくても思いは必ず届きます。

今はみんなが元気をだすことが、一番大切ですね。
 
 

ちなみに昨日はバタンキュ−でした。
 
普段体を鍛えていたつもりでしたが、けっこうヨワッちかったですね(汗)
 
一夜明けての筋肉痛に襲われているところです。





では仙台で被災されている方からのメッセ−ジを紹介します。




仙台で被災してる者です。

電気がようやく復旧してくれました。


実は、携帯に届くメルマガに腹をたてていました。


祈りが何の役に立つんだろう。

応援のメッセージじゃお腹はふくれない。

励ましより飲み水がほしいんだよ。


ついさっきまでそんな風に思っていました。


昨日、わずかなガソリンで母の実家に行きました。

津波が押し寄せた東松島市です。

たくさんの遺体があがった野蒜海岸は、母が育った場所でした。


途中でなんの縁か、外国人のフリーカメラマンを乗せました。

彼は、渋谷から野蒜を撮りにきたと言うのです。


のんきなもんだよ。


苛立ちはありませんでした。

どうでもよかった。

でも、野蒜海岸は壮絶でした。


津波の爪痕は生々しく、母は「ここに同級生の家が」と残骸を指さし涙声でした。

あの気丈な母が。


人が浮いていないだけで、あの立派な松林も、家も、船も車もぐちゃぐちゃでした。

カメラマンを下ろした後、急いで母の実家に向かいました。


みんな無事でした。

避難して、「配給が来ない」と文句を言うほど元気でした。

そこで、母の従姉妹と母が泣きながら抱き合っていました。


従姉妹とそのお母さんは、津波に巻き込まれたのを奇跡的に電柱にしがみついて助かったそうです。


聞けば聞くほど泣けてきて、ますますメルマガに腹が立ててました。


みんなこんな現場を知らないくせに。

でも解除しなかったのも私です。

腹を立てながら、読みつづけていたんです。


食べ物を買っても、水をくんでも、怖くて怖くて仕方なかった。

五体満足でも、家族が無事でも、怖くて怖くて仕方なかった。

だってまた大きな地震が来たら。

津波がきたら。

放射能がきたら。


私たちは逃げようもないのに、国外に逃げるひともいて。

せっかく生き延びたのに、怖いことばかりでいつ死ぬかわからなくて。

わけもわからず寝ながら泣いて、何が怖いのか何が悲しいのかわからず震えていました。


ニュースも見たくない。

怖いことばかり絶望的なことばかりで、死にたくない、死にたくないって呟いてました。


でも

そんな私を救ってくれたのがメルマガでした。


悪態つきながら何回も読みなおして、生きてていいよってどこかで祈ってくれてる人がいることに泣いて。


生きてていいよね。


放射能まみれになるかもだけど、地震でぺっちゃんこになるかもしれないけど。

いつか死ぬまで生きてていいよね。

生かされてることに、感謝します。


一日、一日、頑張って生きていきます。


ありがとうございます。

ありがとうございます。

本当に怖かったんです。




聞いてくれて、ありがとうございました。


 

今みんなが必要とされている

 
おはようございます。

このような状況下に、みんな頑張ってくれてありがとう!!

今も被災地では懸命な救助や復興が行われています。

1人でも多くの方が助かることをお祈り申し上げます。


そんな中で、僕も自分に出来ることをやっていこうと思います。

県内では旭市が被害がひどかったのですが、

そこに復興のボランティアに行くつもりです。

みんなは現場がある。

今動けるのは僕だけです。

幹部の人たちも協力してくれています。

頑張ります!!



ある男性のブルグを紹介します。


福島市在住です。

原発から60kmの距離。


政府も国の為に動いてくれてるとは思うが、

現実は厳しい。


変に批判でもなく、落ちてるわてでもなく、

もしかしたら被爆するかもしれません。

しなければ、もうけもん!!


ここ何日か、ボランティアで自腹で炊き出しやってました。

って言ったら、すごく思われるかもしれないけど、言いだしっぺは僕じゃない。


なんてことはない、暇なだけなんです。


お店は、水が出ないから営業できなし、食材もある、一人じゃ食べきれない。

じゃあ....ってことで始まった。


そしたら、いろいろな人が協力してくれて、仲間が増えた。

心からのありがとうっていただいた。


自分の人生をほんとに考えさせられる経験をさせてもらった。



実は、なんとなくで福島来たんです。

屋台っていう場所で、一人でやる場所は、自分の行動を振り返る切っ掛け、成長になるかなあと。


そしたら、素敵な仲間に出会って、なんとなく期間延長して・・・

軌道に乗ってきた・・・・



そしたら、巨大地震!!!!


おろおろしてしまいました。


何をしたらいいのか分かりませんでした。


孤独で泣きそうでした。


電気が止まって不安でした。

お風呂に入れなくて、凍えながら水で洗いました。

水が無くなって、自分だけ確保してる心狭い自分に出会いました。

ガソリンが無くなって、もっと心狭くなる自分を感じました。



今月は収入の未透視が無いけど、支払いはやってくる、しかも被爆・・・・


おれ死ぬのかな、って思った


でもね、おれより借金抱えてて、みんなの為に動いてる人っているんです。

おれより年上なのに、おれに気を使って動いてくれる人っているんです、しかも自然に。

水をお金払って沢山買って、おれにくれる人っているんです。

帰る場所が無いのに、笑顔でありがとうって、言ってくれるひとっているんです。


こういう、どん底の時ってその人の本性と言うか、本音が出てくる気がします。


沢山の弱い自分に会いながら、人生に時間が有限だって感じられた。


そしたら、


もっと、人の役に立ちたい、

もっと、自然に人に気を使える人になりたい、

もっと、人のためにも買える男でありたい、

もっと、ぶれない自分でありたい、

もう、後悔はしたくない、


そう思うようになった。


僕は、阪神大震災の時は、傍観者でした、

ちょっと募金したくらいでした。


こんな危険の上にある便利さだとは知ろうともしなかった。


そして、きっと、乗り越えられる壁だから、僕の前に現れた。


きっと、僕にしか出来ないことがある。

ガソリンも、資金も無いけど、

明日からも、炊き出しを出来る方法、避難してくてくれた方に笑顔になってもらえる行動を考えます。


数人では何が出来るかわからないけど、微力であっても無力ではない


1000人の一歩のために、一歩踏み出せる男になります。


日本再建!!

そして、世界を引っ張っていきましょう、僕らの世代で。

世界が一つになろうとしている

 

おはようございます。
 
 
まず今回の震災で被災された方々に、心から哀悼の意を申し上げます。
 
 
今日から東京電力が計画停電を決行しています。
 
私達が停電を受け入れることによって、被災の激しい地域に電力を供給することが出来ます。
 
たしかに計画停電による影響ははかりしれませんが、被災地の状況を思うと、我々は前向きに
 
できることをしていくべきなのかと思います。



アメリカのオバマ大統領は言いました


「地震の犠牲者に心から哀悼の意を表したい。

日本との友情と同盟関係は揺るぎないもので、

この悲劇に立ち向かっている日本の人々を全面的に支援していく決意だ」


国連の潘基文(パン・ギムン)事務総長は、


「日本からの映像を見て、世界はショックを受け悲しんでいる。

日本は世界中の困っている人を援助してきた最も寛大で強力な援助国の一つだ。


今回は国連が日本国民を支援し、

できることは何でも、すべてやるつもりだ」と表明しました。


ロシアのメドベージェフ大統領は、


「日本で極めて大きな地震が起きた。 われわれは隣国を支援する用意がある」と


中国メディアは、


「中国赤十字の災害救援隊が被災地に赴く用意がある」とし、


また中国版Twitterが「日本加油」(日本がんばれ)であふれかえっているそうです。


世界が一つになろうとしている・・・


いや、


もともと一つだということに気付いたのかもしれませんね。


出来ることを出来るだけしていきましょう。


今日の話が、皆様のお役に立てれば幸いです。

GODIVA

 
おはようございます。

元気ですか!!

いつもありがとう♪


めっきり春らしくなってきたね。

サクラの開花も秒読みとなりました。


では今日はまずこのお話から!!


GODIVA!


むかしむかし

時は11世紀

イギリスの町にレオフリックという領主がいました


レオフリック領主は重税を課し

市民を苦しめていました


その妻の名前は、ゴディバといいます

あまりにひどいと感じたゴディバ夫人は


「重税を課すのはやめて!」


と。。。



しかし、夫は聞き入れてくれません


「うるさいっ!口をだすな!」


ゴディバ夫人は、何度も何度も、お願いしました


うるさく思ったのか

レオフリック領主は、ある条件を出しました



「お前が全裸で馬に乗り、街を一周するなら聞き入れてやろう!」



中世において、女性が人前で裸になること自体、あり得ないことでした

領主は不可能な条件で黙らせようとしたのです


しかし、ゴディバ夫人は考えた結果


「分かりました。やりましょう」と


条件をのんだのです


条件を出したからには、領主は引けません。。



「領主夫人が私達の為に恥を絶えてくれる」


そんな噂が市民の間でながれ始め

みんなは集まって話し合いをした結果


「せめて自分達は、その姿を見ないでおこう!」

と決めました



街のみんなは家に入り

窓も閉めカーテンもしめて閉じこもりました



約束通りゴディバ夫人は全裸で馬に乗り

街中を一周しました


こうして約束を果たした結果、課税される事がなくなりました



GODIVAの創始者ジョセフ・ドラップスと妻ガブリエルは

ゴディバ夫人の勇気と深い愛に感銘し



1926年ベルギーに誕生した自らのブランドに


「GODIVA」(ゴディバ)

の名を冠しました



ゴディバのロゴマークには

全裸で馬に乗った女性「ゴディバ」の姿があります


その歴史が刻まれているのですね






続いてすごい人を紹介しちゃうね!!

『日本の女性キャスターの草分け的存在として輝くスゴい人!』

“NNNきょうの出来事”のメインキャスター。
“報道2001”“サンデープロジェクト”
 
その道の有識者を前に、鮮やかに鋭い意見や指摘を放つ彼女の姿・・・
まさに女性キャスターの草分け的存在。
 
ジャーナリスト、キャスターとして活躍しながら、民間の政策シンクタンク
“国家基本問題研究所”理事長として日本の根本からの建て直しに尽力している。
 
そんな彼女にも下積み時代、迷える時代があった。
 
迷いの中で、自分の本当の道を見つけるには・・・

さあ・・・
櫻井よしこ様の登場です!


「日本よ、頸き(つよき)国となれ」

ジャーナリストになぜなったのかとよく聞かれるのですが
 
ハワイ大学を卒業して帰国しましたが、就職活動の仕方がわかりませんでした。
そこで知人の紹介で、クリスチャン サイエンスモニター紙の東京支局に助手として入社しました。

お茶くみから、鉛筆削り、資料集め、電話番から通訳からなんでもしました。

当初、ジャーナリズムに特別の興味があったというわけではなく
まったく白紙で眼の前の課題に取り組みました。
ペンと紙があれば世界中どこででも仕事ができる。
それがジャーナリズムに憧れるひとつの要素になりました。
 
20代30代の頃は、書いても書いても原稿が売れない上に、
取材をすればするほど経費がかかって
生活できず、やがて、生活の為に翻訳を始めました。

翻訳をするために家にいる、家にいると取材ができない。

そんな生活のなかで、ある日預金通帳を見たら
びっくりするほどお金が貯まっていたんです。
(笑、当時の私にとってはの話です)
こんなことをしていたら
“ミイラ取りがミイラになる”と直感しました。

ジャーナリストを目指して、ほんの少し生活を支えるために翻訳をしていたのに!!

目指しているのは翻訳者ではないと思い、その時点で翻訳をやめました。

元々の目的だったジャーナリストを目指して記事を書く、
そう決断して実行した20代の自分を、ちょっぴり褒めてやりたいです。

その時以来、書いた記事で生活をしています。
当時、友人が家に来ると「よしこの冷蔵庫にはなにもない」ってエピソードがたくさんありますが(笑)

女性が働くことの大変さはたくさんあったと思いますが、
危機はいつもチャンスだと思います。

物書きとして書くことが、危険をもたらすかどうかなんてことはわかりません。
そういうことは心配しても余り意味はありません。
心配して書くべきことを書かない人生よりは、
心配しないで書いていくほうが余程よいと思います。

今後も日本をもう一度元気に立て直すことに貢献できるような
言論活動をしていきたいと思います。


通訳

 
おはようございます。

なんと!!

雨が雪になってきたね・・・


みんな元気ですか!!

いつもありがとう♪



では今日も寒さに負けずに、

すごい人2人紹介しちゃうね。



『世界の超一流講師たちの通訳を任されているスゴい人!』

アル・ゴア、
ダライ・ラマ、
彼女が通訳した世界の著名人は数知れない。

あらゆる業界で活躍する著名人から次々とオファーが舞い込み、
日本から世界に名前を広げる女性。

彼女は言う・・・

“自分以外にはなれないのよ!”

なりたい姿を追うとは?

さあ・・・
関谷英里子様の登場です!


「自分以外にはなれない!」

医者だった父の仕事の関係で、6歳の時、家族でイギリスに移った。

弟はすぐに友達も出来て現地に馴染んだ。

しかし、日本語もままならないまま、あまりにも英語に馴染みすぎた弟は
逆に、日本語が使えなくなった。

日本語を話す両親、
そして、日本語が話せなくなった弟。

私が間に入ることで、家族の会話が成り立つという生活。

こんな不思議な生活が3年も続いた。

日本に帰国した私は、おぼろげながらに、父親の背中を追い
医者になるんだろうなと、思っていた。

しかし、中学校2年生の時、すべてが変わった。

理科の実験で、“ひよこ”の解剖があったのだ。
実験対象のひよこを手のひらに乗せた瞬間、涙が止まらなかった。
今まで、先生の言う事を聞いて、両親の言う事を聞いて、
レールの上を歩み続けていた私が、
課題を拒否・・・

ひよこという小さな生き物ですら扱えなかった私。
レールの先の未来から医者という世界は
消えてしまった。

一瞬で。

結局、私は大学を卒業して大手商社に入った。
もっと、もっと世界で活躍したくて、外資系大手化粧品会社に転職。
俗にいう、キャリアの道を登り続けていた。

しかし、あまりのハードワークから
ぷっつりと、糸が切れた。

逃げるようにして学生時代の同級生が立ち上げた
ベンチャー企業へ。
たった、3名。
家庭教師の派遣業。

ずっと、世界を相手にビジネスを手がけていた私と、主婦を相手に営業している私。
ずっと、このギャップに苛まれた。

そんな時、どうしても目の前の収益を上げるという理由で、
当時はまったくするとも考えていなかった
翻訳の仕事を会社で受けて、私に任務を課した。

でも、これが面白くて、
結局、あれほど悩みながらも
ベンチャー企業に6年も在籍した。

今、私は独立した。

6歳の頃、弟と両親の間に入ってやっていたことが
今となっては、仕事になっている。
不思議な縁だ。

頂いたチャンスに全力を尽くし、未来を夢見る暇もないくらい
今を一生懸命こなしていたら、
アル・ゴアや、
ダライ・ラマなどの
一流人の講演の際、声がかかるようになった。

自分の提供できるサービスを求めてくれる人を大事にしよう!

突然のシンデレラストーリーなんて
ないんだからね!!





ではもうお一方



『海外書籍の版権数日本一を誇る企業の代表を務めるスゴい人!』

“株式会社タトル・モリ エイジェンシー”

この社名を聞いてピーンと来た人も多いはず。

実は、ムーミンや今、売れに売れているピーター・ドラッカーなどの
版権のすべてを持っている会社。
著作権の乱用を防ぎ、適正な形で海外作品を日本へ。

要するに、この会社の許可がないと
ムーミンもピーター・ドラッカーの名前がついた
商品やサービスも一切売れない。

日本の翻訳出版界のマーケットシェア60%を占める
国内最大手の海外著作権エージェント会社の社長が登場だ。

さあ・・・
株式会社タトル・モリ エイジェンシー
代表取締役社長
森健一様の登場です!


「カリスマの父を超える」

父は子供の頃からアメリカで育った人。
だからアメリカ風の教育のもとで大人になりました。

慶応大学を卒業し
アメリカスタンフォード大学の大学院へ進み、
その後、NYのタレントマネジメント会社へ就職しました。

家業をカリスマ経営者の父から
継ぐための修行です。

スタートは地下のメールルーム。

手紙などを仕分けしカートに入れて
地上のスタッフへ届けるんです。

地上に出た時に、自分を売り込むのです。

そこで気に入られた人だけが
地上に行ける競争世界。

朝7時に出社し新聞を5〜6紙全部目を通し
関連記事を切り抜きファイルでまとめ
それをコピーして7:50までに全社員の机の上に置いておく。

それの繰り返し。

上司の為に万年筆を買ってきたり、お客様のブロードウェイチケットを買ってきたり
まだまだ雑用。

FAXは内容が見れるので、会社(地上)の状況がわかり勉強になりました。

修行中に父の具合が悪くなり急いで帰国。

1998年、父の経営する会社の蓋を開けてみると
バブル崩壊の後遺症が会社の足かせで、とにかくスリムにするのが大変でした。

次は業績をあげる事。

カリスマの父から
クライアントが離れない為には・・・

西洋人は絆よりも実績重視。
要はどれだけ売るかです。
私は絆を大切に
背景を全て理解してから
プロデュースを行うようにしました。

作家の作品に対する思いや関わった編集者、
エージェントがどのような思いでいるのか。

大きく実績を伸ばすことが出来ました。

物凄い競争の中で世界は動いています。

その場所に圧倒的に日本人がいない。
もっと世界に飛び出して欲しいです。

我々は
“東と西を繋げる出版社”を理念に掲げています。

これからも海外の良書をより良い形で日本で出版し、
日本の素晴らしい文化をどんどん海外に伝えて行きます。


居酒屋甲子園

 

おはようございます。

最幸に元気ですか!!

いつもありがとう♪


寒い上に花粉の舞うこの季節(汗)

みんな体に気をつけてね!!



では今日もすごい人2人紹介しちゃうね。


『居酒屋甲子園というビックイベントを創業した男』

今や5,000名以上の観客を集める居酒屋甲子園。

2006年の第1回大会には
236店舗が参加。

なんと、2010年は、全国の居酒屋から
1,129店舗が参加し、

予選を勝ち上がった6店舗が5,000名の観客の前で
熱いメッセージを伝え、感動の大会になりました。

この居酒屋甲子園の大事な第一回をすべて仕切り、
トップリーダーとして組織をまとめ上げた男がいる。

日本を変えるイベントとは?

さあ・・・
居酒屋甲子園
初代理事長
高橋英樹様の登場です!


「ジャンケンに、負けていたから・・・」

幼い頃、ずっとヤンチャをしていた。

地元にいられなくなり、15歳にして地元福岡から出た。

しかし、リーゼントで真っ赤な髪の僕を
雇ってくれる会社など皆無。

悪友と人のつてで名古屋まで来たけど
仕事がない。

最後の一万円・・・

友人とジャンケンをした。

勝ったら、九州方面。
負けたら、東京方面。

僕は、勝って、九州方面の電車に飛び乗った。

途中、大阪で降りて、職安を廻る日々。

しかし、明らかにヤンキーな風貌の僕を
雇い入れてくれる会社など大阪にもない。

と、思っていたら、
一社だけ、僕を受け入れてくれたのだ!

それが、今の会社の創業者。

ここでの毎日はまさに修行の日々で
素人だった私は
3年のうちに和食の料理人の仲間入りを果たした。

この経験を糧に、私は広島で居酒屋を始めた。
最初は、すべて手作り。
完全に、ど素人集団。

僕は居酒屋という商売にどっぷりハマった。

そんな時、ある男との出逢い。
特に興味を示さず会おうとしない僕。
その男は、僕に会う為にと
いきなり、大阪まで来た。
東京から・・・

その男こそ、
居酒屋てっぺんの
大嶋啓介だ。

大いに語り合った。
居酒屋と日本の未来。

そこで生まれた構想こそ、
今の居酒屋甲子園。

最初は周りも協力してくれた。
でもあまりに僕らが夢を語りすぎて、
1人減り、2人減り・・・
気づけば、大嶋と僕達の4人だけ。

彼は泣いた。
誰の目もはばからず
おもいっきり泣いた。

僕の中で
何かがはじけた。

“この男と、地獄の底まで一緒にやったろう!”

本気が周りを変えた。
本気が協力者を増やした。

2006年、
居酒屋甲子園、始動。

今は、居酒屋甲子園は
次の理事長に引き継いだ。

また、どんどん大きなことをやっていき、
日本のため、
若者のため、
そして、自分のために動きつづけたい。

あの日・・・

ジャンケンに負けた悪友とは
あのジャンケン以来、会っていない。

アイツに再開したとき、
誇れる男になっていたい!!







ではもうお一方


『ゼロから異国の地にてイタリア料理研究家となった伊達男』


イタリアのローマ出身。

イタリア料理研究家としてテレビや雑誌に次々と登場。

そのルックスから世の中の女性達からは
こう呼ばれる。

“イケメンすぎるイタリア料理研究家”

日本とイタリアの文化の架け橋的な役割を目指して
日夜、メディアに出続ける男。

さあ・・・
料理研究家・エッセイスト
ベリッシモ・フランチェスコ様の登場です!


「外国でゼロから自分をプロデュースする」

育った環境はローマ 
コロッセオの近く

美しい建物や芸術作品の多い街

日本に来る前の1年間
志願兵を勤めた時に学んだ
規律・礼儀などは
学校へ通うより人生の勉強になったね

1年のつもりで
21歳の時に日本に留学

沢山イタリアンを食べましたが本場と味が違う

女性を自宅に招いた時
手料理を振舞うと
皆、美味しいと言ってくれる

料理をするのは女性にもてたいからだよ

料理研究家になろうと決めて
片言の日本語で雑誌社にテレアポ

怒鳴られたり忙しいと断られたり
冷たくされました

毎月食費1万円の生活

松屋の牛丼とカレー

1日1食の日もありました

アポは30人に1人ぐらいが話を聞いてくれる

みんな結論は一緒

「雑誌に出たければ先ずはテレビに出なさい」

今度は沢山の番組制作会社にテレアポ

そして今度は逆
「雑誌に出たら番組に出れるんだよ」
と言われた

でもね
実際のところは
若くて無名な料理研究家が
雑誌に出なくてもテレビに出ていたりする

結局世の中そうなんだ

だったら
イタリアンスタイルのやり方でやる!
と決めました

それは、打ち合わせに来た
編集の人を本気で食事に誘ったり、口説いたりする

嫌われる事は怖くなかった

失敗したらイタリアに帰るつもりで
臨みました

でも好かれたら
ビジネスの長い付き合いになるよね

更に、打合せで相手のスカートを見て上品に褒める人なんて
日本ではありえないから
強い印象も残せる

料理関係の打ち合わせは女性が多い(笑)

結果、大成功

皆さんのお蔭で今は仕事も沢山あり
楽しいね

美味しい料理を食べ
綺麗な女性と会える
料理研究家が僕には最高の仕事

困難は最善の時です。多くの事が学べ、
人間の頭と心を豊かにしてくれます。
これからも初心を忘れずに、
謙虚な気持ちで皆様に楽しんで頂けるように
頑張りたいと思います!

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