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  • 2013.03.24 Sunday
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世界の中野

 
めっきり肌寒くなってきたね。

ドラフトではユウちゃんが日本ハムに1位指名ということで、またまたロッテが空振りだったな(汗)

まあ、日本シリ−ズでは例の崖っ淵に以上に強いチ−ムカラーで、落合コンピュ−タ付ファイティングマシ−ンを破壊してほしいね!!



大人になるにつれ、
失われていくモノは何でしょう。

・・・髪の毛?

確かに、間違いではない。
しかし、この問題の正解は

『夢』

子供の頃、夢を持つことに恥じらいは無かった。

でも、大人になるにつれ、夢を持つことを躊躇してはいないだろうか!?

偉人名人スゴい人達は

夢を抱き、

その夢の実現に向かって突き進んだ結果、スゴい人になったのだ!

『夢を持つ』ということは紛れもなく

スゴい人への王道である!!


『10年連続世界最速の冠を守り抜き、競輪界を牽引する男』


中野浩一


日本で最も有名な競輪選手。
 
世界最速の記録を10年守り抜いた男。
 
バラエティ番組、CM、競技場の外でも彼はいつも人気を集めている。
 
結果、競輪=中野浩一

このような方程式が出来上がりつつあった。

彼の中で違和感が芽生える。

競輪業界をメジャーに!

僕だけじゃなくて他の選手にも、

もっとスポットライトを!

10年間タイトル保持の偉業を成し遂げ競輪ファンを魅了するだけでなく

競輪界の後輩達にとってのカリスマ。

今や競輪界の大御所である彼。

彼が速い理由。

が世界最速で走り続けられた理由は至ってシンプル。

さあ、中野浩一様の登場です。
------------------

「初心忘るべからず」

小さい頃から、
じいちゃんと賭けをしていた。
夏休み前の成績が良かったらお小遣い貰える、といった感じで。

いわば、
完全実力主義の勝負の世界を楽しめる私のルーツは
そこにあるのかもしれない。

世界選手権で1位を獲る。
それを10年続ける。

決して簡単ではなかったと思うんだよね。

しかし、世界で一番になると決めたからには
誰より辛い練習を積み重ねて
次々と圧し掛かる
大きなプレッシャーに打ち勝つのは当たり前のことだと思っていた。

そうやって、シンプルに考えるように徹底していた。

そうは言えども

思うようにスピードが上がらなかったり
思いがけず怪我をして試合を休まざるを得ない・・・

こんな問題は必ずやってくるんだよね。

そんな時は、
初心に戻る、これに限りる。

競輪選手生活の初めの頃に先輩に教えてもらった心構えや言葉を
支えに進んできた。

私が競輪を始めた頃
競輪はマイナーなスポーツだった。

メジャースポーツとして
一人一人の選手達にもっと光が当たるようにしたいと思って
ずっとやってきた。

バラエティ番組やCMに出るときも
そんなことばかり考えていたし、
今でもそうだよ。

せっかく世界大会で連覇をしても
なんだか
認められていないというか
軽く扱われているような気がして・・・

もっともっと競輪がメジャーになってほしくて・・・

競輪を通して
観客を涌かせる人気選手
輝いているスターは
いっぱいいるんだよ。

私が来る日も来る日もペダルを踏んで
作ってきた道の跡を、
後輩達がどんどん続いて走り

それぞれが活躍してくれるように、
そして、
競輪業界がもっと活発になるように願ってやみません。



愛とは(?)

 
「愛」「愛」「愛」・・・・・



そのうち「愛って、なんだ?」って思ってしまう。


考えた末、「あ」と「い」じゃないかって(笑)




そう、愛とは


「あ」と「い」。



あいうえおの1番と2番♪


日本語の1番と2番は愛♪♪


ということは、


愛が先でなきゃいけない。


だから、


愛のない言葉でははいけないのだ。



人間がしゃべる言葉には愛がいるのだ!!


伝説の新入社員

 
『やったらやっただけ,

手を抜けば手を抜いただけの人生になる』


ある板前さんの最高〜に熱い話!!
 

【伝説の新入社員】


高校を卒業し板前になった。

調理をするのが夢って言う訳でもなかったけど、思いだしてみると幼稚園の頃に「お寿司屋になりたい」って書いてあった。

これも潜在的に選んだ道なのかな?

別に踊るような気分で板前になった訳ではないけど、料理をするのは決して嫌いではなかった。

そんな中、僕の板前修業生活は始まった。


噂では厳しいと言われていた、板前の世界だが「先輩からの強烈な指導は辛かった」

まかない飯は全先輩が座るまで食べれないし、やっと食べれると思ったら、なぜか俺だけ冷や飯なんだよね。

しかも親方が食べ終わると、おまえいつまで食ってんだって良く叱られたもんだ。

だからさ、座った瞬間に、口に詰められるだけ冷や飯を詰め込んで必死になって食ったんだ。

でも、この冷や飯が腹減ってるから旨い何のっていうか、食わないと倒れちゃうくらいハードだったしね(笑)

包丁の柄で頭をね「ゴツ」って殴られたこともある。

ありゃ体罰とかそんなんじゃないレベルだった。


でもさ、俺って何やらせても器用な所があって、先輩の技術見ても俺の方が上手いだろって、入社して一週間くらいで感じたよ。

というか、1ヶ月もあれば抜ける自信があった。

だから入って10日もしないうちに、燃えるような目標が出来た。


それが「一年で先輩たちの技術もセンスも手際も味も全て抜いてやる!」って目標だった。


次の日から出勤を30分早くして、誰も来てないうちに親方が使う調味料の一升瓶に「俺だけが分かる印をつけた」

そして休憩時間に使った量を完全にコピーして、親方のレシピを全て盗み出した。


洗い物も率先してやった。

同僚になんか絶対に負けない洗い物の速さ、同僚たちは洗い物を嫌っていたけど、俺とは見てるものが違うから仕方ないと思った。

洗い物ってね、先輩方の嫌がらせポイントでもあるんだ。

熱い鍋わざと素手で掴まされてね「あーごめんごめん」とかコノヤロ!って感じになる(笑)

でも、洗剤で手が荒れて首の方まで湿疹が出た事があったけど、洗い物は宝の宝庫、先輩方が使った鍋の味見をできるからね。

レシピで覚えて、舌で覚える、洗い物を先輩のもとに取りに行き、目でしっかり覚える。

どのタイミングで裏返し、どんな工程なのかを目と鼻と耳でしっかり記憶する。


こんな考えだったから、同僚なんかに負けるわけがないでしょ?

先輩だって瞬間的に抜いてたね。

大根のかつら剥き何かさせたら、親方より上手いんじゃないの?ってくらい練習したしね(笑)



それで、入社して半年くらいで、賄い飯を作らせてもらえるチャンスをもらえたんだ。

実はこの時をずっと待っていた。

だからこの時の、「お前賄い作ってみろ」って言われた時に、めちゃくちゃ良い顔で「はい!!!」って返事は板場の空気が変わったのが分かった。

こいつ、何を作るんだ?

初めて作る新人が何でそんなに手際が良いんだ?

材料のある場所全部知ってんだ?

そんな調味料何に使うんだ?

って諸先輩方が自分の仕事をしながら、見る目が観客のようで本当に燃えたよ(笑)


そして僕が作ったのが、魚河岸の吸い物とかき揚げ丼。

その出来栄えの良さは、当時に携帯電話があったら写メールで友達に送りたくなるような一品だったかも(笑)

親方の最も得意とする料理を完全にコピーした訳だから、そりゃ自信満々で親方に「どうぞ」ってだした。

すると親方が「誰がこれを使っていいって言った?」って時は鳥肌が立つほど嬉しかった。

自分で創ったものと全く気付かなかったからだ。

「まさか、これお前が作ったのか?」って何かもう料理のドラマ番組みたいだよね(笑)

あの時、僕が涙目なって「僕が作りました」誇らしげに言った時、親方のいつもは怖い目が優しくなったとき愛されてるんだなって気が付いた。


それから一ヶ月もしないうちに、新しい仕事がどんどん任されるようになり、ポジションをどんどん上げていった。

焼き場、揚げ場、煮物、刺身ってあっと言う間に任されるようになった。


そして入社して一年が過ぎようとした時に、料理の祭典があり、誰でも参加できるという事なので、自分も参加させてもらいました。

今まで学んだ事を、すべて出し切って作った懐石料理は、天然の落ち葉を拾いに行き、川にある石で飾りつけをする。

ここで一年の成果が出ると思って、先輩が帰る中、徹夜して料理を作った。


そしたら、その料理の祭典で最優秀賞を取る事が出来た。

親方はめちゃくちゃ喜んでくれた!


それは地元の新聞でも取り上げられるくらい快挙であった。

新聞にのる19才の少年、板前の帽子のしたには、何故か茶髪のロン毛で耳には無数のピアス・・・。

人は見かけによらないって言うけど、わが身で証明した感じだった(笑)

この一年間が飲食業を一生やっていこうという土台を作ったのは間違いありません。


そういえば、あのときの冷や飯って、親方が盛ってくれてたんだよな。

もしかしてあれって、熱いご飯だと一気に口に入れられないから、俺だけ冷や飯にしてくれたのかな・・・?

考え過ぎか(笑)(空メール送信)


=====


最高〜な刺激もらったね♪


みんないつもありがとう!!


大沢親分


元日本ハム、ロッテの監督で「あっぱれ!」「渇!」のセリフが有名な日本野球界の親分“大沢啓二”さんが、7日、胆嚢がんのため、78歳で亡くなられた。

大沢親分の残した足跡は、まさに親分そのものだったのではないだろうか。

普段は言葉遣いも乱暴で、恐そうなイメージがあったけど、

グラウンドを離れると選手たちにとって親父のような存在だったらしい。



大沢親分が監督に就任し、日本ハムの成績が悪かった年、

東京ドームでの最終戦の後、

マウンドに置いたマイクの前でファンに最下位を詫び、

不甲斐無いシーズンで申し訳なかったと、

多くのファンの前で、土下座して懺悔の涙を流したエピソ−ドがある・・・



選手のせいにしないで、自分の責任として捉えていたんだね!

こんな方だからこそ、親分と呼ばれたのでしょう♪

そんなかっこいい親分になりたいね♪



「人間は仕事に責任を果たすことが大事じゃないか。

イヤなことがあってやめるのは簡単。

イヤなことを乗り越えていくところに人間の価値があると思うんだよ」

 by 大沢親分


大沢親分


元日本ハム、ロッテの監督で「あっぱれ!」「渇!」のセリフが有名な日本野球界の親分“大沢啓二”さんが、7日、胆嚢がんのため、78歳で亡くなられた。

大沢親分の残した足跡は、まさに親分そのものだったのではないだろうか。

普段は言葉遣いも乱暴で、恐そうなイメージがあったけど、

グラウンドを離れると選手たちにとって親父のような存在だったらしい。



大沢親分が監督に就任し、日本ハムの成績が悪かった年、

東京ドームでの最終戦の後、

マウンドに置いたマイクの前でファンに最下位を詫び、

不甲斐無いシーズンで申し訳なかったと、

多くのファンの前で、土下座して懺悔の涙を流したエピソ−ドがある・・・



選手のせいにしないで、自分の責任として捉えていたんだね!

こんな方だからこそ、親分と呼ばれたのでしょう♪

そんなかっこいい親分になりたいね♪



「人間は仕事に責任を果たすことが大事じゃないか。

イヤなことがあってやめるのは簡単。

イヤなことを乗り越えていくところに人間の価値があると思うんだよ」

 by 大沢親分


イチロ−とマイケルジョ−ダン

今日から10月

みんな元気!!

パティオスとマリンがブログ頑張ってるから、僕も負けずにいってみよ〜♪

マリンは相変わらず飲食に励んでいるね!!

菅谷店長と田久保サブの2ショットは、店頭に貼り出したいくらいだね。

マリン3兄弟もウルトラ兄弟みたいに強くなってね!


パティオスのつけ麺は見逃せないな♪

ラ−メン、つけ麺、僕イケメン・・・



前置きが長くなってしまったが、ここからが本番!!



この間またしても200本安打を達成してしまったイチロ−選手。


イチロー選手は、三振してダグアウトに帰っていくときの事をこう言う。


「下を向きたいけれど、むしろ上げていく。


あれは意識しないとできないですよ。


やっぱり自分以外に感情を悟られてしまうことは、


相手にアドバンテージを与えると思っているので」


イチロー選手でさえ、意識して、顔を上げているっ!!!


その顔を上げて戻っていく、堂々とした姿が、


次の結果を生む為の思考に、いい影響を与えてくれるのだろう♪


胸を張って上を向いている時に、ネガティブな事は考え難く、


うなだれて下を向いている時に、ポジティブな事は考え難い!


失敗しても、胸張って、上向いて行くイチロ−って、やっぱり凄いね!!




それと



「プロでミスしたシュート

9000本・・・


負けたゲーム

約300・・・


ウィニングショットをはずしたこと

26回・・・


いままでミスしてきた


何度も、


何度も、


何度も、


だから、


おれは成功する」


これは、バスケットボールの神様といわれている、


マイケル・ジョーダンの言葉♪


成功したかったら、


大成功したかったら、


誰よりも失敗を積み重ねることっ!


そして、


あきらめないことっ!


そんな人が、成功していくんでだろうね♪



「努力すれば報われる、とずっと信じてきたんだ。」


 by マイケル・ジョーダン


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