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  • 2013.03.24 Sunday
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健康

  男44歳、いたって健康だ。インフルエンザや風邪にも、いまのところならずに済んでいる。この年になって健康であるありがたみが、少しは理解できるようになったかもしれない。
  昨年12月から今年の7月まで、父が病気で入院していた。それまでは病気という病気にはならず、健康そのものの父親だったので、病気になったことが信じられなかった。ほとんど毎日、病院に見舞いに行っていた。
  病院にいくと、健康をくずしている方、お体の不自由な方が大勢おられる。父もその1人だった。足腰が弱って車椅子を余儀なくされた父の1番の望みは、再び歩くことだった。「杖をついてでもいいから、もう一度歩きたい」・・・これが当時の口癖だった。そのための厳しいリハビリに、積極的に参加していた。私たちも父がもう1度立ち上がることを、切に願っていた。そして大恩ある父に、何の力にもなれなかった自分が情けなかった。
 病院に行くようになって気づいたことは、我々が「あたりまえ」と思っている「歩けること」、「健康でいること」は、この上なく素晴らしいということだ。仕事がうまくいかないことがあっても、つらいことがあっても、我々は五体満足健康な体をもっている。自力で幸せを分かち合うことができるのだ。母は現在健康に恵まれ生活している。健康な体に生んでくれた母に、そして人生を教えてくれた父に、柄にもなく感謝している。ありがとう!

ミスタ−の凄さ!

  ミスタ−といえば長嶋茂雄である。ちなみにこのパソコンで、「ながしましげお」は1発で変換できてしまうところがまず凄い。首相の「はとやまゆきお」や前首相の「あそうたろう」でさえ鳩山幸雄や朝生太郎に変換されてしまうのだ。石川量、横峰佐倉、安藤三鬼、過ぎ山間・・・彼らでさえこうなってしまった。故に長嶋茂雄の国内における認知度は言うまでもなく物凄い。
 私がミスタ−をTVで知ったころは、背番号90の頃、つまり引退してからだ。リアルタイムでの現役時代は見ていない。それでもVTRでの映像で見ている。私の好きなシ−ンは、思いっきり空振りしてヘルメットが吹っ飛んだり、玉に向かって全力でダッシュしてトンネルしたり、そんなモノクロのシ−ンである。プロとして三振やエラ−でさえ魅せる男、ホ−ムランやファインプレーだけでなく全てを曝け出している姿がとても素敵だ!
 第2次長嶋監督時代、ドラフトで松井秀喜が入団したときのエピソ−ドである。松井への交渉権を獲得するくじを当てるためにミスタ−が事前にやったことは・・・?それはくじ引きの練習だ。
くじって練習すると当たるようになるのか?・・・ ありえない。しかしミスタ−はくじを引き当てた。大切なことは、何においても「やり残さない事」なんだと思う。現役時代、監督時代全てにおいてやり残さずにやってきた事が、彼が残した軌跡である。
 長嶋茂雄が存在するのは、日本を元気にするために違いない。じゃあ日本に我々が存在する意味だってあるはずだ。我々の生きる今の日本は、多くの素晴らしい先人からの恩恵を受けて、世界的に生活水準の最も高い国である。100年後にも素晴らしい日本が存在するために、我々も今こそ
「燃える男」、「燃える女」でありたい。

表彰式

  颯爽とした背中が並んでいた。その中に当社出口専務の姿があった。
平成21年11月11日、第60回商工会議所表彰式が開催された。当社からは出口専務が、会社と千葉県への貢献を認められ、表彰を受けることになっていた。他社からも表彰を受ける方々が、自信満々目の前に並んでいる。表彰式は、森田県知事や熊谷市長の祝辞も届き、格式の高さを感じた。
 まず、勤続30年以上の方々の表彰が始まった。表彰者の方々は次々と名前を呼ばれて起立していく。  ・・・あれ?皆さん名前を呼ばれたときの返事がとても小さい。中には聞こえない方も・・・  先程まで颯爽と見えていた背中が、やけに頼りなく感じてきた。 ・・・皆さん意外と元気がないなぁ・・・ なんて思いつつ先を見守った。
 続いて勤続20年以上の方々。同じく煮え切らない返事が聞こえる。 そして「出口誠」が呼ばれた。「はいっ!」・・・ 大声が響いた。その瞬間、出口誠の背中が最もキラキラと輝いて見えた。とても嬉しかった、-誇らしかった瞬間。「親ばか」でなく「社長ばか」である。
 不思議なもので、専務に続く人たちは、大きな声で返事をする人が増えた。専務が流れを変えた・・・そんな気がした。歴史上大きな変換時には、ヒ−ロ−が登場する。中大兄皇子しかり織田信長しかり坂本竜馬しかり。彼らが「先見の目」を持っていたことは確かであるが、一流の「志」を持っていたことも間違いない。一流とは文面に書き並べると、意外と簡単に思えてしまう。しかし、実行して習慣として、いつ何時も継続していく「決意」を持たなくては、一流には程遠い。今日は返事ひとつで長々と書き並べたが、一流の挨拶、一流の返事をする「決意」を持てば、いつも素晴らしい1日のために朝を迎えられる。1日は誰でも24時間。今はちっぽけだが、自分の持てる人間性を発揮し、素敵なトゥエンティ・フォ−にしたいものである。

ただいま練習中

 昨日ブログを書いたが、どうやら消してしまったようだ。ブログを載せる練習をしないといけない。

カ-ネル・サンダ-ス

 一昔前、阪神タイガ-ス優勝のとき、興奮したファンがケンタッキ-フライドチキンのカ-ネル・サンダ-ス人形を川に投げ入れたことがあり、それ以来タイガ-スは「カーネル・サンダースの呪い?」で優勝から遠のいている。そのカ-ネル・サンダ-スこそケンタッキーフライドチキンの創設者である。夢はいくつになってもかなえられることを彼は証明した。彼がケンタッキーフライドチキン1号店を開業したのは60歳以上の時らしい。普通の人がそろそろ仕事から引退する年齢である。開業の時、彼は「俺の青春は今始まった!」と高らかに話したそうだ。現実にケンタッキーフライドチキンは世界中にOPENを続け、いまや知らない人がいない位有名な店となった。普通の人が「苦労」と思うことを、彼は楽しんで乗り切っていった。夢は自分がどのような状況にあっても、自由に描くことができる。そして夢を持てば、人は輝く。ケンタッキーフライドチキンの店頭で彼に会ったとき、ぜひその「夢見る輝きの笑顔」に素敵な未来を感じてほしいものである。

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