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  • 2013.03.24 Sunday
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一定期間更新がないため広告を表示しています


向上心

 
おはようございます。

寒いですね〜

元気ですか!!

厳寒も本日までとのこと。

少しずつ春が近づいてきているようです。


では今日もすごい人を2人紹介しちゃいます。




『20歳でトリノ五輪日本代表の権利を勝ち取った男』

物心がついた時から雪に戯れて育ち、父の指導のもと雪上競技を始める。
 
モーグルの世界では日本Jr.チャンピオンにも輝き
スノーボードの世界で本領発揮!
 
トリノ五輪日本代表にも選出され、20歳という若さでオリンピックに出場!

ウェイクボード、ヒーリーズ(ローラーシューズ)のプロ資格を有し、
現在はタレント、アーティスト、執筆活動までこなしている本日の男。

“夢”という字を名に持ち、‘童心”を決して忘れる事無く
数々の夢を叶えてきたアスリート!

さあ・・・成田童夢様の登場です!


「なんでも挑戦!なんとかなる!」

スノーボードとの出逢いは8歳のとき。
 
当時、今程知名度は高くなかった「ハーフパイプ」という競技にのめり込んでいった理由は
至ってシンプル。
 
それは・・・

目立ちたかったから(笑)
 
空高く舞って、回転する。
なんとなく、かっこいいでしょ?(笑)
 
これぞまさに、アスリートとアーティストを兼ね揃えた
“アーティストリート!!”
 
ハーフパイプの世界に一気に引き込まれました。
 
でも、プロを目指すと決めた15歳まで、
オリンピックに出場したいなんて考えていませんでした。
 
世界中の大会へ出場するにつれて、徐々に意識していった感じですね。
 
トリノ五輪の日本代表に選ばれてからは、“童夢”という珍しい名前の影響もあり
メディアに出演する機会が増えました。
 
でも、終わってみたら地獄。
 
すごく注目していただいたのに、結果は予選敗退。
 
多くの方々が一気に自分の周りから離れていくのがわかりました。
 
この時は、すごく悔しかった。
自分の力の無さが悔しかったのはもちろん、
なにより、自分は表面的にしか見られていないのではないか、
と感じたときが一番辛かった。
 
ここから、更に本気で自分の中身を磨く様になりました。
 
現在は、本業のスノーボードはもちろん、
興味のある事にはどんどん挑戦し、
タレント、カウンセラー、ヒーラーなど、
様々な分野で自分を磨いています。
 
今の子ども達には是非、色々なことに挑戦してほしいです!
モテたいから、お金持ちになりたいから・・・
動機なんて、何でもいい。
 
どんなに不純な動機だったとしても、頂点を目指して真剣に取り組んでいれば、
邪な気持ちは消えてなくなり、よりレベルの高い目標を掲げるまでに至ります。
 
固定概念で「抑制」することではなく、挑戦することに対して
温かい目で見守り、サポートしてあげる事が、
僕たち大人の役目ではないかな。
 
“童夢”という名前は、
「子どもの頃の夢を大人になっても持ち続けて欲しい」
という両親からの願いが込められた名前。
 
この名前に恥じぬよう、日本中、世界中の子ども達が
夢に、希望に満ちあふれた生活を送れるよう
サポートしていきたいと思っています。





そしてもうお一方


ボーリングブームを作り上げた日本一有名な元女性プロボーラー』

空前のボーリングブームがあった。

きっかけは一人の女性。
彼女はプロボーラーだった。

“さわやか律子さん”の愛称とともに抜群の美貌と人気を誇り
CM等に出演し一大旋風を巻き起こした。

CM曲の「律子さん、律子さん、中山律子さん」を
覚えていらっしゃる方も多いことでしょう。

なんと現役時代においては、
パーフェクトゲーム(オールストライクプレイ)を2回も出し、
あらゆる試合で勝ちまくった実力派であった。

まだ、娯楽が少ない時代において、ボーリングに夢中な人が街に溢れ、
テレビではボーリング中継。

この一大ブームを生むほどの女性とは?

さあ・・・
中山律子様の登場です!


「向上心が夢を紡ぐ」

中高とバレーボール部に所属

怖い先生で、トレーニングなどしっかりと指導されました

当時ボーリングは裕福な遊びでしたので
私とは無縁と思ってました

ある時友達と3人でボーリングを初めてやって
それから月に1回ぐらい遊んだかな

そのうちトーナメントに誘われ
ハンデがあって上位にいきました(笑

ダブルスの相手がいないと代わりに出場して準優勝

この準優勝が嬉しくてのめり込んで行きました

部活動で下半身を鍛えられたのでスピードが出るんです
教えてくれる人もいない時代ですから
技術は無くとにかくスピード(力)で投げていました

大阪の個人トーナメントで準優勝した時
東京タワーに勤務されていた方が東京に来て挑戦してみないかと
声を掛けてくれたのです

田舎(鹿児島)から上京したのが昭和43年

そして翌年プロになりました
東京タワーにあったボーリング場で朝から晩まで練習

練習は凄く楽しかったです

周りは頭で考えながら投げていましたが私は“勘”を頼りに
上手く行かなかったらスグに違う方法に切り替え続けました

完全に自己流です

33勝した頃力を抜いても回転を付ける事で
強いボールを投げられるという基本がわかったんです

力を抜くとコントロールも出来るし安定して長く戦えます

また精神を鍛える事が大切です
あと1歩頑張れば楽になるのに
皆そこで止めちゃうんです

まさに人生も一緒なんですよ

向上心があり努力すれば
必ず自分の夢に繋がっていくんです

今は9年前、60歳から始めた油絵の個展を
開くという夢に向かって日々を楽しんでいます


全盲の金メダリスト

 
おはようございます。

元気ですか!!

いつもありがとう♪



突然ですが、


「234797」

「797234」


この数字の意味・・・

震えます♪♪


戦後間もない頃、当時の最高紙幣である百円札を偽造して逮捕された人がいました・・・


この人、

奥さんと子供と仲良く暮らしていたんですが、

頼りの長男が戦争に行って戦死・・・

自身も病気を患って職を失ってしまい、

経済的にも精神的にも追い詰められます


生きていくための苦肉の策として、偽札造りを・・・

当時はコピー機など無い時代ですから、一枚一枚手書きです!


1枚造るのに2日、

2ヵ月半かけてわずか25枚の百円札を造りましたが、

これではとても家族を養って行けません・・・



そして、

先程の数字!!!


「234797」

「797234」



これは・・・



偽札につかわれた番号です!


この2種類しかなかったと言います・・・


「234797(兄さんよ泣くな)」

「797234(泣くな兄さんよ)」


長男の戦死や、色んな想いが込められたメッセージだったんですね・・・


もちろん犯罪はいけません!!!


でも、

このメッセージがなんだか切なく感じました・・・


今の時代の今の日本に生まれたという事が、

実は奇跡的に素晴らしい事で、

だからこそ、そうじゃない人に目を向ける義務があるのかもしれませんね♪



「私が自分だけのために働いているときには、

自分だけしか私のために働かなかった。

しかし、

私が人のために働くようになってからは、

人も私のために働いてくれたのだ」


 by ベンジャミン・フランクリン(アメリカの政治家・科学者・著述家)





では今日もすごい人を紹介しちゃうね!!


『全盲のパラリンピック競泳金メダリスト』

1992年のバルセロナパラリンピックから2008年の北京パラリンピックまでの
5大会の男子競泳部門に出場し
 
金メダル5個を含む21個ものメダルを獲得した超人。
 
パラリンピックの舞台に加え、中学校の教師としての活躍
次々と夢を追い、チャレンジ意欲に燃える男の登場だ。

さあ・・・
日本パラリピアンズ協会会長
河合純一様の登場です!


「夢追いかけて」

私の経歴を見ると、わりとうまくいっているように思われることが多いようです。
でも、実はそんなこともなくて、うまくいかないこともたくさんあります。

いつも最高と最低を想定しておいて、心にゆとりを持つようにしています。
そうすると殆どのことは対応できる自分がいます。
全ては自己責任と自己決断の連続。

悩みは、成長の種ですが、悩み続けるほど無意味なことはありませんね。
すなわち、受け止めることが一番重要。

できる、できないを把握し、
受け止めるということは一番の強みです。
そもそも完璧な人はいない!

私は15歳で完全に失明しました。
その過程は恐怖でいっぱいでしたし、絶望した時期もありました。

しかし、悔やんでいても仕方がない。

ひとつひとつ楽しく生きなきゃもったいないと思い
状況を受け止めて、考え方を変えました。

そして小学生からやっていた水泳に打ち込み
5度のパラリンピック出場。
根底に流れているのは水泳が好きで
泳ぎの中の問題解決をして速くなりたいという、好奇心と願望。
そして周囲との関わりにおける喜び。

オリンピック初出場のバルセロナの時は
自分のメダルって、自分が獲得して喜ぶ為と思っていて、
自分一人苦しい練習に絶えていると思っていました。

しかし、2回目のアトランタ五輪出場で金メダルを獲得し
国民が喜んでくれるのをみると、
苦しい練習なんてちっぽけなことだと思った。

多くの学びを得たパラリンピック。
今はパラリピアンズ協会の組織で、
パラリンピックや障害者スポーツの広い認知、
次世代のアスリート育成などの活動もしています。

やはり最近も明るい話といえばスポーツの話題、
国民はスポーツに救われている。

スポーツ文化の価値を高めて誰もが楽しめるように・・・

マイノリティ、社会的弱者の現場
今の教育現場を知っている当事者の私だからこそ
見えるものがある!

その力を、日本を良くするために
国会議員になって発揮していきたいと思います。


エンタ−テイメント

 
おはようございます。

とっても寒いですが元気ですか!!

いつもありがとう♪

サッカ−盛り上がってるね!!

寝不足になってる人もいることでしょう。


では今日もすごい人2人紹介しちゃいます。



『初代タイガーマスクと呼ばれた男』

連日ニュースを騒がしている“タイガーマスク現象“

梶原一騎原作の漫画“タイガーマスク”をモデルに
新日本プロレスに彗星のごとく登場した男
“初代タイガーマスク”。

155勝1敗9分という圧倒的な強さ。

引退後も修斗ボクシングを生み出し
「神の子」山本“KID”徳郁ら50名以上の
世界チャンピオン級の選手を育て上げている

日本人が忘れかけている“義”の再構築の為に、
男は今日も闘う。

さあ・・・
我らがヒーロー、初代タイガーマスク
佐山サトル様の登場です!

「日本人としての“義”」

これまで、幾人もの若手を育ててきて
彼らの“心”の弱さを幾度と無く見てきた。

人間とは、もっと、強くならないのか?

人間の弱さとは?

これらのことを学ぶうちに、普遍的無意識の世界にハマった。

科学的に追求すれば、究極、“死”の概念ですら超えられるのでは?

この思想から『不動心』が生まれた。

今の日本には、哲学がない。

愚者は経験で学び、
賢者は歴史で学ぶ。

あらゆる書物を読み、日本はもちろん、世界の歴史も追求した。

教科書に書かれたことが真実ではないことを知り、
さらにのめり込んだ。

そして、ついに生涯揺るがない強い自信を培い
揺るがないプレッシャーをはねのける
メンタルの作り方に行き着いた。

“リアル不動心”

世界最高峰のメンタルトレーニング法と呼んでも過言じゃないでしょう。

今の私のミッションは、このメソッドを日本中に広め、
国力を強くすることです。

さあ、日本人よ、たちあがれ!







そしてもうお一方


『国境を越えて愛される、日本が誇るエンターテイナー』

知らない街を歩いてみたい・・・
どこか遠くへ行きたい

昭和の名曲「遠くへ行きたい」はあまりにも有名だが、

彼は18歳の歌手デビュー前、
映画の黄金期は
銀幕のスターとして輝いていた。

松竹、東宝、日活、東映、大映、
日本五大映画会社すべてに出演したロカビリー歌手は
彼しかいない。

自分を照らす星の光を浴び、運を味方につけて輝く秘訣とは・・・

さあ・・・
ジェリー藤尾様の登場です!


「運は自分が引っ張っていくもの」

上海で生まれて引き上げで日本に帰ってきました。

高校2年のときに留年するなら好きな道を進もうと思い、
高校を辞めて、歌を歌っていたところをスカウトされてこの世界にはいりました。

18歳でデビューして今日までに思うことは、

運というのは自分が引っ張っていかなくては遠ざかっていく。

全ての人は、星の下に生まれている。
星の明かりが自分の運であり、生命でもあり
意欲がなくては運は遠ざかりますよ。

僕たちをスターっていいますよね。スターは、星のことです。
星の光はスポットライトと一緒。
自分の星を見つけて、中央に照らされなくても
その星の明かりから外れないように努力をしなくてはならない。

失敗しても恥をかいてもいい。
いろんな話を聞いて自分で実践してみる。
百聞は一見にしかず、だよ。
知ったかぶりをしている人は自分から運を遠ざけている。

成功者は自分だけのことを考えて成功したわけではない。

例えば、ありえないくらい美味しいマツタケを見つけたら
人に教えてあげられる人に運はくる。

つまり、人と分かち合うことでどんどん運はあがっていきます。

どんなに下がっている時でも
自分にはきちんとした土台があるという気持ちさえ持っていれば、
全てがダメになっても、もう一度つくればいいんですよ。




夢は絶対にあきらめない

 
おはようございます。

元気ですか!!

いつもありがとう♪

寒いですね〜

皆さん体に気をつけてね!



では今日もすごい人を2人紹介しちゃうね。


まずはこの方

『世界中の一流ホテルを知りつくすホテル選びのプロフェッショナル』


栄華の象徴、ニューヨークのプラザホテルにて10年間勤務。
 
ホテルサービスに魅せられて世界中のホテルを泊まり歩くこと500件以上。
 
世界の一流ホテル業界で、もはや彼を知らない人はいないと言われるほど。
 
あらゆる国でのホテルサービスを体感して、日本のホテル業界に見出した可能性とは?

さあ・・・
ケニー奥谷様の登場です!

「アメリカのホテル業界から見た日本の未来」

実は、小さい頃、鬱の気があり
生きているのが嫌で、すごく辛い時期がありました。

兄弟にも「啓介の変な病気がまた始まった」と言い放される始末。

悩んで苦しんだ結果、
「このまま無気力でいてはいけない」と思い、
日々の生活に、小さなゴールを設定することにしました。

遠過ぎるゴールはぼやけちゃう。
近くにあるゴールを達成して喜びを味わう。
私には達成感が必要だった。
 
その延長で海外を目標とし、渡米。
ホテル業界に就職した私は、
Jアーチャーの名作「ケインとアベル」の主人公に憧れ、
ホテル業界での最終目標として
ニューヨークのプラザホテルで働くことを決意。
小さなゴールの達成を重ね
最後には夢のプラザを掴みました。
 
途中、サイパンのホテルに勤務していた頃には、
日本人観光客の多さに対して
極端に少ない日本人スタッフとして奮闘。

言語や国民性の差で生じた
クレームの対応の連続に体重が減少し続けたことも。

プラザにポジションを得たものの、
同時多発テロで日本人観光客が激減し解雇の危機。
元に戻るまでの4年間もがき続けました。

戦略を立て続け、観光客数の回復のさなかに、プラザ、閉館。
 
私が次に作ったゴールは小さい頃からなりたかった
物書きでした。
 
労働環境が悪い職場とされていて
人気の低い日本のホテル業界で
ホテルマンに夢を与える原稿を書こうと思いました。
しかし、書き進めるほど浮き彫りになる
日本のホテル業界の問題点。
 
諸問題により「ホスピタリティ」の心を個々の従業員が出せていない状態。
旅館からホテルに移行したときに、
何かがおかしくなってしまったようです。

奇跡の国、日本で受け継がれた“おもてなしの心”。
個々に与えられた権限の幅を大きくすれば
もっと楽しく、もっと自由におもてなしをできると信じています。
 
未来の日本のホテル業界を変える。
そのためにまた、小さなゴールをつくりながら
私の力を出来る限り注いでいきます。









そしてもうお一方


『日本最高齢でデビューを果たした演歌歌手』

幼い頃から男は2つの夢を描いていた。

「商人」として成功すること、
そして、「歌手」デビュー。

18歳で独立し、林業の事業主となり
生活用品を買出しに出るうちに、
ディスカウント業に関心を持ち
23歳で自らディスカウント業界に参入。

時代の寵児として業界の話題をさらい続けた
1984年、グループ会社を合わせ年商400億円。

一つ目の夢を達成。

また、68歳という年齢で、
ついに子供の頃からの
もうひとつの夢であった
演歌歌手としてのデビューも果たしたのだ!

さあ・・・
演歌歌手
大和晃三郎様の登場です!

「夢は絶対あきらめない」

68歳という年齢で演歌歌手としてデビューをさせていただきましたが、
それ以前は「商人道」を実直に歩んで来ました。

23歳で自らディスカウント業界に参入。
ディスカウントブームの先駆者として活躍、
驚異的に業績を伸ばし、
世界の一流品、ブランド品、高級品を集め、
1日来店数25万人の記録達成。

不動産バブルの崩壊の危機に、
過大投資が仇となり事業は徐々に失速・・・
60歳で民事再生。

以前より明言していた通り、
経営の全てを後進に譲り、27年間に及ぶ経営に幕を下ろした。

社長を辞めた後会社を作ってビジネスをもう一度したり
協業をしませんかという話をいただいたりしたのですが、
「自分はこれをやっています」
と胸を張って言える程燃えませんでした。

自分に何があるのかと考えた時に、
もうひとつの夢であった歌を考えました。

振り返れば商売に没頭している時も、
一人で一晩中カラオケを歌い続けていました。

周りの方の支援もあり
夢だったデビューをさせていただくことができました。
作詞作曲は鳥羽一郎さんです。
本当に感謝をしています。

今年は100ヵ所公演を行い、
10年はしっかり歌っていきます。

今、社長をやっている時と同じくらい、いやそれ以上に
熱く燃えています。

一流の味

 
おはようございます。

元気ですか!!

いつもありがとう!!

今日もすごい人を2人紹介しちゃうね。



まずはこの方

『ビールに人生を捧げ理想の無ろ過樽出しビールブランドを創り上げた男』

本場北ヨーロッパの特級大麦麦芽100%とチェコのアロマホップ、
それに、福島磐梯山系の天然水を使用。

これらを聞くだけで美味しさが伝わるほどのビール。

色はしぼりたての新酒のような薄にごり。

これは、アメリカと日本で数十年以上もビールに携わり
“常温”でも美味しく飲めるビールを提供したいと
ただ、ただ追求し続けた男が作ったビール。

さあ・・・
坂本健二様の登場です!


「好きなものを見つけるのに焦る必要は無い」

学生の頃から商社への入社を考え
海外での活躍を夢に描いていました

大学4年ホームステイでサンフランシスコへ

ホストファミリーが本当に良い人達で

最終日すき焼きを食べにジャパンタウンに行きました

その時日本ビールの大瓶が出てきたんです

アメリカでも日本のビールの市場があるんだ
大きな可能性を感じて商社はやめて日本のビール会社に入社しました

入社後すぐに社内留学制度に合格し、
アメリカ ウスコンシン州大学に2年間留学しMBAを取得

USA法人にて日本のビールをそのままアメリカで販売

その後、アメリカのビール会社へ転職し8年間
日本法人の立上げをやりました

ここでもアメリカのビールをそのまま日本で販売

日本とアメリカのビール業界で合計22年間

日本の苦味が強いビールはアメリカ人には好まれない

逆にアメリカの薄いビールは日本人には好まれない

しかし、どちらの法人も自分達が作ったビールは一番美味しい
良いものを作ってるからこの美味さがわからないんだったら
飲まなくていいぐらいの姿勢です

お客様が美味しいと思えるビールを造る文化が無い

おかしい事だと思いました

今の日本は税金対策で作られた
ビール風飲料ばかり売っている

だから美味いと思われる本物のビールを自分で造りたくて

ドイツで修行された志し高き醸造家と手を組み
48歳からスタートしました

弊社は工場を持ってません

我々が設計したビールを、地ビール会社の工場で生産してもらい
全て買い上げる仕組みです

焦らず、おかしいな、と思うことをひとつひとつ見つめた先に
ようやくできた仕組みです

好きなものを見つけるのに焦る必要は無いと思います

その代わり、見つけたからにはその道のプロになりたいと思いますし、
これから見つける人にもそうであってほしいと思います





そしてもうお一方

『人生を料理に託し宮内庁から表彰された男』

男は語る。

“50年くらいなら毎日違うものが作れる程のレシピが私の頭の中に入っている。”

そう語る男は帝国ホテルの京料理店の元総料理長。

当時の年収は、現在の価値に直したら3千万円以上。

それから30年、未だに料理人として腕をふるい
未だに著名人やVIPのお客様がこの男の料理を求め暖簾をくぐる。

厳しい料理界において常にトップに君臨する苦悩とは?

どうやって、上り詰めたのか?

さあ・・・
神村亮様の登場です!

「料理人としての生き方」

私が料理の修行に飛び込んだのは17歳の時。

板場というのは昔からヤクザ社会と言われるほど
先輩の言うことは絶対。

親方の言うことは「白」でも「黒」になるという
縦社会の厳しい世界。

散々いじめられました、というより、
今振り返れば鍛えていただいていたのですね。

「料理の腕で見返すんだ」

その一身で、がむしゃらに
人の3倍は、料理の修業に打ち込みました。

15時間働き、皆が寝たあとも3時間、睡眠時間を削って
その日の献立の復習を重ねました。

レシピなんてありませんから、鍋の底に残った汁を舐めて
同じ味を出すために試行錯誤しました。

修行をして10年がたった時に、親方から東京の帝国ホテルの
京料理店の料理長をするようにと命じられました。

28歳。もちろん最年少です。
最初の給料がなんと100万円。
たまげました。

今までもらっていた給料は、月2500円だったので、
直ぐに親方に電話をして、
「この給料は1年分ですか?」
と確認してしまいました。
 
そういう世界なんです。

それからというもの
取材や、コンサルティングなど次々と依頼が入り
30歳の頃には年収で3000万円を超えていました。

料理の世界で成功するには、
人の何倍も努力しなくてはなりません。

技術の裏づけがあり美味しい料理を提供すること。
そもそも自分にその才能があるのかどうかを
見極めることも重要ですね。
才能が無ければ、どんなに努力したって成功しませんから。
 
自分の才能に見合った世界で
頑張っていくのがいいと思います。

身の丈に合わないような無理をしても続きません。
超一流の世界だけが全てでは無いと思います。
どんな世界でも同じではないでしょうか。
まだまだ勉強です。

そう思って、これからも
料理の道を極めていきます。





居酒屋とクラブ

 
おはようございます。

いつもありがとう!!

元気ですか♪


一際寒い今日この頃、

体に気をつけてね!


では今日もすごい人を紹介しちゃうね。


まずはこの方



『“ありがとう”をつなぎ、あらゆる側面から日本を元気にする男』



乾杯で日本を元気に!

誰もが一度は行ったことがあるのではないでしょうか。

“居酒屋 わたみ”

渡邉美樹。

彼が日付を入れて夢を叶えることで、豊かで楽しいもうひとつの食卓
“和民”ブランドが確立された。

多くの人が集い夢を語れる場所ができた。

事業領域は広がり、介護・高齢者向け宅配・農業・環境事業と、
多岐にわたる活動により快進撃が続く!

地球上で一番たくさん“ありがとう”を集める会社へ・・・

さあ・・・
ワタミ株式会社
代表取締役会長・CEO
渡邉美樹様の登場です!



「夢に日付を」

10歳で社長になると決めました。

最愛の母親を亡くし、その半年後に父が会社を清算し、
自分はなんてツイてないんだろうと思っていましたが、

大人になり、人との出会いを重ね、何度も人に助けられて
自分はとても運が良いと思うようになりました。

私が一番大変だったとき・・・
それは起業前。

資本金をためるために運送会社でやり抜いた1年間。

眠れないことや、一日20時間前後の長時間労働は体力的に辛かった。

しかし、自分の好きな事ではない事をやっているという事実が何よりも辛かった。

当時23歳。
24歳の4月1日に起業すると決めていた私は、限られた時間の中で
どうしても自分の汗を流す肉体労働と引き換えに資本金を貯めたかった。

当時、一番体力的にキツいといわれていた運送会社に入った。

今思うと、自分のやりたいことと違うことで、
と解釈をしていたからこそ辛かった。

自分にはこの仕事は関係なくて、
お金を貯める為だけの期間と思っていたことを今は反省している。

荷物を運ぶのも大切なサービス業。
もっと心を込めて運べばよかったと思う。

100のうち、1は“逃げたい”という気持ちがあるうちには、
辞表を出さない、絶対にあきらめないと、決めた。

計画通り、1年で300万の資本金を貯め、
夢の日付の通り24歳の4月1日に社長になりました。

途中で計画を先延ばしにして
1年間先延ばしにすれば心に余裕を持って、
社長業を目指せたかもしれないけど、
そうじゃない。

あの時、日付を書き換えていたら今の自分はない。

私はいつも夢に日付と到達点を入れます。

今、カンボジアで農業を始めており、無残な程の失敗もありますけど、
うまくいかないところからスタートして、一つ一つ分析して、
あきらめずにやっていく。

もちろんこの夢の達成日付も入れていますよ。

最初から全てうまくいかなくても、
失敗に臆することなく、
あきらめないで改善していけば必ず夢は叶うと思います。






そしてもうお一方


『銀座クラブ界で頂点を極め続けドラマ“女帝”のモデルとなった女性』

銀座で伝説をつくったクラブ。

そのクラブのママは漫画にもなり、
夜な夜な政界、財界、経済界において
成功した男達が集まるクラブ。

銀座No.1クラブとも言われている。

そこのママは、一度見たら忘れられない煌びやかな衣装で身を固め、
圧倒的な存在感で、伝説と言われるクラブ、
“クラブ順子”をつくりあげた。

さあ・・・
田村順子様の登場です!


「日々反省、日々勉強」

中学生の頃、婦人画報を読んでいて、
銀座で働くクラブのママの話が掲載されていました。

私も銀座で働きたいと直感が「ピピッ」と
はたらきました。

クラブのママになりお金持ちになれば、
母が豊かな暮らしを送ることができる。

家が貧しかったので、母に少しでも楽な暮らしをさせたい
そう考えました。

そんな思いを持ちながら、社会人になりOLとして働いてたある日、
運命の出会いがありました。

銀座を歩いていた時に、ホステスをやらないかと
あるクラブのママが私をスカウト。

目の前で20万円を出されて、明日からうちに来なさい
と言われました。

多少の不安を抱きながら、ホステスになりましたが、
ママの働きぶりを見て決心しました。

誰よりも率先して、一生懸命働いている。
そしてイキイキと楽しそうにしている。

私も一生懸命ホステスとして働こうと思いました。
この仕事が天職だと思った。(楽しかったから。)

ホステスはおしゃれができて、頑張ればお客様にかわいがってもらえる。
そしてお金までついてくる。

接客業は、毎日が勉強と反省の繰り返しです。

お客様を入り口まで見送るタイミングを逸してしまったとか、
話題の振り方を違う風にすればよかったとか、
毎日自分を振り返る時間を作るようにしています。

仕事を通じて大物政治家、芸能人、実業家・・・
様々な方とお会いさせて頂けたことは私の財産となりました。

たくさんの成功者をみていますと
成功する方には共通点があると思います。

まじめさは必須条件ですが
大成功する方はしたたかさも兼備えています。

そして、どんなに辛い時でも、顔にだけは絶対に出さない。
いつもと同じ笑顔で「おはよう!」と言える人。

あと、夢を大きく持ってる人も大成していますね。

「俺もいつかは政治家になるぞ」とか
「俳優として大舞台に立つぞ」とか
目標が大きい人は、それに向かって努力をして行きます。

そのうちに、目標が具現化して、
成りたい自分になれるのだと思います。

UBUNTU ウブントゥ 深い絆


おはようございます。

皆さん、昨日今日と成人式お疲れ様でした。

みんな早朝から元気に頑張ってくれましたね。

ホントありがとう!!

皆さんも感動したでしょう!!

ワクワクしたでしょう!!



では今日もすごい人を、今日は1人紹介します。



南アフリカといえば
アパルトヘイト、
差別問題、
暴力、
貧困。

このようなイメージが強かったが・・・

近年、地球の最も新しい市場として
世界中から注目を浴びている。

さあ・・・
南アフリカ共和国
特命全権大使
ガート・ヨハネス・グロブラー様の登場です!


「UBUNTU ウブントゥ 深い絆」

学生時代に、アフリカ諸国や他の国々を旅行しました。

紛争状態の国、
貧困に喘ぐ国、
衛生状態が良くない国、
教育水準の低い国を
目の当たりにしました。

同時に私の国には人種差別があり、混乱や緊張関係がありました。

しかし、マンデラの様な強力な指導者がいたことを
幸運に思います。

心の底から南アフリカが民主化し、
人々が平和に暮らせることを嬉しく思います。

南アフリカの人々の役にたちたい、
これが今の仕事を選ぶきっかけでした。

貿易・投資をすすめれば雇用が生まれ
人々の生活が向上する。

自分の活動が、アフリカから貧困を取り去り、
平和をもたらすことに貢献できると思えた時に
大きな達成感を感じることができます。

アフリカは、紛争や貧困問題もありますが、
それぞれの国は、硬い絆で結ばれています。

あなたあってこその私
私がいるから、あなたもいる。
家族だけでなく他人のことも含めて、
お互いを思いやり、分かち合い、
協力し合う精神がアフリカにあります。

アフリカとは、ひとつの大きな村なのです。

あなたが、知らない人の家を急に訪ねたとしても、
笑顔で向かえいれ、夕食をご馳走してくれるでしょう。

アフリカの人々は、ボロボロの服を着ていても、
笑顔でいられるのは、人と人との深い絆があるからです。

私たちは、この絆と精神を
UBUNTU(ウブントゥ)と呼んでいます。

アフリカの諸国と比べると、日本は教育水準も高く、
非常に豊かで、恵まれている国だと思います。

また、技術力や経済面でも、
世界に誇るものがあると思います。

日本人は、自分の国をもっと誇りに思って
いいんだと思います。

私は、これからも
日本と南アフリカの橋渡しを行い、
アフリカ諸国全体の発展のために
尽くして行きたいと思います。



真の強さ

 
おはようございます。

ここのところ寒い日が続くけど、元気ですか!!

いつもありがとう♪

成人式の練習とかに忙しいことと思います。

みんな風邪とかに気をつけてくださいね。


では今日もすごい人を紹介しちゃいます。



まずはこの方


『シュートボクシングを通して世界平和と日本の精神文化を伝える男』

日本発祥のシュートボクシング。
その創始者であるシーザー武志は所属するジムの会長でもあり、
技術はもちろん武士道に通じる精神を養ってくれる。

その尊敬するジムの会長が病に倒れ
内弟子である自分が会社を支えなければならないという窮地に。

早朝から外回りの営業に奔走し夕方ジムに戻ってからのトレーニングは、
困難を極め周囲に心配を与えるほどフラフラだったがやるしかなかった。

その極限状態で男の中の日本魂が目を覚ました・・・

男は世界チャンピオンになった。
 
さあ・・・
S-cup2006世界王者
緒形健一様の登場です!

「死の意味付けをする人生」

少年時代は信号も自動販売機も無い海と山に囲まれた土地で育ちました。
実家は兼業農家。急勾配の段々畑。

家の手伝いで足腰は鍛えられ、自ら苦労して作った作物を食べた時、
感動と共に有難さという感謝が芽生えました。

思い返せば人生の大きな分岐点は2つあります。

1つは中学1年生の時。
親戚の兄貴が交通事故で亡くなり、人間いつか死ぬなら
好きな事に取り組まなきゃ無駄だと考えるようになり、

そこから嫌いだった勉強よりも
身体を鍛え始め漫画の影響で空手に没頭し、
高校3年生のときに雑誌でシュートボクシングを知った
僕は、熱い衝動に駆られて東京のジムの門を叩いた。

もうひとつは初めての海外選手との試合で
鼻骨を陥没骨折し即入院したときのこと。
次の試合は、眼窩底(がんかてい)骨折で即入院。
お医者さんは治ると言ったが見えるものは全て二重に見える。

そんな時お袋の癌が再発。

長男である自分は睡眠時間を削り倒れるまで働き仕送りをしていたので、
神様に「格闘技はもう辞めろ!」と言われているのかと落ち込みました。

しかしそんな時、まさに末期ガンで入院されていた会長のお母様をお見舞いに行くと、
僕の心を見透かしたお母様は力を振り絞ってベットから起き上がり

「あんた根性無いね!
人生とは、死ぬ為の準備でありその心構えをするものなんだから
男は男らしく女は女らしく精神力をしっかり強く持って生きないと駄目よ」

と叱咤してくれたんです。
突き刺さりました。

それでもう一度挑戦する事を決意。

落ち込んだことなんて、振り返れば何の意味も無かった。
止まっている時間は全て人生の無駄。
スパッと忘れて行動しなければ損。

自分はそういう先人達に対して

「あなたのお蔭でこれだけ頑張れました。ありがとう。
夢を見つけて頑張ろうと思うことができました」

と、命ある言葉に対して感謝し
意味付けをしていきたい。







そしてもうお一方



『強靭な精神力と技術でキックボクシング日本人ヘビー級のトップに君臨する男』

中卒。夢・・・特に無し。

学歴が無いと稼げないと思っていた少年は
日雇いの仕事で一生を終えるんだろうと漠然と思っていた。

そんな男がキックボクシングに出会って、驚くべき変貌を遂げる。

堅い意思で愚直に日々トレーニングを積み
筋肉も、皮膚も骨も、そして心を鍛えぬいた男は
ついに王者になった。

さあ・・・
M-1 初代ヘビー級王者
WPMF日本ヘビー級初代王者
KOICHI様の登場です!

「自分を鍛える、心を鍛える」

K-1を見るのが好きで
選手をみて、やりたいな〜と思っていたけど、怖かったのかな。
精神的にも弱かったから地元のギャングとか
そういう軍団の中に戯れてた。

20歳。ノリで地元新潟のジムに入ってみた。
嫌な事があったらすぐに辞めてやる程度の気持ちです。

先生でも、ムカつく指示とかされたら殴ってやろうと思っていた。
きっと、自分の心が弱かったからそう思っていたんだ。

キックボクシングアマチュア大会に出た時、
初出場でいきなり2位になって、初めて勝つ喜びを知った。

東京に出て本気でやると決意しました。

勢いと熱意で30万円を握り締めての上京。
弁当屋に住み込みで働き、寮は弁当屋の二階。
ゴキブリの出現頻度が高すぎる。
ひもじい・・

練習は厳しいし怪我もいっぱいするし、練習なのにアバラも鼻も折れるし。

ホームシックに加えて貧乏生活、そして、怪我。
1ヶ月で帰ろうと思った。

帰りたかったけど、夢も希望もないあの頃の自分で一生を終わりたくなかった。
強くなりたかったし、K-1の舞台で戦って有名になりたかった。

恩師ニコラスペタスさんや道場で生活をともにした外国人との出会いで
自分が少しづつ変わっていった。

20戦無敗の沖縄チャンピオンに勝ったデビュー戦から、
試合を重ね、考え方一つで行動が変えれることに気がついた。

最近のWPMF日本ヘビー級初代王者決定戦は
思ったことが現実になることを確信した試合だった。

自分が勝ちたいと思えば、自然にそっちにながれる。
負けの文字が、ちらっとでも見えたらそうなる。

どんなときもプラス思考。
そしてコンプレックスも含め自分で自分を認め、
受け止めてあげれること。

これができて人の目を気にしないようになってから
心も、体も強くなった気がします。
コンプレックスも、なくなりました。
全て、認めて受け入れると嫌じゃなくなる。

思い続ければそれが現実になる。
だからこそ、いつも良いことを
強く思い描いて、そんな現実を生きていきたいと思います。


真の強さ

 
おはようございます。

ここのところ寒い日が続くけど、元気ですか!!

いつもありがとう♪

成人式の練習とかに忙しいことと思います。

みんな風邪とかに気をつけてくださいね。


では今日もすごい人を紹介しちゃいます。



まずはこの方


『シュートボクシングを通して世界平和と日本の精神文化を伝える男』

日本発祥のシュートボクシング。
その創始者であるシーザー武志は所属するジムの会長でもあり、
技術はもちろん武士道に通じる精神を養ってくれる。

その尊敬するジムの会長が病に倒れ
内弟子である自分が会社を支えなければならないという窮地に。

早朝から外回りの営業に奔走し夕方ジムに戻ってからのトレーニングは、
困難を極め周囲に心配を与えるほどフラフラだったがやるしかなかった。

その極限状態で男の中の日本魂が目を覚ました・・・

男は世界チャンピオンになった。
 
さあ・・・
S-cup2006世界王者
緒形健一様の登場です!

「死の意味付けをする人生」

少年時代は信号も自動販売機も無い海と山に囲まれた土地で育ちました。
実家は兼業農家。急勾配の段々畑。

家の手伝いで足腰は鍛えられ、自ら苦労して作った作物を食べた時、
感動と共に有難さという感謝が芽生えました。

思い返せば人生の大きな分岐点は2つあります。

1つは中学1年生の時。
親戚の兄貴が交通事故で亡くなり、人間いつか死ぬなら
好きな事に取り組まなきゃ無駄だと考えるようになり、

そこから嫌いだった勉強よりも
身体を鍛え始め漫画の影響で空手に没頭し、
高校3年生のときに雑誌でシュートボクシングを知った
僕は、熱い衝動に駆られて東京のジムの門を叩いた。

もうひとつは初めての海外選手との試合で
鼻骨を陥没骨折し即入院したときのこと。
次の試合は、眼窩底(がんかてい)骨折で即入院。
お医者さんは治ると言ったが見えるものは全て二重に見える。

そんな時お袋の癌が再発。

長男である自分は睡眠時間を削り倒れるまで働き仕送りをしていたので、
神様に「格闘技はもう辞めろ!」と言われているのかと落ち込みました。

しかしそんな時、まさに末期ガンで入院されていた会長のお母様をお見舞いに行くと、
僕の心を見透かしたお母様は力を振り絞ってベットから起き上がり

「あんた根性無いね!
人生とは、死ぬ為の準備でありその心構えをするものなんだから
男は男らしく女は女らしく精神力をしっかり強く持って生きないと駄目よ」

と叱咤してくれたんです。
突き刺さりました。

それでもう一度挑戦する事を決意。

落ち込んだことなんて、振り返れば何の意味も無かった。
止まっている時間は全て人生の無駄。
スパッと忘れて行動しなければ損。

自分はそういう先人達に対して

「あなたのお蔭でこれだけ頑張れました。ありがとう。
夢を見つけて頑張ろうと思うことができました」

と、命ある言葉に対して感謝し
意味付けをしていきたい。







そしてもうお一方



『強靭な精神力と技術でキックボクシング日本人ヘビー級のトップに君臨する男』

中卒。夢・・・特に無し。

学歴が無いと稼げないと思っていた少年は
日雇いの仕事で一生を終えるんだろうと漠然と思っていた。

そんな男がキックボクシングに出会って、驚くべき変貌を遂げる。

堅い意思で愚直に日々トレーニングを積み
筋肉も、皮膚も骨も、そして心を鍛えぬいた男は
ついに王者になった。

さあ・・・
M-1 初代ヘビー級王者
WPMF日本ヘビー級初代王者
KOICHI様の登場です!

「自分を鍛える、心を鍛える」

K-1を見るのが好きで
選手をみて、やりたいな〜と思っていたけど、怖かったのかな。
精神的にも弱かったから地元のギャングとか
そういう軍団の中に戯れてた。

20歳。ノリで地元新潟のジムに入ってみた。
嫌な事があったらすぐに辞めてやる程度の気持ちです。

先生でも、ムカつく指示とかされたら殴ってやろうと思っていた。
きっと、自分の心が弱かったからそう思っていたんだ。

キックボクシングアマチュア大会に出た時、
初出場でいきなり2位になって、初めて勝つ喜びを知った。

東京に出て本気でやると決意しました。

勢いと熱意で30万円を握り締めての上京。
弁当屋に住み込みで働き、寮は弁当屋の二階。
ゴキブリの出現頻度が高すぎる。
ひもじい・・

練習は厳しいし怪我もいっぱいするし、練習なのにアバラも鼻も折れるし。

ホームシックに加えて貧乏生活、そして、怪我。
1ヶ月で帰ろうと思った。

帰りたかったけど、夢も希望もないあの頃の自分で一生を終わりたくなかった。
強くなりたかったし、K-1の舞台で戦って有名になりたかった。

恩師ニコラスペタスさんや道場で生活をともにした外国人との出会いで
自分が少しづつ変わっていった。

20戦無敗の沖縄チャンピオンに勝ったデビュー戦から、
試合を重ね、考え方一つで行動が変えれることに気がついた。

最近のWPMF日本ヘビー級初代王者決定戦は
思ったことが現実になることを確信した試合だった。

自分が勝ちたいと思えば、自然にそっちにながれる。
負けの文字が、ちらっとでも見えたらそうなる。

どんなときもプラス思考。
そしてコンプレックスも含め自分で自分を認め、
受け止めてあげれること。

これができて人の目を気にしないようになってから
心も、体も強くなった気がします。
コンプレックスも、なくなりました。
全て、認めて受け入れると嫌じゃなくなる。

思い続ければそれが現実になる。
だからこそ、いつも良いことを
強く思い描いて、そんな現実を生きていきたいと思います。


心とは己の器なり

 
おはようございます。

いよいよ2011年を迎えたね♪

元気ですか!!

みんな、いつもいつもいつもいつもありがとう☆

みんなにとっていい年になることを願ってるよ!



では今年もすごい人を紹介しちゃいます。




まずはこの方


有名経営者や政治家から絶大な信頼を置かれ、開運を司る魂伝師』


テレビで見た記憶がある人も多いだろう・・

アメリカ、FBIへの捜査協力に
決して科学では証明できない手法で助言し
事件を解決する。

しかも、複雑怪奇、迷宮入りと言われた複数の事件を
霊能力だけで解決した女性がいる。

今や彼女の下には誰もが知っている政治家や、
各業界の一線で活躍している経営者たちが
過密スケジュールの合間をぬって相談にやってくる。

これを非科学的と片付けてしまって良いのだろうか?

さあ・・・
川井春水様の登場です!


「心とは己の器なり」

私は、幼少の頃に2度の臨死を体験した。

1度目は、出生の時。

2度目は、3歳の時、
自宅に流れている川で溺れ意識を失った。

医者であった祖父は何も出来なかったが、
祖母が、お酢を無理矢理飲ませて咳こませ
肺から水を出すことができ助かった。

そんな私は、16歳の時、全く英語も出来ない中、
アメリカへ留学。

その当時は、留学などする生徒は本当に珍しい時代。

ユダヤ人のお婆様のもとにホームステイ。

英語は、ラジオを何度も何度も聞いて覚えた。

それから数年後、アメリカでレストランを始めた。

朝、昼、晩、・・・

1日、3時間の睡眠で働き続けた。

レストラン事業は大成功をしたが、
私は、日本のある地方の山中で出逢った一生涯の師匠からの教えを受け、
この世界に入った。

とあるきっかけで、アメリカのFBIの捜査に協力し、
事件を解決したことをがマスコミに伝わり、
メディア登場依頼が殺到した。

今は、東京のオフィスに腰を据え、
荘厳契密法(そうごんきんみつほう)の魂伝師として
活動しています。

私が見ていて思うことは
日本は、もっと子供たちの教育に力を入れるべき。

そして、親として最高の子供への教育とは
“子供の前で先祖に手を合わせる”姿を
見せ続けること。
あなただって、いつかはお墓に入るのです。
あなたのためでもあるんですよ。
祖先と、そして、自分を大切に・・・

人間って、自分の性格や運勢を知ったうえで、
抱えている悩みや問題の対処法となる
運気の使い方を知れるのです。

そうする事で最終的に自分に自信を持つ事が
できます。







そしてもうお一方


『延べ25000人以上の人が涙した心に響く話し方講師』


言葉のエネルギーで人生はどのようにでも変えられる。

人は「綺麗」と言われ続けるとドンドン美しくなる。
時に、「言葉の暴力」で胃に穴があいてしまうこともある。

言葉のパワーは偉大だ。

今日の女性は俳優、司会業で内なる自分との葛藤を重ね
“言響(心に響く話し方)”のエキスパートとなった!

彼女のスクールは全国から様々な職種の受講生からの申し込みが殺到。

彼女が聴衆に伝える思いのルーツとは?

さあ・・・
宮北侑季様の登場です!


「他人の評価を気にする自分」

スポーツで大学推薦をもらうが
マークテストでマークミスまさかの浪人

肩を落としてる時期「どん底」という芝居を見ました

人間とは素晴らしいじゃないか
自信は天才なり

という台詞に身震い

芝居って人を元気にする仕事なんだ

感動しました

8倍の倍率を突破し劇団青年座に合格

しかし父が許してくれず申し込み最終日には
父の会社に押しかけていました

会社の食堂で

父から忠告を受けた

きっと芸能界だけでは生活できなくて
アルバイトをするようになるだろう
そしてアルバイトが楽しくなり
中途半端になってしまう

そうなってはいけない
だから手に職を付けろ

それが条件だ

水泳のインストラクターになりました

スイミングのお客様が舞台を見に来てくれるので
チケットノルマは必ず達成

父が与えてくれた条件に感謝です

喜劇シーンの稽古中
私はぎこちない演技

演出家に気に入られたい気持ちでいっぱいなので
役の気持ちを感じられない

私の役をS子がやったら

全員ドッカン!ドッカン!笑ってる

その後同じ役をやっても
私はS子の真似しか出来ない

稽古場が凍りつく

明日からこの役はS子でいく
宮北は稽古に来なくていい

演出家のこの一言に
生きている心地がしませんでした

自分と向き合う為
山で住み込みバイト

朝起きると紅葉で綺麗だった景色が
一面の銀世界

昨日ふと目にとまった足元で咲いていた
黄色い小さな花が気になりました

外に飛び出し雪を掻き分けました

何も変わらず雪の中で健気に咲いてる姿を見て
涙が頬を伝わりました

状況が変わっても他人の評価を気にしなくても
変わらず咲き続ける強さが欲しい

心の軸がぶれることもあるかもしれませんが
ぶれている自分を受け入れれば良い

受け入れる事で軸が出来るのです

そして
心の耳栓を外して
心と会話をすると・・・

あなたの魅力が言葉にのって聞く人に伝わる
なんとも素晴らしい瞬間がやってきます

常に心と言葉はイコールなのです


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