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  • 2013.03.24 Sunday
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辛に一本線を足すと

 
おはようございます。

元気ですか!!



我慢とは

あきらめることではない

我慢とは

 ジッとこらえて

明日のために

力を蓄えること! 



では今日もイイ話を2つ紹介しちゃうね!!



みんな同じ空の下にいます

青空を見上げて

曇り空を見上げて

星空を見上げて

離れていても同じ想いでいます

心は一人ではないこと忘れないでください

あなたの力になりたいと想っている人が、ここにいます

私の好きな言葉を贈らせてください

辛に一本線を足すと

幸という字になる

その一本線は辛さを乗り越えた一本道

辛さを越えた先には

幸せが待っている

生きていてくれてありがとう




ではもう1つ



以前、歯科医院ドリプラのメーリングリストに投稿されたものです。


   〜〜〜〜〜


2008年2月21日、入院先の病院で、僕の親父は長く患っていた肝臓癌により68歳で亡くなりました。

前年の7月に「末期の肝臓癌で手の施しようがない」と診断されて、通院しながら自宅で静養する生活をしていました。

それまで入院することを嫌がって、自宅で過ごしていた親父が、いよいよ体調が悪化し入院を受け入れたのは2007年の12月の7日。

既に容態はだいぶ悪く、入院してからというもの、数日に渡って意識を失っていては、また数日の間、意識が戻る、というような生活です。

そんな生活の中でも、親父の唯一の楽しみは‘食べること,でした。

意識がある間は、以前から大好きだったプロボクシングやスポーツ中継をテレビで楽しみ、夕食を食べたらそのすぐ後には、「明日の朝は何がいいかな」「昼は何にしよう」と‘食べる,ことをとても楽しみにしていました。

「病院の食事は、みんな似たような味付けで、おまけに薄いし、不味い」

「お母さん、何か作ってきてくれ」

と、毎日見舞いに通い詰めていたお袋に、我が儘を言うのですが、お袋もそれに答えるのを嬉しそうにしていました。

夕食が済むと「明日の朝は何がいいの?」なんて。

親父が「小松菜の煮浸しと何か白身魚がいいなぁ、あと、たらこのふりかけごはんな」なんて言うと、

「しょうがないねぇ、わかったわよ!」と、笑顔で。

「あ〜、明日の朝御飯を楽しみに、早めに寝るか!」
「寝ると腹が減るしな!」
そんな調子で、決して多くの量を食べられるはずもないんですが、とても毎回の食事を楽しみにしていました。

親父は、まめに歯医者さんに通っていたと僕は記憶しているんです。

でも、昨日のどなたかのプレゼンでもありましたが、60歳を過ぎたあたりから自分の歯は数本しかなく、ほぼ入れ歯でした。

まめに手入れをしていたようで、最後の入院となる時まで、食べることや笑うこと、しゃべることに苦労をしていた様子はあまりなかったようです。

入院する頃には、自分の歯は1本のみで、それをひっかけるようにしてはめる、ほぼ総入れ歯となっていました。

病院でも、入れ歯の手入れを、お袋にマメに頼んでいました。

お袋も親父が大事にしていることをよく知っていたので、嫌な顔ひとつせず、よく洗ったり、手入れをしていました。

起きている時、意識がある時は、親父も気にして常に入れ歯をしているのですが、意識がない時は外れて喉に詰まる危険があるのでずっと外しています。

2・3日、ベットの上で元気にしてたかと思えば、また2・3日、意識が無く、点滴からの栄養で過ごすわけです。

意識がなくなると、その度に見る見るうちに痩せていき、1月もすると、入れ歯がなかなかうまく収まらなくなりました。

入院していた病院に「入れ歯を調整する歯医者さんを紹介してください」(当時、歯科技工士という仕事さえ知りませんでした)と申し出ましたが、「予約しますが、時間がかかります」という回答でした。

何も知らなかったので「そんなものか」と諦めるしかなく。

ごまかし、ごまかしで入れ歯をはめて、意識がある時は、何とか食事を楽しみにしてたのですが、1月の半ば、成人式を過ぎたあたりで、とうとう親父は自分で入れ歯をはめることを諦めてしまったんです。

「もういい!」と怒った様子で。

それから意識がない時間の方が増えていきました。

そして翌月の2月21日、家族と親戚で親父を看取りました。


最後の最後の会話は僕とのものでした。

ちょうど日曜のお昼で、僕はコンビニで買った鮭弁当を親父の病室で食べていました。

「マサ、今日のお昼か」

「何、食べてるんだい?」と親父。

「鮭弁だよ」

「食べてみるかい」と僕。

「いいよ、いいよ、午後も仕事だろ」

「しっかり食べなさい」

「俺はコンビニの弁当なら、あれだ、三色弁当がいいな、ひき肉と卵と、あれがのってる.....」

それが親父との、本当の最後の最後の会話でした。

そのまま眠るように意識が無くなり、その4日後、静かに旅立ちました。

今でも時々お袋や妹と話すんですが、
「誰が見ても‘食べる,ことを諦めてしまってから、元気がなくなったよね」

実際に、それから意識がある時間がドンドン減っていってしまいました。そして約一ヶ月で親父は亡くなりました。

そう何年も生きられたとは思っていませんが、1月の半ば、あの時‘食べる,ことを諦める必要がなかったら。

病院の窓から、すぐ近くの桜並木が見えたんです。実際に埼玉は春日部の桜の名所です。

「あそこなら近いから車椅子でも行けるよ。」

「弁当作って、あそこで花見をしよう!」というのが僕ら家族の合言葉になってました。

それを叶えることぐらいは出来たんじゃないかと思ったりもするんですね。


以前、何かの本で読んだ『歯は臓器』という言葉。

今ではそう強く確信しています。

第一回の歯科ドリ・キックオフミーティングになぜか参加してしまったことから、全ては始まっています。

その‘縁,は親父が導いてくれたのかもしれないと、今では本気で思っているんです!

今後も、歯科ドリプラ、そして歯科医院業界を応援させてください!!!




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